第一章 28 『第三十一位』
《第五十一位》という数字だけを見るなら、至冠序列第三十一位であるレグシェリア・ヴァルディナが自らリュネヴァルトまで出向く必要はないように思える。二つの順位には二十もの差があり、相手には正式な《至冠戦》の戦績すら存在しない。
単純な確認だけが目的なら、もっと下の序列にいる至冠者を向かわせるという判断もできたはずだった。それでも帝国が今回の派遣者として選んだのは、第三十一位のレグシェリアだった。
机上に置かれた報告書を手元へ引き寄せ、レグシェリアは冒頭からもう一度目を通した。そこに記されているのは、ヴァルグレシア帝国から見れば決して大国とは呼べないリュネヴァルト小王国と、その国で突然現れた一人の新規《至冠者》についての情報だ。
これまで一人の至冠者も持たなかった国で《至冠印》が発現し、その直後に《序冠碑》へ新たな名前が追加された。その事実だけでも、帝国が無視しない理由としては十分だった。
リゼルヴェート・アルシェノア。《至冠序列》第五十一位。登録されたばかりで正式な《至冠戦》経験はなく、他の至冠者との比較に使える戦績も存在しない。
それなのに王都近郊では複数の魔獣を同時に処理し、さらに集落全体へ影響する規模の救助まで行ったという記録が残っている。
「発現直後。正式戦績なし。それで第五十一位、か」
向かいに立つ帝国軍上官は、レグシェリアの呟きに余計な説明を重ねなかった。今回の任務内容そのものはすでに伝えられており、ここで必要なのは出発前に認識のずれがないかを確認することだけだからだろう。
レグシェリアも同じつもりで、報告書の中から戦力判断に必要な情報だけを拾っていく。数字だけで済むなら、帝国がわざわざ正式な《至冠戦》を申請する必要などない。
「帝国として確認したいのは、第五十一位という数字そのものではない」
「分かっています。新規登録直後の序列が、実際の戦力をどこまで表しているのか。その確認ですね」
「ああ。能力情報も不足している」
真律名は《常世星桜》。現時点で確定しているのはそこまでで、具体的な性質については断片的な報告しかない。
複数対象への同時干渉、広範囲への対応、そして通常の戦闘能力だけでは説明しにくい現象まで記されているものの、射程や持続、発動条件まで整理された資料ではなかった。分からないものを分かったつもりで評価するには、材料が少なすぎる。
だからといって、未知だから危険だと決めつけるつもりもレグシェリアにはなかった。情報不足は情報不足でしかなく、それ自体が強さの証明になるわけではない。
リュネヴァルトが辺境国だから弱いとも、新規登録だから雑魚だとも判断しない代わりに、正体不明だから自分より強いと見る理由もない。
既知の情報だけを並べるなら、現時点では第三十一位である自分の方が有利だと判断するのが自然だった。
「殺害命令ではありませんね」
「ない。侵攻任務でもない。目的は、正式な《至冠戦》による戦力確認だ」
「なら、それで十分です」
レグシェリアは報告書を閉じ、派遣準備のためにまとめていた装備へ視線を移した。相手国へ向かう以上、任務の意味を勝手に増やす必要はない。
リュネヴァルトへ圧力をかけることも、第五十一位を排除することも、今回の命令には含まれていない。正式に戦い、結果から相手の実力を確認する。それだけなら判断に迷うことはなかった。
上官はレグシェリアが立ち上がるのを見てから、机上に残った資料へ目を落とした。そこにある《第五十一位》という数字だけなら、普通は第三十一位を送り込む必要性を疑うだろう。
しかし、帝国が必要としているのは勝てそうな相手をぶつけたという記録ではなく、新たに現れた至冠者がどの程度の位置にいるのかという確かな評価だ。その役目を任された以上、自分が序列差だけを見て相手を軽く扱えば、最初から任務の意味がなくなる。
「二十位下だ。それでも警戒するのか?」
「警戒と過大評価は別です」
レグシェリアは即座に答え、閉じた報告書へ指先を置いた。自分が第三十一位であり、相手が第五十一位であることは事実だ。自分には至冠者としての実戦経験があり、相手には正式な至冠戦の戦績がない以上、現時点で自分が負けると考える根拠もない。
それでも、戦う前から勝敗が確定していることにはならなかった。
「私は自分が勝つつもりで行きます。ですが、辺境国だから弱い、新規だから弱いと決める理由もありません。戦績がないなら、戦って確認すればいいだけです」
「自信はあるが、侮りはしないということか」
「第三十一位まで来て、数字だけで相手を判断する方が不自然でしょう」
至冠序列を軽く見るつもりはない。自分が第三十一位にいるのは、それに見合う結果を積み重ねてきたからだとレグシェリアは認識している。
だからこそ、相手にも同じ基準を使うべきだった。強いなら戦場で示されるし、第五十一位相当ならその結果が残る。まだ何も見ていない段階で、都合のいい結論だけを先に作る必要はない。
報告書には、《常世星桜》による複数対象への同時対処があったことも記されている。しかし、それだけで真律全体の構造を決めつけることはできず、攻撃の性質も防御能力も、継続時間も詳細不明のままだ。
覚醒に相当する現象を見せたという記録もあるが、それがどの程度の負荷を伴うものなのかまでは分からない。ならば、直接向き合って観察する方が、遠くから不完全な資料を積み上げるより確実だった。
「一つ確認しておきます」
「何だ?」
「戦力確認が目的なら、最初から相手に合わせて手加減するつもりはありません」
上官の視線がわずかに鋭くなったものの、レグシェリアはそのまま続けた。殺害命令ではない以上、必要以上の追撃や勝敗決着後の攻撃をするつもりはない。
しかし、新規の第五十一位だからという理由で最初から出力を落とし、適当なところで終わらせれば、帝国へ持ち帰れるのは自分で歪めた評価だけになる。正式な《至冠戦》まで申請して得る結果として、それでは意味がなかった。
「殺すなと言った」
「殺しません。ただし、弱く戦うことで評価を狂わせることもしません。相手が第三十一位の攻撃へどう対応するのか、それを見なければ確認にならないでしょう」
「勝敗が決まれば?」
「そこで終わりです。任務目的を越えて続ける理由はありません」
その答えで十分だったらしく、上官は最後の命令書をレグシェリアの前へ差し出した。正式申請そのものはすでにリュネヴァルトへ送付されており、相手国側との条件調整が整えば《至冠戦》が成立する。
そこから先に必要なのは帝国内での推測ではなく、実際の戦場で得られる情報になる。レグシェリアは命令書を受け取り、派遣先、目的、禁止事項の順にもう一度確認した。
内容に余計なものはなかった。目的は戦力確認、対象は新規《至冠者》リゼルヴェート・アルシェノア、そして任務は正式な至冠戦を通じて行う。
ならばレグシェリアがするべきことも単純で、相手を見て、戦って、その結果を確かめればいい。
第五十一位という数字が正しいのか、それとも現時点ではまだ測り切れていない何かがあるのかは、帝国に残ったまま考えていても分からない。
出立準備を終えると、レグシェリアは机上へ残した報告書を最後に一度だけ見た。最上段に記された《第五十一位》の文字は、何度読み返してもそれ以上の答えを返してはくれない。
第三十一位の自分との差がどれほどあるのか、それともその数字自体がまだ相手の実力を十分に示していないのか、判断材料は戦場にしかなかった。
「第三十一位の私が、直接確かめる」
それは勝利宣言ではなく、自分の序列も相手の序列も、戦う前から都合よく決めつけないための確認だった。
まだ姿すら見ていない第五十一位へ結論を下すことなく、レグシェリアは自分の目で数字の中身を確かめるため、ヴァルグレシア帝国を発った。




