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第一章 29 『至冠戦』





 《至冠序列第三十一位》という数字を見た瞬間、ゼルディヴァンが最初に考えたのは、リゼルヴェートが勝てるかどうかではなかった。


 第五十一位が第三十一位へ勝った場合、その結果を見た王国と帝国、そしてまだ顔も知らない他国の至冠者たちがどう動くか。


 二十という順位差を一戦で消した時、昨日まで最弱だったノルシェリア派がどこまで別物として見られるようになるか。戦闘そのものより先に、そちらの計算が頭の中へ並んでいた。


 昨夜届いた正式通知は、今朝になっても机の中央を占領していた。差出元はヴァルグレシア帝国、申請対象はリゼルヴェート・アルシェノア、対戦予定者は《至冠序列第三十一位》レグシェリア・ヴァルディナ。


 帝国側の目的は新規《至冠者》の戦力確認と明記されており、少なくとも文書上は侵攻でも処罰でもない。それでも正式な《至冠戦》である以上、ただの模擬戦として処理できる話ではなかった。


「二十も上なんだよね?」


 リゼルヴェートは通知書を覗き込みながら、自分の第五十一位と相手の第三十一位を指で追っていた。数字の差そのものには気づいているが、その結果が何を意味するかまではまだ結びついていないらしい。ゼルディヴァンは説明の順番を一度組み直し、必要な部分だけを取り出した。


「まず、《至冠戦》は至冠者同士が正式に成立させる戦いだ。普通の訓練試合と違って、勝敗は順位に影響する場合がある」


「場合がある?」


「下位が上位に明確に勝った時だ。その場合、二人の順位が入れ替わる」


 リゼルヴェートが一度黙り、もう一度書面へ視線を落とした。第五十一位と第三十一位。その二つが交換されると言われれば、さすがに意味は伝わったらしい。隣で聞いていたルシェルトも腕を組み、通知書の数字を見ながら眉を寄せている。


「つまり、リゼルヴェートが勝ったら第三十一位?」


「そうなる」


「じゃあ、相手の人は第五十一位?」


「基本的にはそうだ。順位そのものを賭ける形式というより、正式な至冠戦で下位が上位を明確に倒した結果として入れ替わる」


 机の反対側では、イェルシェリナが帝国から届いた条件書を確認している。昨夜から何度も読み返しているはずだが、文面の抜けを探すように一行ずつ視線を動かしていた。アシェラは少し離れた椅子へ座り、相変わらず何も言わずにリゼルヴェートを見ている。


「でも、こういう戦いって……負けた方が死ぬまでやるの?」


 リゼルヴェートの問いに、ゼルディヴァンは首を横へ振った。そこは先に誤解を消しておいた方がいい。至冠戦という名前だけ聞けば、そう考えても不自然ではなかった。


「死亡は必要条件じゃない。戦闘不能、降参、それ以外でも勝敗が明確になれば成立する。少なくとも今回の帝国側申請にも、殺害を前提にする条件はない」


「よかった……じゃあ倒せばいいんだ」


「今の説明からそこだけ抜き出すのは早い」


「でも戦いなんでしょ?」


「戦いではある」


 否定できないのが少し面倒だった。


 至冠戦は政治会議ではないし、書類の読み合いでもない。最終的には二人の至冠者が実際に戦い、その結果が勝敗として扱われる。


 だからリゼルヴェートの理解は間違っていないのだが、その一戦が周囲へ与える影響まで含めれば、単純に敵を倒せば終わる話でもなかった。


「もう一つ。勝敗は誰か一人の審判だけで決めるわけじゃない」


 ゼルディヴァンが説明を続けると、リゼルヴェートが顔を上げた。


「じゃあ誰が決めるの?」


「《至冠印》だ」


「これ?」


 リゼルヴェートが左手を持ち上げる。そこには今も、至冠者として登録された証である印が残っている。ゼルディヴァン自身も詳細な原理まで知っているわけではないが、正式な至冠戦について一般に知られている範囲なら説明できた。


「正式な条件で戦いが成立すれば、至冠印を通して勝敗が認識される。誰かが政治的に『こっちの勝ちだったことにする』と決めるものじゃない」


「世界が決めるってこと?」


「少なくとも、一般にはそう扱われてる。仕組みの細部までは俺も知らない」


「そこは分からないんだ」


「分からないものは分からない」


 リゼルヴェートは少し考えてから納得したように頷いた。ゼルディヴァンにとっても、その反応の方が助かる。知らない部分を推測で埋めてしまえば、戦闘前から余計な誤算が増えるだけだった。


 重要なのは、今回正式な至冠戦が成立すれば、第三者の都合だけで勝敗をごまかすことは難しいという点だった。


 第五十一位のリゼルヴェートが第三十一位のレグシェリアを倒せば、その結果はただの「善戦した新規至冠者」では終わらない。


 第五十一位だった人物が、その日のうちに第三十一位へ移る。それは二十人分の位置を一戦で飛び越えるということだった。


「二十人倒すわけじゃないのに、二十人抜くんだな」


 ルシェルトの言葉に、ゼルディヴァンは頷いた。順位交換の仕組みだけ見れば、その通りだった。第四十位台を一人ずつ順番に倒す必要はなく、第三十一位へ正式な至冠戦で勝てば、その瞬間に位置が変わる。


「それが一番大きい。もし勝てば、リゼルヴェートは一戦で第五十一位から第三十一位になる」


「そんなにまずいの?」


「まずいというより、大きすぎる」


 イェルシェリナが書類から顔を上げ、そこで会話へ入った。


「発現して間もない新規至冠者が、最初の正式戦で二十位上を倒す。それだけで、今まで様子を見ていたところも無視できなくなるわ」


「しかも所属先がうちだ」


 ルシェルトが続ける。数日前まで予算も施設も乏しく、商人から後回しにされていた派閥が、今では建国以来初の至冠者を正式構成員として抱えている。


 その本人がいきなり第三十一位まで上がれば、国内外から見たノルシェリア派の価値まで一気に変わる可能性が高かった。


 ゼルディヴァンは机上に小さな鏡を二枚展開し、現在分かっている条件を分けて映した。片方には第五十一位のリゼルヴェート、もう片方には第三十一位のレグシェリア。


 そこへ帝国からの申請、王国の対応、ノルシェリア派所属という条件を加えると、戦闘結果から派生する問題の数は簡単に増えていく。


 もしリゼルヴェートが敗れれば、帝国側は現時点の第五十一位という評価に一定の納得を得るだろう。だが勝てば話は逆になり、新規登録直後の順位では実力を測り切れていなかったことを世界中へ示すことになる。


 さらに、その人物が王家直属でも軍所属でもなく、国内最弱派閥を自分で選んだという事実まで同時に注目される。


「……勝たない方が面倒が少ない?」


 リゼルヴェートが少し困ったように聞いてきた。


「それは違う」


 ゼルディヴァンは即座に否定した。政治的影響が大きいから負けた方がいい、などという計算を戦闘本人へ押しつける気はない。そもそも意図的に負ければ正確な戦力確認にもならず、帝国側との関係に別の問題を作るだけだった。


「勝てるなら勝っていい。というか、正式に戦う以上、変に結果を作る方が危険だ。ただ、勝った後に何が起きるかを俺たちは考えておく必要がある」


「私は戦って、ゼルディヴァンたちはその後を考える?」


「大雑把に言えばそうだ。ただし、戦う前の条件確認もこっちでやる」


「分かった」


 簡単な返事だったが、役割としてはそれでいい。リゼルヴェートが戦闘そのものに集中し、イェルシェリナが政治条件を詰め、ゼルディヴァンが情報と戦況を整理し、ルシェルトが移動や現場を整える。誰か一人に全部やらせるより、最初から分けた方が早い。


 その時、拠点の扉が叩かれた。昨日までなら商人や業者の可能性も考えたところだが、今日は時間帯と叩き方で公的な使いだと推測できる。ルシェルトが応対へ向かい、ほどなく一通の封書を持って戻ってきた。


「王城経由。帝国から追加通知」


 イェルシェリナが受け取り、封を確認してから開く。その横へゼルディヴァンも視線を向けると、内容は昨日の申請そのものではなく、派遣予定者の移動日程に関する正式連絡だった。


 レグシェリア・ヴァルディナはすでに帝国を発っており、予定通りなら翌日にリュネヴァルト王都へ入る。


「早いな」


「帝国側は最初から派遣準備まで済ませてた可能性が高いわね」


「申請だけ出して様子を見る気じゃなかったってことか」


 正式戦の日程そのものは到着後に調整する必要があるが、少なくとも相手はもう動いている。名前だけだった第三十一位が、明日には同じ王都へ入る。ゼルディヴァンの中で、書類上の問題だった至冠戦がようやく具体的な距離を持ち始めた。


 リゼルヴェートは追加通知を覗き込み、それから三人の顔を順番に見た。緊張しているようには見えないし、順位差を聞いたからといって萎縮した様子もない。


 むしろ話を整理したことで、本人の中ではやることがかなり単純になったらしい。


「つまり、そのレグシェリアって人が明日来て、条件が決まったら私が戦えばいいんだよね?」


「そうなるな」


「じゃあ大丈夫。戦えばいいんだよね?」


 ゼルディヴァンは思わず息を吐き、イェルシェリナは額へ手を当て、ルシェルトは苦笑した。第五十一位から第三十一位への順位交換、帝国との関係、国内最弱派閥への波及、その全部を説明したあとでも、リゼルヴェート本人が最後に拾ったのはやはり一番単純な部分だった。


「そこだけ聞くと簡単なんだけどな」


 けれど戦う本人にとっては、そのくらい明確な方がいいのかもしれない。


 第三十一位レグシェリア・ヴァルディナの到着は翌日であり、その時からノルシェリア派にとって初めての正式《至冠戦》が、書類の上ではなく現実のものとして動き始めることになる。





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