第一章 27 『帝国からの書状』
正式所属のお祝いだと言われて食卓へ並べられた料理は、ノルシェリア派の拠点で見るには妙に豪華だった。
焼いた肉にはきちんとソースがかかり、普段より柔らかそうなパンが籠いっぱいに積まれている。野菜の煮込みも一品増え、さらに小さな焼き菓子まで用意されていた。
王城で何度か食事をしたあとのリゼルヴェートからすれば、豪華な晩餐と呼ぶほどではないのかもしれないが、この拠点の普段を知ってしまった今では十分すぎるほど特別に見える。
「すごい……今日、こんなに食べていいの?」
「祝いだからな」
ルシェルトが得意そうに答えたものの、その直後にイェルシェリナが淡々と付け足した。
「予算の範囲内でね」
「そこ言わなくてもよくない?」
「大事でしょう。正式所属初日から食費で破綻した派閥なんて笑えないもの」
「でも今日くらい夢を見てもいいだろ」
向かいではゼルディヴァンが皿を見ながら、どこか真面目な顔で首を傾げている。
「一般家庭の祝い膳として考えるなら、そこまで極端に豪華でもないと思うけどな」
「言うな。それを言うと急に現実に戻る」
「もう戻ってる」
リゼルヴェートは思わず笑った。
王城で何枚もの書類へ署名し、《所属――ノルシェリア派》という文字が正式に記録されたのはつい数時間前のことだ。それなのに拠点へ戻ってみれば、待っていたのは国際情勢でも政治会議でもなく、少し奮発した夕食だった。
なんだか、その方がずっと実感が湧く。
「これで私、本当にノルシェリア派なんだよね」
「そうよ」
「昨日までも一緒にいたのに、不思議」
「行政上は今日から正式所属だからな」
ゼルディヴァンが答えると、リゼルヴェートは自分の皿へ視線を落とした。昨日までと同じ机、同じ椅子、同じ三人。それなのに今日からは、自分もこの場所の一員だと文書にまで書かれている。
少し嬉しくなって、自然と口元が緩んだ。
「澪桜。顔」
隣に座っていたアシェラが、平坦な声で言った。
「え?」
「……にやけてる」
「にやけてないよ」
「……にやけてる」
「そんなに?」
反対側からルシェルトが覗き込み、すぐに頷いた。
「まあ、かなり」
「ルシェルトまで!」
「事実だ」
「ゼルディヴァンも!?」
最後にイェルシェリナを見ると、彼女は少しだけ口元を緩めながら視線を逸らした。
「私は何も言ってないわよ」
「今の顔、絶対同じこと思ってたよね?」
「証拠は?」
「ないけど……!」
そこへアシェラがパンを一口齧りながら、ほとんど表情を変えずに口を挟んだ。
「……澪桜は、証拠がなくても突撃する」
「そんな危ない人みたいに言わないで!」
「……戦闘では、だいたい合ってる」
「それとこれとは違うよ!」
結局、笑ったのはリゼルヴェート自身だった。
この数日だけでも、あまりに色々なことが起きた。
最初はただ、知らない森で目を覚ましただけだった。水もお金も帰る場所もなく、三人についていかなければ、その日の夜をどうしていたのかすら分からない。
それが今では、自分の服がある。
寝る場所がある。
一緒に食事をする相手がいる。
さらに《至冠者》になり、《至冠序列》第五十一位という数字までついて、王様や軍の偉い人たちが自分の所属先について何日も話し合った。
改めて並べると、変化の幅がおかしい。
「私、この世界に来てからまだ十日なんだよね?」
食事の途中で漏らすと、ルシェルトが一瞬黙った。
「……そう言われると、すごいな」
「十日で王城の会議に呼ばれて、至冠者になって、正式所属まで決めた」
ゼルディヴァンが淡々と数える。
「最初の三日くらいで魔獣の群れも消したわね」
イェルシェリナまで加わった。
「待って。並べないで。急におかしく聞こえてきた」
「急に?」
「最初からおかしいぞ」
「ルシェルト!」
リゼルヴェートは抗議しながらも、否定しきれなかった。
自分ではその時その時に必要なことをしただけだ。魔獣が襲ってきたから倒した。集落が危なかったから守った。左手に印が出たのは自分で選んだことではないし、順位だって勝手に決まった。
けれど、周りから見れば十日間で起きた出来事としては十分おかしいのだろう。
「……澪桜だから」
アシェラがぽつりと言った。
「それ、説明になってる?」
「……なってる」
「なってないと思う」
アシェラは答えず、焼き菓子の方へ手を伸ばした。
「あ、それ私も食べたい」
「……早い者勝ち」
「えっ、ちょっと待って!」
手を伸ばした時には、最後の一つがアシェラの皿へ移っていた。
「アシェラ!」
「……遅い」
「子どもみたいな見た目でそういうことするのずるい!」
「見た目の話をするなら、リゼルヴェートも十分子ども側でしょう」
イェルシェリナの一言に、今度こそ全員が笑った。
正式所属初日の夜は、そのくらい平和に終わるはずだった。
食事がほとんど片づき、ルシェルトが皿を重ね始めた頃、拠点の扉が強く叩かれた。
軽い来客の音ではない。
間を置かず、もう一度。
室内の空気が変わった。
リゼルヴェートが反射的に扉へ視線を向けるより先に、ルシェルトが立ち上がっている。ゼルディヴァンも食卓の端へ置いていた資料から目を離し、イェルシェリナは椅子を引いて姿勢を正した。
「この時間に誰?」
「確認する」
ルシェルトが入口へ向かい、扉越しに短く言葉を交わしたあと、すぐ戻ってきた。
「王城から。緊急の公文書だ」
さっきまでの空気が完全に消えた。
リゼルヴェートはまだ半分ほど残っていた飲み物を置き、姿勢を直した。王城からの文書自体は珍しくなくなりつつあるが、《緊急》とついているなら話は別だ。
届けられた封筒は、見覚えのある王国側の公文書形式だった。
ただし、その中身は王国からのものではなかった。
イェルシェリナが封を開き、最初の数行へ目を走らせたところで表情が変わる。
「……ヴァルグレシア帝国」
「帝国?」
リゼルヴェートが聞き返すと、ゼルディヴァンも身を乗り出した。
「昨日届いた国外照会の続きか?」
「ええ。ただし、今回は照会だけじゃない」
イェルシェリナは文書を机へ置き、全員が見える位置まで滑らせた。
正式通知。
宛先はリュネヴァルト王国。
内容の中心に置かれていたのは、リゼルヴェート・アルシェノアという名前だった。
「新規至冠者の戦力確認を目的とする……《至冠戦》申請」
リゼルヴェートは思わず左手を見た。
《至冠印》。
第五十一位。
これまで、その数字は自分が《至冠者》として登録された証明でしかなかった。
けれど、今目の前にある文書には、その数字の先に実際の相手がいる。
「私と、戦いたいってこと?」
「正確には、帝国側から正式な《至冠戦》を申し込んできたってことね」
「戦力確認のために?」
「文面上はそうなってる」
リゼルヴェートにはまだ、その重さが完全には分からなかった。
ただ、王城から緊急扱いで届き、イェルシェリナもゼルディヴァンも笑っていない。それだけで、普通の模擬戦とは違うことくらいは分かる。
「断れるんですか?」
思わず敬語になったのは、相手が帝国だからではない。文書そのものが急に遠い世界の話へ見えたからだった。
イェルシェリナはすぐに答えず、通知の続きを確認する。
「まず王国側で条件を精査する必要があるわ。申請されたから即決、ではない。ただ……」
そこで言葉が止まった。
ゼルディヴァンが文書の下部を指した。
「派遣予定者が書いてある」
リゼルヴェートもそこへ目を向ける。
知らない名前だった。
けれど、その前に記された数字だけは分かる。
第五十一位の自分より、二十も上。
イェルシェリナが記載された一行を、全員に確認させるように読み上げた。
「《至冠序列第三十一位――レグシェリア・ヴァルディナ》」
祝いの食卓に残っていた穏やかな空気は、その名前が現れた瞬間に完全に消えていた。




