第二章 7 『生きて帰るために』
勝ち目がないなら最初から来ていない――そう告げた直後、ユルディオは改めて目の前の四人を見た。第三十一位になった少女だけを見に来たつもりは最初からなかったが、実際に顔を合わせると、公開記録だけでは分からなかった部分の方が多い。
誰一人として彼の言葉をそのまま信じ切っている様子はなく、それぞれ違う角度からこちらを確かめているのが分かった。
リゼルヴェート・アルシェノアは、想像していたよりずっと普通の少女に見えた。話している時の表情は明るく、降参歴を真正面から聞いてきたことにも悪意は感じない。
それでもレグシェリアとの戦闘記録を見た後では、見た目の柔らかさだけで危険度を測る気にはなれなかった。あの小さな身体から、第三十一位を奪い取るだけの火力が実際に放たれている。
その隣にいるイェルシェリナは、戦う相手ではないからと気を抜ける種類の人間ではなさそうだった。ユルディオが何を言ったかだけでなく、その発言をどこまで約束として扱えるかまで見ているような視線をしている。
一方のゼルディヴァンは、もっと分かりやすく記録と本人を照合していた。さっきからこちらの言葉を聞くたび、事前に読んだ戦歴との差を確認しているのが伝わってくる。
ルシェルトだけは少し種類が違った。会話へ参加しながらも、今日この後に戦うならどこまで準備できるか、移動や時間まで含めて考えているように見える。四人とも同じものを見ているわけではない。
それでも必要なところが重ならないよう自然に分かれているあたり、この小さな派閥が第三十一位一人にぶら下がっているだけではないことは、初対面でも十分に分かった。
「それで、勝ち目があるっていうのは?」
リゼルヴェートが先ほどの言葉の続きを求めてきた。ユルディオはすぐに答えてもよかったが、イェルシェリナがその前に机の上の申請書へ視線を落とす。
正式至冠戦を受けるかどうかの話まで進めるなら、立ち話のまま決めるつもりはないらしい。
「その話も含めて確認しましょう。申請自体は正式なものだけど、リゼルヴェートはまだ受諾していないわ。戦う理由も条件も、先に本人へ説明してもらう」
「もちろん。それでいいよ」
「なら、昼も近いし食べながらにしない?」
リゼルヴェートが自然に言ったことで、ユルディオは一瞬だけ聞き返しそうになった。これから至冠戦を申し込んだ相手と話すのだから、もっと堅い確認が続くものだと思っていた。
だがイェルシェリナも反対せず、ルシェルトは人数分の食事をどうするかへすぐ頭を切り替えている。どうやらこの派閥では、形式が必要な部分と、そうでない部分を必要以上に混ぜないらしい。
拠点の机から書類を一度寄せ、簡単な昼食を囲んでからも、話題は至冠戦から大きく外れなかった。ユルディオの向かいにはリゼルヴェートが座り、その横でアシェラと紹介された幼い少女が静かに食事をしている。
アシェラはほとんど会話へ入らず、時折リゼルヴェートを「澪桜」と呼ぶだけで、ユルディオには二人の事情までは分からなかった。
「ユルディオさんって、ハルヴェナ小侯国から来たんだよね?」
「うん。そんなに大きな国じゃないけど、僕の国だよ」
「至冠者はほかにもいるの?」
「いない。今は僕一人」
リゼルヴェートの表情が少し変わった。驚いたのだろうというところまでは見れば分かるが、その先で何を考えたのかまではユルディオには分からない。だから余計な推測はせず、自分から必要なところだけ続けた。
「だから、僕が至冠戦で死ぬのは困るんだ。僕個人が死ぬだけで終わらないから」
「国が困る?」
「かなりね。第三十八位でも、至冠者が一人いるっていう事実には意味があるんだよ」
大国のように巨大な軍を持たない国では、一人の至冠者がいるだけで周囲の計算は変わる。実際に戦わせるかどうかとは別に、《手を出した時に至冠者が出てくる可能性がある》という事実そのものが抑止になる。ユルディオが死ねば、その札は一枚丸ごとなくなる。
「だから負けそうなら降参するの?」
「それもある。僕が意地を張って死んだところで、国には何も残らないからね」
「でも、負けたら順位は落ちるよね」
「落ちるよ。でも、生きてればまた上げられる」
ユルディオにとっては、それほど難しい話ではなかった。順位が下がるのは嫌だし、負ければ悔しい。
それでも、順位を守るために死ねば次はなくなる。至冠戦で敗北が許されている以上、使える敗北は使えばいいと考えている。
「じゃあ、ずっと安全な相手とだけ戦えばいいんじゃない?」
リゼルヴェートの問いは素直だった。ユルディオは少し笑ってから、持っていた器を置いた。ここを説明しなければ、自分がリゼルヴェートへ申請した理由も繋がらない。
「それだと、僕が強くならないんだよね」
「強くなりたいの?」
「なりたいよ。僕が強い方が、国にとっても都合がいいから」
勝敗より生還を優先することと、挑戦そのものを避けることは別だった。安全な相手とだけ戦っていれば死ぬ可能性は下がるが、自分より上の相手に何が通じて何が通じないのかも分からない。
勝てる可能性があるなら挑み、無理だと分かった時点で生きて帰る。それを繰り返すのが、ユルディオなりの至冠者としての戦い方だった。
「僕は死ぬのが怖くないわけじゃないよ。普通に怖い。でも、怖いから戦わないって決めたら、至冠者でいる意味もかなり減る」
「だから勝てそうなら戦う?」
「そう。勝てそうなら勝ちに行く。駄目なら帰る。それだけ」
「なんか、分かってきたかも」
リゼルヴェートはそう言って食事へ戻った。完全に納得したかどうかまでは分からないが、少なくとも降参を繰り返す理由を臆病だけで見てはいないようだった。
ユルディオとしても、それ以上立派な理由に言い換えるつもりはない。祖国のためという理由があっても、生きたいと思っているのは間違いなく自分自身でもある。
「それで、リゼルヴェート相手にも勝算があると?」
ゼルディヴァンが話を戻した。食事中でもそこは忘れていなかったらしい。ユルディオは相手の視線を受けながら、公開記録で見たリゼルヴェートの戦いを思い返した。
「あると思ってる。少なくとも、何もできずに終わるとは思ってない」
「根拠は《傷界分岐》か?」
「それもあるね」
「全部話す気は?」
「戦う前に?」
「聞くだけ聞いた」
「それは嫌かな」
ゼルディヴァンは特に気分を害した様子もなく、そこで追及を止めた。公開情報からある程度の仮説を立てているのは、さっきの反応を見れば分かる。だが能力の条件を自分から全部渡すほど、ユルディオも親切ではなかった。
食事が終わる頃には、話すべきこともかなり整理されていた。ユルディオは国の命令で強制されて来たわけではなく、自分の意思で申請している。
負けそうになった場合は降参する意思があり、殺害決着を望んでもいない。その確認を終えたところで、最後に決めるのはリゼルヴェートだった。
「私は受けたい」
返事は迷いなく出た。
「ユルディオさんがどう戦うのか、気になるし。それに、勝てると思って来たんだよね?」
「うん」
「じゃあ戦おう」
「ありがとう。よろしく」
そこで話は決まった。イェルシェリナが正式受諾に必要な確認へ移り、ゼルディヴァンは戦闘条件を再確認する。ルシェルトは朝から調整していた施設候補のうち、今日使える場所へ連絡を回し、ユルディオも申請者として必要な手続きを済ませた。
大げさな式典を挟む必要はなかった。正式至冠戦として成立する条件と記録手続きを整え、双方の意思が揃えば戦える。
ルシェルトが確保した施設までも遠くなく、移動と準備を含めても午後の早い時間には開始できることになった。ユルディオとしても、何日も間を空けて相手へ余計な準備時間を与える理由はなかった。
移動しながら、ユルディオは隣を歩くリゼルヴェートを何度か見た。彼女は緊張で黙り込むこともなく、普段と大きく変わらない様子で三人と話している。
あれが余裕なのか、単にいつも通りなのかは分からないが、戦闘記録を見る限り、戦いが始まれば別の判断速度を見せるのは確かだった。
警戒すべきなのは《常世星桜》の火力だけではない。多数を同時に操り、広い範囲へ攻撃を通し、それでも制御を失っていなかった。
レグシェリアとの戦いでは、それ以上の力まで見せている。まともに全部を受け続ければ、《傷界分岐》があっても長くは持たないとユルディオ自身が一番よく分かっていた。
それでも最初の数手なら受けられる。そこで相手の出力と癖を見て、自分の想定が通用するかを確かめる。駄目なら降参すればいいし、通るならそこから勝ち筋を作る。戦う前から最後まで耐え切ろうと考える必要はなかった。
施設へ到着すると、使用区画の確認と最後の手続きが進められた。リゼルヴェートとユルディオが向かい合う場所から十分に距離を取り、イェルシェリナたちは戦闘範囲の外へ移る。アシェラもその側におり、相変わらず騒ぐことなくこちらを見ていた。
ユルディオは周囲を確認しながら、《傷界分岐》を使うための準備を整えた。何も考えず直撃を受ければ、いくら真律があっても終わる。受けた損傷をどう処理するか、そのための余地を確保して初めて、自分の戦い方が成立する。
「準備できた?」
向かい側からリゼルヴェートが尋ねてきた。
「うん。いつでもいいよ」
「最初から結構いくよ?」
「その方が助かる。弱く打たれて勘違いしたくないからね」
「分かった!」
その返事だけ聞けば、本当にこれから至冠戦を始めるのかと思うほど明るい。だが、リゼルヴェートの周囲へ源素が集まり始めた瞬間、空気の質が変わった。
ユルディオは自然に呼吸を浅くし、視線を正面から外さないまま《傷界分岐》へ意識を集中させた。
公開記録で何度も見た光景だった。白桃色を帯びた光が広がり、無数の花弁が一つ一つ別の軌道を持つように浮かび上がる。映像越しでも異常だったものを実際に正面から見ると、数だけでなく一枚ごとの圧までよく分かった。
「いくよ――」
リゼルヴェートの声と同時に、花弁群が動いた。
「——『星桜千華』」
最初から避け切るつもりはなかった。ユルディオは軌道を見ながら必要な分だけ身体をずらし、そのうち一群をあえて受けられる位置へ残した。
花弁が右側から殺到し、防御ごと肩口へ食い込んだ瞬間、想定していた以上の衝撃と熱が一気に身体へ流れ込む。
まともに残せば深い傷になる。それを認識した時には、《傷界分岐》がすでに働いていた。肩へ集中するはずだった損傷が一つの場所に留まらず、あらかじめ処理できる範囲へ散っていく。
痛みそのものが消えたわけではないが、身体へ残る損傷は直撃した攻撃の規模に比べれば明らかに浅かった。
同じ瞬間、ユルディオから離れた位置で硬い破砕音が響いた。攻撃を受けていないはずの場所へ鋭い亀裂が走り、表面が大きく抉れる。
正面のリゼルヴェートもその異常を見たらしく、次の攻撃へ移る前に視線が一瞬だけそちらへ動いた。
攻撃は間違いなく当たっている。ユルディオ自身も痛みを受け、完全に無傷ではない。それでも本来そこへ残るはずだった傷の大部分は、もう彼の身体だけには存在していなかった。




