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第二章 8 『傷を逃がす男』





 当たった。その感触は、リゼルヴェートの手元にはっきり残っていた。右から回り込ませた《星桜千華》の一群はユルディオの肩口を捉え、防御ごと押し切るだけの衝撃も通している。


 それなのに、花弁が抜けた後の彼の身体に残った傷は、リゼルヴェートが想像していたものより明らかに浅かった。


 代わりに、少し離れた地面へ深い亀裂が走っている。ユルディオの身体には触れていない場所なのに、石床の表面が抉れ、彼の装備の別部分にも新しい破損が増えていた。


 攻撃そのものを止められた感触ではなく、当たった後に何かが変わっている。リゼルヴェートは次の花弁を待機させたまま、最初の一撃で生じた損傷の位置を素早く見比べた。


「……やっぱり、そっちに行ってる」


 戦う前、ゼルディヴァンが見せてくれた記録と同じだった。受けた攻撃を消しているのではなく、本来一か所へ残るはずの傷を、本人以外の場所へ分けているらしい。


 どういう条件で分けているのかまでは分からないが、少なくとも《硬くて通らない》相手ではない。そこを間違えなければ、試せることはいくらでもあった。


「すごいね、それ」


「そう言ってもらえると嬉しいけど、今のをもう一回まともに受けるのは嫌かな」


 ユルディオは肩を軽く回していた。声はまだ柔らかく、表情にも大きな変化はない。けれど傷が完全に消えたわけではなく、右肩の衣服には確かに裂け目が残り、そこから薄く血が滲んでいる。全部を外へ逃がせるわけではないなら、どこかに限界はある。


 リゼルヴェートは浮かせていた花弁の軌道を変えた。今度は正面から一群を飛ばすのではなく、左右へ大きく広げてから角度を変え、ほぼ同時に両側から挟み込む。


 ユルディオは左側へ踏み出して一方を避けたが、逆側から迫った花弁は完全には外せず、脇腹を掠めてそのまま背後へ抜けた。


 また、別の場所が壊れた。ユルディオから数歩離れた床へ細い裂け目が走り、今度は彼が身につけている外装の一部にも小さな欠けが生じる。


 本人の脇腹にも傷はあるが、やはり攻撃の手応えに比べて浅い。方向を変えただけでは、分散そのものを止めることはできなかった。


「なるほど」


 避けながらユルディオが小さく呟いた直後、その足元から踏み込みが来た。防御主体の相手だと思っていたリゼルヴェートは、そこだけ少し意外に感じる。


 ユルディオは真正面から距離を詰め、右手を振り抜いてリゼルヴェートの側面へ打撃を入れようとしていた。


 リゼルヴェートは半歩だけ後ろへ下がり、身体の前へ花弁を滑り込ませた。ユルディオの腕が触れるより先に薄い光の壁が軌道を遮り、そのまま別の花弁が足元へ落ちる。彼は即座に踏み込みを切って横へ逃れ、反撃に固執することなく安全な距離まで戻った。


 攻め方まで、戦績で聞いた通りだった。行けると思った時だけ入ってきて、危ないと見ればすぐに離れる。無理に一撃を通そうとしないため、大きな隙も作らない。降参が多いという話を知らなければ、慎重というより堅実な戦い方にしか見えなかった。


「ちゃんと攻撃もするんだね」


「そりゃするよ。守ってるだけじゃ勝てないから」


 ユルディオは再び距離を取り、こちらの花弁の位置を確認している。リゼルヴェートもすぐに次の攻撃へ移らず、今までの二回を頭の中で並べた。


 正面と左右、角度を変えても損傷は別へ逃げた。なら今度は、攻撃そのものの性質を少し変えてみればいい。


 周囲に漂っていた花弁のうち数枚が一か所へ収束していく。広く散らしていた光が細く鋭くまとまり、一点だけを切り抜くための刃へ変わった。数で押す《星桜千華》とは違い、今度は狙った場所へ威力を集中させる。


「——『星華断刃(アストラ・セクティア)』」


 狙ったのは左腕だった。ユルディオが反応して身体を捻ったため直撃点は少し外れたが、凝縮した一閃は腕の外側を確実に捉えた。刃が通った感触と同時に、今までより鋭い音が周囲でいくつも重なった。


 ユルディオの左腕に細い傷が残る。その代わり、彼の背後にある床へ深い切断痕が走り、近くに置かれていた固定物の表面にも同じような傷が刻まれた。


 威力を一か所へ寄せても、そのまま全部が本人へ残るわけではない。けれど、さっきまでよりユルディオの身体に残った傷は少し深く見えた。


「一撃を強くすると、全部は逃がしきれない……?」


 確信ではない。ただ、変化はあった。攻撃が強くなったから本人へ残る割合が増えたのか、それとも分散先にできる場所や数に限りがあるのか、今だけでは判断できない。なら、次は威力ではなく、同じ程度の攻撃を時間をずらして重ねれば違いが見える。


 リゼルヴェートは《星華断刃》を続けず、《星桜千華》へ戻した。今度は花弁を三群に分け、一群目を右前方、二群目を上方、三群目を左後方へ回す。最初の一群だけを先に放ち、ユルディオが対応した瞬間に二つ目、さらにその直後へ三つ目を重ねた。


 ユルディオは一群目を腕で受けながら身体をずらし、二群目を大きく避けた。だが三群目までは完全に外せず、背中側へ数枚が命中する。床、装備、近くの構造物へ損傷が散り、本人にも複数の浅い傷が増えたものの、まだ動きは大きく鈍っていなかった。


「時間差もいけるんだ」


 リゼルヴェートは口にしながら、すでに次の組み方を考えていた。ユルディオは一度にすべてを処理しているわけではないのかもしれない。


 けれど連続して攻撃しても、それぞれの傷を別へ逃がしているように見える。速度を上げれば処理が遅れるのか、それとも分散する側に別の条件があるのか、まだ絞り切れなかった。


 ユルディオも黙って受け続けてはいなかった。三群目を抜けた直後、今度は低い姿勢から一気に距離を詰めてくる。リゼルヴェートは正面の花弁を引き戻したが、それより先に彼は右へ進路を変え、壁際を使うように回り込んだ。


 移動先を読んで花弁を差し込むと、ユルディオは無理に突っ込まず急停止する。そのまま足元の破片を蹴り上げ、視界を一瞬だけ遮ってから反対側へ走った。


 派手ではないが、一つ一つがこちらの攻撃線をずらすために選ばれている。受けられるからといって、何でも正面から受けるつもりではないらしい。


 リゼルヴェートは破片ごと花弁で払い、その向こうにいるユルディオを追った。速さだけなら追いつける。だが今知りたいのは、追いついて倒すことではなく、《傷界分岐》がどこまで処理できるのかだった。


 ここで単純に出力を上げて押し切れば勝てる可能性は高いが、それではユルディオが何を勝ち目として見ていたのか分からない。


「もう少し試すね!」


「宣言してくれるんだ」


「うん!」


「じゃあ、こっちも頑張らないとね」


 ユルディオは笑いながらも、視線だけは周囲の花弁を追っていた。その余裕が本物かどうかは、リゼルヴェートにはまだ分からない。ただ、最初の一撃より数を増やした時の方が、彼の注意が明らかに広い範囲へ散っているのは見えた。


 そこで、リゼルヴェートは攻撃の組み立てをもう一段変えた。今度は威力を上げず、数だけを増やす。一枚一枚の花弁を十分に傷を与えられる強さへ保ったまま、正面、左右、上、後方へ同時に軌道を作る。


 花弁が一斉に走った。ユルディオは正面を避け、右からの一群を受け、その損傷を逃がしながら左へ動く。そこへ上方から落とした花弁が肩へ当たり、さらに後ろから回した一群が脚を掠めた。


 今度は損傷の出方が違った。地面には複数の亀裂が走り、設置物にも別々の破損が生じる。ユルディオの装備にも同時に何か所か傷が増え、それでも本人の身体へ残った損傷は直撃数から考えればまだ少ない。だが、さっきまでより一つ一つを処理する間隔が明らかに詰まっていた。


「同時でも逃がせるんだ……」


 それでも無限ではないはずだと、リゼルヴェートは思った。攻撃を受けるたびに周囲へ損傷が出るなら、その分だけ何かへ割り振っている。


 なら一撃を強くして一つの大きな傷を押し込むより、同じ瞬間に処理しなければならない傷を増やした方が、相手にとっては面倒になる可能性が高い。


 ユルディオが前へ出た。今までより踏み込みが速く、こちらが攻撃を組み直す前に距離を潰すつもりらしい。リゼルヴェートは花弁を一度引き寄せ、直前まで四方へ広げていた軌道を消した。


 一瞬だけ攻撃が途切れたことで、ユルディオの足がさらに前へ出る。その瞬間、リゼルヴェートは引き戻した花弁を一か所へ集めず、自分の周囲から外側へ弾けさせた。前方だけを狙わず、ユルディオが逃げられる方向ごと塞ぐように、複数の軌道をほぼ同時に作る。


「それは――」


 ユルディオが途中で進路を変えた。けれど、どちらへ動いても一群が先回りするように配置している。右へ逃げれば右から、左へ切れば左から、下がれば正面から花弁が追い、上方にも避けるための空間を残していない。


 最初の数枚が命中し、離れた床へ傷が走る。次の数枚が別の角度から当たり、装備と周辺構造へ新しい破損が増えた。その直後にはもう別方向から花弁が迫っており、ユルディオは受けた傷を処理しながら、さらに次の傷へ対応しなければならなくなる。


 そこで初めて、リゼルヴェートは変化を見た。ずっと柔らかい表情を崩さなかったユルディオの眉が僅かに寄り、視線が自分ではなく周囲の花弁全体へ向く。強い一撃を見た時ではなく、《同時に来る数》が増えた瞬間だった。


「……そっちなんだ」


 リゼルヴェートは攻撃を止めなかった。威力を無闇に上げる必要はない。逃がせる傷の量ではなく、同じ瞬間に処理しなければならない傷の数そのものへ圧力を掛ければいい。


 周囲に残っていた花弁がさらに散り、ユルディオを囲む軌道が増えていく。真正面から押し潰すのではなく、一つ一つは避けられても、全部を同時には無視できない形へ変えていく。


 リゼルヴェートがその答えへ辿り着いた時、ユルディオの表情から初めて僅かな余裕が消えていた。





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