第一章 32 『帝国の雷』
戦場中央で向かい合った第五十一位の少女からは、第三十一位へ挑む者らしい緊張がほとんど感じられなかった。肩に余計な力は入っておらず、呼吸も乱れていない。
白桃色の髪が朝の風に揺れ、その淡い桜金色の瞳だけが真っ直ぐレグシェリアを見ている。だからといって、レグシェリアはそれを油断だとは決めつけなかった。
緊張しない理由など、いくらでもある。自分の力を信頼しているのかもしれないし、戦闘前に気負わない性質なのかもしれない。
第三十一位という数字を理解した上で、それでも必要以上に身構える理由がないと判断している可能性もある。何にせよ、まだ一度も攻撃を交わしていない段階で結論を出すには早すぎた。
戦闘域の外側には、リュネヴァルト側の関係者が揃っている。国王アルヴェディオと王女セレヴィナ、その近くにはガルヴェインとエリゼナがおり、さらにイェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルトが観測位置から戦場を見守っていた。
アシェラも少し離れた位置に立ち、その周囲には王国兵と観測員、さらに外には昨日までに確認された防壁と退避経路が続いている。至冠者同士が戦うためだけに用意された空間としては、それでも過剰とは思えなかった。
空は快晴だった。雷雲はなく、朝の陽光が遮られることもない。それでもレグシェリアの足元では細い青銀の電光が断続的に走り、石造りの地面へ短い光の筋を残しては消えている。
自然の雷とは無関係に、《雷帝金剛》が戦闘開始を待ちながら静かに高まり続けていた。
「――最終確認を行う」
戦闘域外からガルヴェインの声が響く。
「本戦は、リゼルヴェート・アルシェノアとレグシェリア・ヴァルディナによる正式な《至冠戦》として実施する。降参、戦闘続行不能、その他明確な決着をもって勝敗を認定する。殺害を目的とする戦闘ではない。両者、異議はないか」
「ありません」
「はい。大丈夫です」
二人の返答が続けて返った。
殺害は禁止されているわけではない。至冠戦には決着の形そのものが記録として残り、その違いは順位とは別の評価にも繋がる。
それでも今回、帝国から命じられたのはリゼルヴェートの戦力確認であって殺害ではなく、レグシェリア自身も相手を殺してまで得るべき情報があるとは考えていなかった。
必要なのは、第三十一位として正しく戦うことだ。
「リゼルヴェート」
「はい?」
レグシェリアは正面から相手を見た。
「昨日も伝えましたが、新規至冠者だからという理由で手加減はしません。確認のために戦う以上、私が弱く戦えば結果そのものが意味を失います」
リゼルヴェートは少しだけ目を丸くしたあと、すぐに明るく頷いた。
「その方が分かりやすいです。私もちゃんとやります」
「それで構いません」
虚勢には聞こえなかった。だからといって、本当に第三十一位へ対応できる証明にもならない。言葉で判断する段階は、もう終わりだった。
左手甲の《至冠印》は、昨日正式受諾を交わした時と同じ位置にある。順位だけを見れば第三十一位と第五十一位。その差を実際の強さへそのまま置き換えていいのかどうかは、今から自分の目で確かめればいい。
「開始の合図以降、双方の判断で真律使用を認める。周辺防壁への故意の攻撃は禁止。戦闘域外への攻撃が発生した場合は、安全確保を最優先とする」
条件が読み上げられる間も、レグシェリアはリゼルヴェートの立ち方を見ていた。距離は十分にあり、遠距離攻撃から反応を見ることも、一気に接近して防御能力を測ることもできる。
《常世星桜》について得られている情報は、複数対象への同時干渉、広範囲への対応、強化標的を低出力でも破壊したことなど断片的なものばかりで、それだけから能力全体を決めつける気はなかった。
なら、こちらから条件を作る。
「双方、構えろ」
ガルヴェインの声が変わった。
レグシェリアは右足を半歩引き、腰を落とした。それだけで足元を走る青銀雷が一段強くなり、地面を這っていた光が細かな枝を広げるように増えていく。
対するリゼルヴェートは足幅を少し整えただけで、大きく構えを変えようとはしなかった。
「……そのままでいいんですか?」
思わず確認すると、リゼルヴェートは一度自分の姿勢を見下ろし、それから顔を上げた。
「うん。この方が動きやすいから」
「分かりました」
無防備に見える。だが、無防備と本当に隙があることは同じではない。初動を見てから対応するつもりなら、むしろ構えを固定しない方が都合のいい場合もある。
レグシェリアの意識が戦闘だけへ絞られた。
「――始め!」
合図と同時に、《雷帝金剛》が一気に立ち上がった。
青銀の雷光が全身を包み、空気が破裂するような音を立てる。肩から腕、胸、脚へと電光が絡みつき、踏み込む前から足元の石畳へ細かな亀裂が走った。
身体強化だけに留まらない雷圧が全身へ巡り、それまで抑えていた力が戦闘用の密度へ変わっていく。
「……すごい」
正面からリゼルヴェートの声が届いた。
驚いてはいる。だが、一歩も下がっていない。
なら、そのまま受けてもらう。
——『雷帝槍装』
右腕を中心に青銀の雷が急速に収束した。前腕から先へ伸びるように長い雷槍の輪郭が形作られ、周囲へ散っていた電光まで一点へ引き寄せられていく。正面から防御された場合でも、その防御ごと撃ち抜くための攻撃形態だった。
「それ、腕に雷を集めてるんですか?」
「見る余裕はあるんですね」
「今のところは!」
答えながらも、リゼルヴェートの視線は雷槍から外れない。軽口を交わしているようで、注意そのものは途切れていなかった。
レグシェリアは右腕の完成を確認し、次の瞬間には踏み込んでいた。
——『紫電天駆』
視界の両端が引き延ばされた。
全身を包んでいた青銀雷が一斉に後方へ爆ぜ、地面を蹴った感触より先に前方の景色が流れる。戦場中央を隔てていた距離が一瞬で消失し、遅れて破裂音と雷光が通過した軌道へ追いついた。
「速っ……!」
リゼルヴェートの声が近い。
レグシェリアの視線がわずかに鋭くなる。驚きの声は出たが、その桜金色の瞳は自分を追っていた。紫電天駆そのものを見失ってはいない。
だが、視認できることと攻撃へ対応できることは別だ。
「まだです」
接近の勢いを殺さず、そのまま右腕を前へ突き出した。
狙いは胴体中央。回避するなら進路を変える。防御するならその防御ごと押し切り、迎撃してくるなら接触点で次の動きへ繋ぐ。最初から相手の手を一つに決めつけず、何を選ばれても対応できる位置へ身体を運ぶ。
「うわ、これ結構まずいやつ……!」
リゼルヴェートの周囲へ、淡い桜金の光が浮かび始めた。
小さな花弁にも見える。
報告で聞いた《常世星桜》の現象か。
それ以上は分からない。防御か、迎撃か、攻撃か、それともまるで別の使い方なのか。初見で答えを決めるより、実際にぶつけて結果を見る方が早い。
「受けてください――第五十一位!」
「うん、やってみる!」
リゼルヴェートは逃げなかった。
その返答を聞いた瞬間、レグシェリアはさらに一歩深く踏み込み、右腕を振り抜いた。
青銀の雷槍がリゼルヴェートの正面へ叩き込まれた瞬間、戦場中央から耳を潰すような轟音が弾けた。雷光と衝撃が一点から爆発的に広がり、快晴の空の下で白青の閃光が二人の姿を呑み込んでいく。
外周の防壁まで衝撃波が到達し、石造りの地面を伝った震動が遅れて返ってきた。
巻き上がった土煙の中へ、青銀雷が何度も走る。その奥には先ほど生まれた桜金の光も混ざっているように見えたが、レグシェリアにもまだ何が起きたのかまでは確認できない。
第三十一位として叩き込んだ初撃と、それを真正面から迎えた第五十一位の選択――その結果だけを激しい雷光の向こうへ隠したまま、戦場中央は完全に見えなくなった。




