第一章 3 『拾われた転生者』
茂みを押し分けて現れた三人と、簡素な白い衣服しか身につけていないリゼルヴェートの視線が、ほとんど同時にぶつかった。
先頭にいたのは、深い葡萄紫の髪を片側へ流した少女だった。二本の編み込みが後頭部で交差し、右前髪には鈍い銀色の筋が一本だけ混じっている。その少し後ろには、青緑色の髪をした細身の少年と、淡い砂銀色の髪をした少年が立っていた。三人ともリゼルヴェートとそう年齢が離れているようには見えないが、森の中を歩くための服装と最低限の荷物をきちんと整えている。
対してリゼルヴェートには何もない。鞄もなければ、外套もなく、靴すらまともな旅装には見えない。さっきまでその不自然さを気にする余裕がなかったものの、三人と向かい合ったことで、自分が今どれほど場違いな姿をしているのかを初めて実感した。
三人も同じことへ気づいたらしい。先頭の少女はすぐには近づかず、数歩分の距離を残したままリゼルヴェートとアシェラを交互に見た。後ろの青緑髪の少年も周囲へ視線を走らせているが、誰も武器を向けたり、攻撃しようとしたりする様子はない。
「――驚かせたなら悪かったわ。私たちも、こんなところに人がいるとは思っていなかったの」
最初に声をかけてきたのは、やはり先頭の少女だった。
「私はイェルシェリナ・クロヴェリア。こっちがゼルディヴァン・アルネグラート、その隣がルシェルト・ヴァルネイド。あなたは?」
「リゼルヴェート・アルシェノアです」
口にしてから、自分でも少し不思議な気分になった。ついさっき知ったばかりの名前なのに、名乗ること自体には何の違和感もない。
イェルシェリナはそれを聞いて小さく頷いた。
「リゼルヴェートね。所属は?」
「所属……?」
「国でも町でも村でもいいわ。どこから来たの?」
そこでリゼルヴェートは困った。
日本から来た、と答えて通じるのだろうか。そもそも日本がこの世界にないことくらいは、さすがに想像できる。別の世界から来ましたと素直に言ったところで、初対面の相手が信じてくれるとも思えなかった。
「えっと……たぶん、こことはすごく遠いところです」
我ながら曖昧すぎる答えだった。
イェルシェリナの眉がわずかに寄る。その隣で、ゼルディヴァンがリゼルヴェートの足元から周囲の木々までを静かに見回した。
「遠いところから来た人間が、荷物なし、旅装なしで森の中にいるのか?」
「……そう言われると、変だよね」
「変だ」
即答された。
リゼルヴェートにも反論できない。
ゼルディヴァンは責めるような口調ではなかった。ただ、目の前にある事実を一つずつ確認しているように見える。
「近隣の住民なら、少なくともこの森へ入る服装じゃない。旅人なら荷物がないのがおかしい。道に迷ったにしても、ここまで来る間に使った装備が何も見当たらない」
「ゼルディヴァン」
「分かってる。決めつけてはいない。おかしいと言ってるだけだ」
イェルシェリナに名前を呼ばれ、ゼルディヴァンはそこで口を止めた。
疑われるのは当然だった。リゼルヴェート自身、自分の状況を第三者へ説明できる気がしない。事故で死んだあと、よく分からない白い空間でアシェラに会い、別の世界なら生きられると言われて了承したら、身体も名前も変わって森にいた。それが今のところ全部なのだから、説明すればするほど怪しくなりそうだった。
「怪我は?」
イェルシェリナが問いを変えた。
「ないと思う」
「思う?」
「さっき起きてから見た感じでは、痛いところもないし、普通に動けるから」
「さっき起きた?」
「あ」
余計なことを言った気がした。
案の定、ゼルディヴァンの視線が少し鋭くなる。
「この森で?」
「うん」
「誰かと一緒に来たわけじゃない?」
「アシェラはいるけど……」
三人の視線が、リゼルヴェートのすぐ隣に立つアシェラへ集まった。
月白色の髪をした小さな少女は、注目されても特に反応せず、いつも通り無表情で三人を見返している。
「その子は?」
「アシェラ」
「……知ってる」
「名前しか言ってないよ?」
「……十分」
何が十分なのかは分からなかったが、少なくともアシェラに説明役を期待するのは間違いらしい。
イェルシェリナはアシェラをしばらく見たあと、もう一度リゼルヴェートへ視線を戻した。
「二人とも、ここまでどうやって来たのか説明できる?」
「それが……上手く説明できなくて」
「覚えていないの?」
「覚えてはいるんだけど、説明するとたぶんもっと変になるというか……」
言い淀むリゼルヴェートを見ても、イェルシェリナは無理に続きを迫らなかった。ただ、完全に納得したようにも見えず、灰青色の瞳でこちらを注意深く見ている。
その横から、ルシェルトが小さく息を吐いた。
「まあ、怪しいのは怪しいけどさ。とりあえずその格好で立たせたまま話す方が先にどうかしてないか?」
彼は肩から下げていた鞄を開き、中から水の入った容器を取り出した。そのままリゼルヴェートへ差し出し、さらに自分の上着まで脱ぐ。
「ほら。水。あとこれ着ろ」
「え、いいの?」
「いいから。寒くないのか?」
言われて初めて、リゼルヴェートは自分の腕を撫でた。転生した直後は身体が戻ったこと自体に気を取られていたが、森を抜ける風は思っていた以上に冷たい。
「ちょっと寒いかも」
「だろ。見てるこっちが寒い」
「ルシェルト、まだ何者か分かってない」
「ゼルディヴァンは疑う担当でいいだろ。俺まで一緒に疑ってたら、この子ずっとその格好だぞ」
「疑う担当になった覚えはない」
「でも一番疑ってるだろ」
ルシェルトに返され、ゼルディヴァンは否定しなかった。
リゼルヴェートは渡された水を受け取り、少し迷ってから口をつけた。冷たい水が喉を通る感覚だけでも、身体が本当に生きていることを改めて実感する。上着も借りて肩へ掛けると、さっきまで直接肌へ当たっていた風がかなり和らいだ。
「ありがとう、ルシェルト」
「どういたしまして。普通に礼が言えるなら、とりあえず安心した」
「そこ安心するところ?」
「森の中で突然見つけた、荷物なし、旅装なし、出身不明の女の子だからな。安心材料は一個でも多い方がいい」
「言われるとすごく怪しい……」
「自覚はあるんだな」
ルシェルトの口調には警戒よりも呆れの方が強く、リゼルヴェートも少しだけ肩の力が抜けた。
ただ、イェルシェリナとゼルディヴァンはまだ状況を整理しようとしているらしい。特にイェルシェリナは、リゼルヴェートへ質問を重ねるというより、何を聞くべきかを選んでいるように見えた。
「近くに知り合いは?」
「いないよ」
「迎えが来る予定は?」
「ない」
「帰る場所は?」
その問いに、リゼルヴェートはすぐ答えられなかった。
帰る場所。
日本の家ならある。昨日までなら、学校が終われば当たり前に帰っていた場所だ。家族もいる。自分の部屋もある。
けれど、もうそこへは戻れない。
アシェラからそう聞かされたばかりだった。
「……ない」
口にしてみると、その事実は思っていた以上に重かった。
この世界で知っている場所は一つもない。町の名前も国の名前も分からず、頼れる相手も目の前のアシェラしかいない。そのアシェラでさえ、森からどこへ行けばいいのかを積極的に説明してくれる様子はなかった。
イェルシェリナはすぐには何も言わなかった。
ゼルディヴァンが先に口を開く。
「素性はほぼ不明。話にも空白が多い。このまま信用する材料はない」
「うん」
「ただし、嘘だと断定できる材料もない」
「うん」
「少なくとも、この格好で森に放置するのは危険だ」
「それも分かってるわ」
二人の会話を聞きながら、リゼルヴェートは少し意外に思った。疑われていること自体は分かるのに、それを理由に追い払おうとしているようには見えない。
ルシェルトも同じらしく、鞄の中身を確認しながら口を挟んだ。
「食い物も持ってないだろ?」
「持ってない」
「金は?」
「ない」
「身分証は?」
「……たぶんない」
「たぶんってなんだよ」
「こっちの身分証がどういうものか知らないから」
ルシェルトの手が止まった。
ゼルディヴァンも黙り、イェルシェリナまで何とも言えない顔でリゼルヴェートを見る。
「……そんなに変なこと言った?」
「かなり」
ルシェルトが代表して答えた。
「そっか……」
「落ち込むところじゃない。むしろ今ので、さらに放っておけなくなった」
「なんで?」
「何も知らないからだよ」
その言葉には、リゼルヴェートも返すものがなかった。
この世界について何も知らないという事実だけは、間違いなくその通りだった。
イェルシェリナは腕を組み、リゼルヴェートとアシェラを順番に見た。完全に警戒を解いたわけではないことは、その慎重な視線からも分かる。それでもしばらく考えたあと、彼女は大きく息を吐いて腕を解いた。
「少なくとも、ここで全部聞き出そうとするのはやめましょう。日が落ちる前に森を出た方がいいわ」
「連れていくのか?」
ゼルディヴァンの問いに、イェルシェリナは迷わなかった。
「この状態で置いていく方が問題よ。信用できるかどうかは、その後に確認すればいい」
「俺は反対してない。確認しただけだ」
「なら決まりね」
そのやり取りを聞いていたリゼルヴェートは、ようやく自分が三人に追い払われるわけではないらしいと理解した。
知らない森。知らない世界。自分の身体も名前も変わり、帰る場所もない。
それでも、最初に出会った三人は、少なくとも何も分からない自分をそのまま置き去りにはしなかった。
イェルシェリナがリゼルヴェートへ向き直る。
「行く場所がないなら、ひとまず私たちのところへ来なさい」
その申し出がどこへ続くのか、リゼルヴェートにはまだ分からない。ただ、何一つ知らないこの世界で初めて、自分から歩いて向かえる場所ができたことだけは確かだった。




