第一章 35 『新しい第三十一位』
激しく輝いていた《至冠印》の光が収まった瞬間、リゼルヴェートは左手の甲ではなく、自分の内側に起きた変化へ気づいた。これまで理由もなく分かっていた《第五十一位》という感覚が、きれいに消えている。
代わりにそこへ収まった数字は、昨日までレグシェリアのものだった位置だった。誰かに教えられるより早く、自分が今どこにいるのかだけは不思議なくらいはっきり理解できた。
「……第三十一位」
思わず口に出すと、片膝をついたままのレグシェリアが左手を見た。彼女の《至冠印》もすでに光を弱めており、先ほどまで戦場を覆っていた雷雲は急速に薄れ始めている。
青銀の雷も地面から消え、朝から晴れていた空が少しずつ元の青さを取り戻していた。戦いが終わったのだと、ようやく景色の方まで追いついてきたようだった。
「こちらは第五十一位です。入れ替わりましたね」
「ほんとにそのまま交換されるんだ……」
「正式な《至冠戦》ですから」
昨日ゼルディヴァンから説明されていた通りの結果なのに、実際に自分の中の数字が変わると妙な感じがする。第五十一位になった時も突然だったが、今回は目の前にいた第三十一位を倒した直後に、その位置だけが自分へ移ってきた。
勝った実感より、順位が本当に交換される仕組みの方へ一瞬気を取られてしまい、リゼルヴェートはまだ周囲へ浮かべていた星桜花弁をようやく消した。
戦闘域の外から最初に動いたのはガルヴェインだった。安全確認をしながら兵士たちが戦場へ入り、エリゼナもその少し後ろからこちらへ向かってくる。
イェルシェリナたち三人とアシェラも続いており、遠くにいたアルヴェディオとセレヴィナまで動き始めていた。戦っていた最中にはほとんど意識を向けられなかったが、全員が最後までここで見ていたらしい。
「両者、そこから動くな。まず状態を確認する」
「私は大丈夫です」
「私も問題ありません」
ガルヴェインは二人の返答だけで済ませず、王国側の確認が終わるまで待つよう告げた。リゼルヴェート自身は痛いところもなく、少し戦ったという感覚以上の疲労もない。
それでも正式な至冠戦を終えた直後なのだから確認が必要なのだろうと考え、素直にその場へ残った。隣ではレグシェリアが立ち上がったものの、先ほど膝をついた影響か、呼吸が完全に整うまでは少し時間がかかっているように見えた。
「リゼルヴェート!」
エリゼナが近づいてきた時の声は、いつもよりわずかに強かった。怪我がないと分かると、視線を一度レグシェリアへ向け、それから戦場中に残った焦げ跡と砕けた地面を見回している。
リゼルヴェートにはその顔から何を考えているのかまでは分からなかったが、王国軍の訓練施設で自分の力を見た時以上に驚いていることだけは分かった。
「怪我は?」
「ないよ。花弁はいっぱい壊されたけど」
「……本人じゃなくて、そっちなのね」
「うん。でもレグシェリアさん、本当に強かったよ」
素直に答えると、少し離れたところでレグシェリアがこちらを見た。敗北した直後なのだから怒らせただろうかと一瞬心配したものの、その表情に分かりやすい苛立ちはない。彼女は呼吸を整えてからリゼルヴェートの方へ歩き、途中で足を止めた。
「その評価は、そのまま返します」
「え?」
「私は新規至冠者という情報だけで、あなたを弱いとは判断していませんでした。ですが、実際に戦えば把握できると思っていた。その判断自体は間違っていなかったと思います」
レグシェリアはそこで一度、戦場に残った桜金色の光の名残へ視線を落とした。
覚醒した自分の攻撃が防がれ、最終的には正面から押し切られた事実を隠そうとしているようには見えない。むしろ結果を整理するように一つずつ言葉を選んでいた。
「速度へ対応し、複数方向からの雷撃を処理しながら、同時に私への攻撃まで成立させた。覚醒後も対応数と制御が落ちず、戦場全体へ広げた星桜を同時に動かしたまま、最後は正面の攻撃まで押し返された。
少なくとも今日の戦闘に関しては、能力相性や偶然で片づけられる敗北ではありません」
「そこまで言われると、なんか恥ずかしい……」
「評価です。遠慮するところではありません」
「そういうもの?」
「そういうものです」
負けた相手からここまで真っ直ぐ言われると思っていなかったため、リゼルヴェートの方が困ってしまった。少なくともレグシェリアは、第五十一位へ落ちたことを理由に言い訳を探しているようには見えない。
昨日会った時から真面目な人だとは思っていたが、戦いが終わったあとまで変わらないらしい。
その様子を見ていたアシェラが、いつの間にかすぐ横まで来ていた。
リゼルヴェートが顔を向けると、彼女は戦場とレグシェリア、それからリゼルヴェートを順番に見上げる。何か言われる気がして待っていると、アシェラは相変わらず平坦な声で口を開いた。
「……澪桜。楽しそうだった」
「えっ」
「……戦ってる途中」
「だって、強かったから……」
「……知ってる」
そこへルシェルトが来て、思い切り呆れた顔をした。ゼルディヴァンはもっと別のところを気にしているらしく、リゼルヴェート本人より先に第三十一位という数字について考えているようだった。
イェルシェリナに至っては、こちらの無傷を確認して安心した直後から、すでに戦闘後の話へ意識を切り替えている。
「喜んでる場合じゃないわよ。第五十一位から第三十一位へ一戦で上がったの」
「ゼルディヴァンにも昨日言われた」
「分かってる顔に見えないのよ」
「勝ったら上がるんだよね?」
「そこまでは分かってるのね……」
イェルシェリナが額へ手を当てる横で、ゼルディヴァンは戦場外にある観測記録の方へ視線を向けた。今回の結果が正式な至冠戦として成立した以上、問題は勝敗だけでは終わらないらしい。
リゼルヴェート自身にはまだ具体的な広がりまでは見えなかったが、三人の反応を見る限り、これから面倒なことが増えるのだけは分かった。
その日のうちに、王城の《序冠碑》でも変化は確認された。
戦場から戻ったリゼルヴェートたちがそこへ着いた時には、以前第五十一位として刻まれていた位置から彼女の名は消えていた。
代わりに第三十一位の場所へ《リゼルヴェート・アルシェノア》が現れ、第五十一位には《レグシェリア・ヴァルディナ》の名がある。誰かが書き換えた形跡はなく、戦場で《至冠印》が光った時点でこちらも変わっていたらしい。
「本当に変わってる……」
碑を見上げながら呟くと、隣に立ったセレヴィナも第三十一位の位置へ視線を向けた。アルヴェディオ、宰相エルグレディオ、ガルヴェインもその場におり、王国側の確認は戦場から王城へ移っても終わっていない。
リゼルヴェートにとっては数字が変わっただけでも、周囲にとってはそれ以上の意味があるようだった。
「建国以来初の至冠者が現れたと思えば、最初の正式戦で第三十一位か」
アルヴェディオの声には、戦場へいた時とは違う重さがあった。
「私、何かまずかったですか?」
「いや。君は正式に申し込まれた戦いを受け、勝った。それ自体に問題はない」
アルヴェディオはそこで言葉を切り、《序冠碑》へ目を戻した。責められているわけではないと分かっても、その後ろにまだ何か続きそうな言い方だった。
案の定、今度はエルグレディオが現在の序列が国外からどう見えるかを確認するように、静かな口調で続けた。
「問題があるとすれば、この結果を各国がどう受け取るかです。第五十一位として現れたばかりの人物が、第三十一位を正式戦で正面から破った。少なくとも、これまでと同じ情報量では扱われなくなるでしょう」
「それって、ノルシェリア派も?」
リゼルヴェートが聞くと、今度はガルヴェインが答えた。
「当然だ。お前が正式所属している以上、切り離して考える方がおかしい」
その言葉に、リゼルヴェートは少しだけ目を瞬いた。ほんの少し前までノルシェリア派は、王都の中でも後回しにされることが多く、危険な任務を回されても強く文句を言える立場ではなかった。
自分が加わったから全部が急に変わったわけではないはずだが、それでも「最弱派閥」とだけ呼んで済ませられる状態ではなくなっているらしい。
イェルシェリナはすぐに喜ぶような顔をせず、アルヴェディオたちと今後の対応について短く確認を交わしていた。
ゼルディヴァンは第三十一位へ上がったことで増える情報を整理し、ルシェルトは王城と拠点の往復、それに今日中に必要な受け取りや連絡を確認している。
それぞれ見ているものは違うのに、全員がもう次に必要なことへ動いていた。
リゼルヴェートはそれを眺めてから、もう一度《序冠碑》を見上げた。
第三十一位。
二週間ほど前まで、日本で普通に高校へ通っていた自分が、今は異世界でそんな場所にいる。実感があるのかと聞かれれば、まだあまりない。
それでも、レグシェリアと戦ったことだけははっきり楽しかったし、勝ったことも嬉しかった。
「レグシェリアさん」
少し離れた場所にいた彼女へ声をかけると、すぐにこちらを向いた。
「今日はありがとう。戦えてよかった」
「敗者へ言う言葉としては少し変わっていますね」
「嫌だった?」
「いいえ」
レグシェリアはわずかに目を細め、そのまま第三十一位の場所へ刻まれた名を見た。悔しさがないわけではないのかもしれないが、リゼルヴェートには表情からそこまで断定できない。
ただ、結果から目を背ける人ではないことだけは、今日一日で十分に分かった。
「次に戦う時も、同じ結果になるとは思わないでください」
「うん。じゃあ、その時は私もまた頑張るね」
「……そこで怯まないんですね」
「だって、その方が楽しそうだから」
レグシェリアは一瞬だけ黙り、その後で小さく息を吐いた。呆れられた気もするが、怒らせたわけではなさそうなので、リゼルヴェートはそれ以上気にしないことにした。
◇
同日夜。
ノルシェリア派の拠点へ戻った頃には、さすがのリゼルヴェートも長い一日が終わった気分になっていた。至冠戦をして、第三十一位になって、王城で何度も確認を受け、ようやくいつもの拠点へ戻ってきたのだから、今日はもう夕食を食べてゆっくりしてもいいはずだ。
扉を開けた時に漂ってきた見慣れた空気へ、戦場よりずっと強く安心してしまうくらいには、ここが自分の帰る場所になっていた。
「やっと終わった……!」
「終わってないわよ」
イェルシェリナの返事が早すぎて、リゼルヴェートは靴を脱ぎかけた姿勢のまま顔を上げた。ゼルディヴァンとルシェルトもなぜか居間の机を見ており、アシェラだけが普段と変わらない様子で先に部屋へ入っていく。
その全員の視線を追った先に、朝にはなかったものが大量に積まれていることへ気づいた。
「……何、あれ?」
「今日届いた分」
「今日だけで?」
「今日だけで」
机の上には、封蝋の色も紙質も違う公文書が何通も並んでいた。王国内の書類とは明らかに違う紋章が付いたものも多く、リゼルヴェートにはどれがどの国なのかまでは分からない。
けれど六つの大国すべてから正式な照会や接触の文書が届いているのだとイェルシェリナに説明され、さすがに足が止まった。
「六大国、全部?」
「全部よ。内容はこれから確認するけど、少なくとも正式文書として届いてる」
ゼルディヴァンが送り主と到着順を整理し、ルシェルトは追加分がないかまで確認している。リゼルヴェートだけが状況へ追いつけず、恐る恐る机へ近づいた。
今日の朝までなら、六大国と聞いても遠い国々という印象の方が強かったのに、その全部から同じ日に文書が届いている。
そして一番上の封書を見た瞬間、リゼルヴェートはようやく共通点へ気づいた。
その下も。
さらにその下も。
六大国から届いた正式照会と接触文書、そのすべての宛名には、同じ名前が記されていた。
――《リゼルヴェート・アルシェノア》




