第二章 1 『第三十一位になった少女』
ノルシェリア派の拠点に、こんな量の紙が入る場所があったのだと、リゼルヴェートは初めて知った。
普段なら四人で囲んでも余裕のある机は封書と文書で半分以上埋まり、脇の棚にも見慣れない封蝋を押された束が立てかけられている。
レグシェリアとの至冠戦を終え、必要な報告と最低限の休息を済ませて戻ってきただけなのに、拠点の景色は戦う前とは別物になっていた。
第三十一位になったという事実が、今さら紙の山になって目の前へ現れている。
「……これ、全部?」
「全部あなたか、ノルシェリア派に関係するものよ」
「こんなに来るの!?」
「俺もここまで早いとは思ってなかったな」
ルシェルトまでそう言うのだから、リゼルヴェートの驚き方がおかしいわけではないらしい。
イェルシェリナはすでに何通か開封しており、ゼルディヴァンも差出人と封の形式を確認しながら別々の束へ分けている。
アシェラだけは少し離れた椅子に座り、増殖したような書類の山にも特に驚いた様子を見せていなかった。むしろ、戸惑っているリゼルヴェートの方を静かに眺めている。
「何が書いてあるの?」
「種類が多すぎるから、一言では言えないわね。まず祝辞。次に面会要請、照会、勧誘、研究協力。あとは商会からの契約提案もあるわ」
「商会まで?」
「第三十一位と継続的な関係を持てるなら、商売上の価値があると考えるところは出るでしょうね」
まだ自分のことだという実感が薄く、リゼルヴェートは机へ身を乗り出した。一番上にある封書だけでも、見覚えのあるリュネヴァルトの印とは形が違うものばかりだ。
国名なら知っているものもあるが、組織名や商会名となるとほとんど分からない。昨日まで自分とは何の接点もなかったはずの場所から、自分の名前を宛名にした紙が届いている。
「六大国からも来てるの?」
「来てる。国そのものからだけじゃないけどな」
ゼルディヴァンが数通を抜き出し、封蝋の向きを揃えて並べた。六大国すべての名が揃っているだけでも驚きなのに、一つの国から一通だけ来ているわけではないらしい。
国そのものとは別に、軍や研究機関らしい差出人も混ざっている。リゼルヴェートには、まだその違いを見分けるだけでも大仕事に思えた。
「ヴァルグレシア帝国。セレフィア聖統国。ローディヴァル王邦連合。エルディネア魔導連邦、ミルヴェシア自由商盟、グラシェルド武王国。少なくとも今ここにある分だけで、全部から何らかの接触が来てる」
「全部……?」
「お前が第三十一位になったのは、リュネヴァルトの中だけで起きた話じゃないからな」
言われてみれば当然なのかもしれない。至冠序列はこの国だけの順位ではなく、世界中の至冠者が並ぶものだ。
レグシェリアに勝って順位が入れ替われば、序冠碑にもそれが示される。けれど、そこから六大国すべてがこちらへ手紙を送ってくるところまで、リゼルヴェートは一度も想像していなかった。
至冠者になった時も、自分が世界へ知られたと言われた。だがその時は、王国での騒ぎやレグシェリアとの至冠戦が近すぎて、世界の広さまで意識する余裕がなかったのだと思う。
今こうして国境の向こうから届いた封書を並べられると、自分の名前だけが先に遠くへ歩いていったような変な感覚がある。まだ行ったこともない国の人間が、自分を知っている。
「これ、読んでもいい?」
「あなた宛てなんだから当然でしょう。ただし、意味が分からない条件はその場で決めないで」
「うん」
イェルシェリナに一通渡され、リゼルヴェートは封を開いた。内容は思っていたより丁寧で、第三十一位への昇格を祝う言葉から始まっている。
途中までは素直に嬉しく読めたものの、その後に長期滞在、専用の訓練施設、生活費、住居、護衛まで用意できるという条件が続き、最後には将来的な所属について協議したいと書かれていた。
「……これ、私に引っ越してほしいってこと?」
「かなり簡単に言えばね」
「なんで?」
「欲しいからでしょう」
イェルシェリナの答えは簡潔だったが、冗談を言っている様子ではなかった。机の上にある一通を指先で押さえながら、提示されている待遇よりも、その先にある目的を見ているらしい。
リゼルヴェートには豪華な条件ばかりが目についたが、イェルシェリナが重視している場所はそこではなかった。
「第三十一位の至冠者が自国に長く滞在するだけでも価値がある。そこから正式所属や軍事協力へ繋げられるなら、なおさらね」
「でも私、ここにいるって決めてるよ?」
「向こうはあなたがどう考えているかまだ知らないもの。だから条件を出してくること自体はおかしくないわ」
そこまで聞けば、リゼルヴェートにも何となく分かった。条件を提示されること自体が悪いわけではなく、それを受けるかどうかは自分の側にある。
だが、別の封書を開いた時、その単純な考えだけでは足りないことをすぐに知った。そこには滞在候補日と訓練日程まで細かく記され、こちらが参加することをほとんど前提にしているような書き方がされていた。
「……これ、私が行くってまだ言ってないよね?」
「言ってないわ」
「なのに、もう日にちまで決まってる」
「候補日という形にはしているけど、文面はかなり先走ってるわね」
「勝手に決まったりしない?」
問いを受けたイェルシェリナは、書面から顔を上げてリゼルヴェートを正面から見た。普段より声を強めたわけではないのに、ここだけは曖昧にするつもりがないのだと分かる。
相手が六大国であろうと大きな組織であろうと、その基準だけは変えないらしい。
「しないわ。あなたが確認していないものを、私が勝手に受けることもない」
「絶対?」
「絶対よ」
それだけは迷いなく返ってきたことで、リゼルヴェートの中にあった圧迫感が少しだけ薄れた。知らない国や組織から条件を並べられても、自分が知らないところで行き先まで決められるわけではない。
書類の意味を全部理解できなくても、決める権利そのものまで失ったわけではなかった。その当たり前を、イェルシェリナが当たり前のまま守ってくれることが嬉しかった。
「ただし、何でも反射的に断るつもりもないわ」
「え?」
「条件が悪いから断るのと、知らないから断るのは別でしょう。あなたが興味を持つものなら、問題点を整理してから考えればいい」
「じゃあ、面白そうなのがあったら見ていい?」
「もちろん。そのために本人へ見せるのよ」
イェルシェリナは書類を取り上げるのではなく、リゼルヴェートの前へ別の束を寄せた。最初から本人を外して処理するつもりがないのだと、その動きだけでも分かる。
自分だけでは読み切れなくても、分からないところを三人に聞けばいい。リゼルヴェートは少し安心しながら、今度は差出人だけを一つずつ眺めていった。
その横で、ゼルディヴァンはすでに別の問題を見つけていた。届いた書簡の中には正式な国家機関のものと、聞いたことのない団体名のものが混ざっている。
肩書だけなら立派でも、本当にその組織が存在するのか、差出人に交渉権限があるのかを確認しなければならないらしい。内容を読む以前に、信用していい手紙かどうかを分ける必要があった。
「俺はまず差出人を洗う。正式な国の窓口と、民間組織と、個人名義は分けた方がいい」
「至冠者本人からのものもある?」
「ある。そこはさらに別だな。普通の面会なのか、至冠戦関係なのかで扱いが変わる」
「じゃあ俺は、実際に来られた時の方を見るか」
ルシェルトも書類を一通手に取り、記された人数や滞在希望期間へ目を走らせていた。面会を受けるかどうかだけなら紙の上で決められても、相手が実際に王都まで来れば、必要になるものは一気に増える。
今の小さな拠点へ全員を押し込むわけにもいかず、受け入れ場所そのものから考える必要がありそうだった。
「面会を受けるにしても、この拠点に何十人も来られたら入らない。宿、移動、護衛、場所まで必要になる。書面上は受けられそうでも、現実に回せないなら意味ないからな」
「そんなところまで見るの?」
「そこまでやらないと、返事した後で困る」
リゼルヴェートは三人のやり取りを聞きながら、目の前の大量の封書をもう一度見た。さっきまでは全部が同じような《大変そうな手紙》に見えていたのに、三人が触り始めると、それぞれ違う問題を持った案件に分かれていく。
イェルシェリナは権利と条件を見て、ゼルディヴァンは相手が誰なのかを調べ、ルシェルトは実際に動かせる話なのかを確かめる。自分一人では何から読めばいいのかさえ分からなかった山が、少しずつ扱える形になっていった。
「私は?」
尋ねながら、リゼルヴェートは三人の間にできた役割分担へ自分だけ入っていないような気がしていた。けれど、イェルシェリナはすぐに書類を一枚こちらへ寄せ、最後に決める部分を示すように指先を置いた。
何でも自分で処理する必要はなくても、本人でなければ決められないことは残っているらしい。
「あなたは最後に決める側。会いたいか、行きたいか、協力したいか、戦いたいか。そこはあなた以外が決めることじゃないわ」
「そっか」
「戦闘の案件なら、途中からでもゼルディヴァンと一緒に見てもらうことになるけどね」
「それなら得意!」
「そこだけ元気になるなよ」
ルシェルトに言われ、リゼルヴェートは笑った。書類仕事そのものが得意になったわけではないが、自分の役割がなくなったわけでもないらしい。
第三十一位になったことで世界から向けられるものが増えても、四人の中で自分だけが全部背負う必要はなかった。戦う時とは違う形でも、三人がそれぞれ自分にはできない部分を担ってくれている。
少し離れた椅子に座っていたアシェラは、そのやり取りが一段落するまで口を挟まずにいた。机を埋める封書へ一度だけ目を向けた後、今度はそれ以上に驚いているリゼルヴェートの方を見る。
大量の書簡そのものより、リゼルヴェートがようやく状況を実感したことの方が気になっているようだった。
「……澪桜、有名」
「うん。なんか、すごいことになってるみたい」
「……今さら」
「今さらなの!?」
思わず振り向くと、アシェラはそれ以上説明する気がないらしい。いつもの淡々とした顔のまま、再び黙ってしまった。
リゼルヴェートとしては今日初めて実感したところなのに、アシェラからすると遅すぎる反応らしい。何を基準に今さらと言われたのかまでは分からず、少しだけ納得がいかなかった。
整理はその後もしばらく続いた。祝辞だけのものは比較的簡単だったが、面会要請や契約提案は条件を確認する必要があり、研究関係の照会には《常世星桜》についてどこまで答えるかという別の問題もある。
中には、能力測定のため一定期間施設へ滞在することを求めながら、測定結果を誰が使えるのか曖昧なものまであった。
「これは保留ね」
「悪い手紙?」
「悪いとまでは言わないわ。でも、何をどこまで調べるのか書いてない。結果を誰へ渡すのかも分からない」
「じゃあ聞き返すの?」
「あなたが興味あるならね」
「ちょっと気になるかも」
「なら、確認事項を付けて返すわ」
そんなふうに、一通ずつ意味を確かめていく。知らない相手から届いたものでも、全部が敵意を持っているわけではない。純粋に祝ってくれるところもあれば、研究したいところもあり、商売をしたいところもある。
ただ、その中に《第三十一位》という肩書を、自分本人より先に見ている相手が混じっていることだけは分かり始めた。
レグシェリアとの至冠戦では、目の前の相手だけを見ていればよかった。攻撃が来れば防ぎ、危険なら避け、勝つためにどう動くかを考えればいい。
けれど今は、何も飛んでこない机の前の方が、どこを見ればいいのか分からない。強さではどうにもならないものが、第三十一位になった途端に一気に増えていた。
「これで祝辞は大体分けたな」
ゼルディヴァンは一つの束を横へ移し、次に確認する封書へ手を伸ばした。差出人を見たところで動きが止まり、似た形式の封書を机の別の場所から二通、その下からさらに一通抜き出していく。
今まで処理していた祝辞や面会要請とは違い、どれも同じ形式で整えられていた。
「イェルシェリナ。これ、先に見た方がいい」
「何?」
「至冠者からだ。しかも形式が同じ」
イェルシェリナが一通を受け取り、封と冒頭部分を確認した。表情は大きく変わらなかったが、今までの勧誘や面会要請とは別の場所へ置いたことで、リゼルヴェートにも種類が違うと分かった。
ルシェルトも作業の手を止め、机の上に並んだ同形式の封書を数えている。四人の間に流れていた書類整理の空気が、そこで少しだけ変わった。
「正式な至冠戦申請ね」
「え?」
「一通じゃないわ。複数ある」
「もう次の人がいるの!?」
驚いて封書を見つめても、当然ながら向こうから返事はない。レグシェリアとの戦いが終わったばかりで、リゼルヴェート自身にはまだその余韻すら残っている。
それなのに世界のどこかでは、第三十一位になった自分を次の対戦相手として見定め、正式な手続きを進めた至冠者がすでに何人もいる。
机の上には、祝辞も、勧誘も、契約も、研究依頼も、そして新しい戦いへの申請も積まれていた。少し前までリュネヴァルトの小さな拠点で暮らしていた自分の名前が、今は国境を越え、知らない誰かの判断を動かしている。
第五十一位として世界へ名前が載り、第三十一位になったことで、その世界が今度はこちらへ向かって動き始めた。
第一歩を外へ踏み出したのはリゼルヴェートだった。けれど今、机を埋める封書の一枚一枚が、世界の側から彼女へ手を伸ばしている。
第三十一位になった少女は、その重みを順位の数字ではなく、目の前へ積み上がった世界そのものによって初めて実感していた。




