第一章 25 『私はここがいい』
アルヴェディオから答えを求められた瞬間、リゼルヴェートの頭に最初に浮かんだのは、目の前に広がる豪華な審議室ではなかった。
磨かれた長机でも、王家が用意すると言ってくれた立派な部屋でもない。思い出したのは、もっと狭くて、少し古くて、王城とは比べものにならないほど質素なノルシェリア派の拠点だった。
そこに着いたばかりの自分が、三人と一緒に食べた最初の食事。
何を食べたかより、落ち着いて座っていられたことの方をよく覚えている。知らない世界へ来て、知らない街へ連れてこられて、自分がこれからどうなるのかも分からなかったのに、あの場所では少なくとも追い出される心配をしなくてよかった。
気づけば、リゼルヴェートは机の上に並んでいた四つの案ではなく、その向こう側に座る人たちを順番に見ていた。
アルヴェディオ。
セレヴィナ。
エルグレディオ。
ガルヴェイン。
そして、イェルシェリナ、ゼルディヴァン、ルシェルト。
アシェラはいつものように隣にいる。
誰も急かさなかった。
だからこそ、今度は本当に自分で考えなければならないのだと分かった。
王家が何もしてくれなかったわけではない。
アルヴェディオは、出自について全部話せないと言った自分を無理に問い詰めなかった。王家の保護下へ来てほしいと言いながら、それを命令にはしなかったし、今ここでも最終的には本人が決めると認めてくれている。
セレヴィナも、自分が何を望んでいるのかを何度も確かめてくれた。
王家直属を選べば、きっと生活は安定する。
身分も保証される。
知らない相手が突然近づいてきても、王家が先に対応してくれる。
それは、今のリゼルヴェートにとってかなり大きなことだった。
軍も同じだった。
ガルヴェインの説明は分かりやすかった。自分の力を試せる場所があり、戦う時には情報を集めてくれる人がいて、避難させる人がいて、道を作る人がいる。
自分一人なら敵を倒せる。
けれど、その周りまで全部を一人でやらなくていい環境があることも、集落での一件を通して知っていた。
軍へ入れば、そういうものをもっと大きな規模で用意してもらえる。
それも間違いなく魅力的だった。
エルグレディオが示した王廷の案だって、自由が少し減る代わりに、国全体が責任を持ってくれる。
どの案も、自分を騙すためのものではない。
どこか一つだけが悪くて、そこを避ければ正解になる話でもなかった。
そこまで考えてから、リゼルヴェートはイェルシェリナへ視線を向けた。
イェルシェリナは何も言わない。
残ってほしいとも言わないし、王家へ行けば困るとも言わない。
その隣にいるゼルディヴァンも、ルシェルトも同じだった。
昨日まで何度も話をした。
それでも最後の最後まで、三人は自分の代わりに答えを決めなかった。
そのことが、妙に嬉しかった。
自分が《至冠者》になる前。
左手に《至冠印》なんてなかった頃。
《至冠序列》第五十一位なんて数字もなかった頃。
そもそも《常世星桜》がどれだけ強いのか、自分でも、三人でも、誰も分かっていなかった頃。
森の中にいた自分を見つけた三人は、力が欲しくて声をかけてきたわけではない。
何者かも分からない。
身分もない。
お金もない。
帰る場所もない。
そんな自分に水をくれて、上着を貸して、話を聞いてくれた。
そのあとも、行く場所がないなら一緒に来ればいいと言ってくれた。
強いと知ったあとではない。
利用価値があると分かったあとでもない。
何も分からなかった時からだった。
その違いは、リゼルヴェートにとって思っていた以上に大きかった。
難しい政治の話なら、まだ分からないことばかりだ。
王国にとって何が一番いいのかと聞かれても、自信を持って答えることはできない。外交も、派閥の力関係も、《至冠者》になったことでどこまで周りが変わるのかも、まだ全部は分からない。
けれど、自分がどこにいたいのかなら、少しずつ分かってきた。
豪華な部屋かどうかではない。
強い人に守ってもらえるかどうかだけでもない。
設備が整っているかどうかだけでもない。
最初に自分を受け入れてくれた場所で、これまでと同じように三人と過ごしたい。
困った時にはイェルシェリナに聞いて、分からないことはゼルディヴァンに整理してもらって、生活のことで困ればルシェルトに頼る。アシェラはたぶん、どこへ行っても勝手についてくる。
そういう毎日が、もう自分の中では当たり前になっていた。
「リゼルヴェート?」
セレヴィナの声に、リゼルヴェートは少しだけ下がっていた顔を上げた。
「ごめんなさい。ちゃんと考えてました」
「それならいいの。急がせるつもりはないから」
「ううん。もう大丈夫です」
返事をすると、会議卓の空気が僅かに変わった。
アルヴェディオも、エルグレディオも、ガルヴェインもこちらを見ている。
リゼルヴェートは一度だけ息を吸った。
「王家で守ってもらえるのも、軍に入るのも、ちゃんと良いところがあると思います」
言葉にしながら、自分でも確認する。
「王廷の案も、私が一人で全部考えなくてよくなるっていうのは、すごく助かると思うんです。私、この世界のこと、まだ知らないことがいっぱいあるから」
エルグレディオは黙って聞いている。
ガルヴェインも口を挟まない。
「でも……最初に私を助けてくれたのは、イェルシェリナたちでした」
イェルシェリナの目が僅かに動いた。
「私が強いって分かる前からです。《至冠者》でもなかったし、《常世星桜》のことだって何も分かってなかった。それでも、行くところがないなら来ればいいって言ってくれたから」
話しているうちに、胸の中にあったものが少しずつ形になっていく。
別に、恩を返さなければならないからではない。
助けてもらったから義務として残るわけでもない。
ただ、一緒にいたい。
理由を複雑にすればいくらでも言えるのかもしれないが、結局はそこだった。
「イェルシェリナは、私が決めていいってずっと言ってくれました。ゼルディヴァンも、ルシェルトも、残ってって言わなかった」
「言ったら選びにくくなるだろ」
ルシェルトが少しだけ困ったように笑い、ゼルディヴァンも小さく息を吐いた。
「それも判断材料に入れられると、黙ってた意味が微妙になるけどな」
「でも、入っちゃった」
「だろうな」
いつもの調子が少しだけ戻ったことで、リゼルヴェートの肩から力が抜けた。
イェルシェリナだけはまだ何も言わない。
だから、リゼルヴェートは今度こそ真正面から彼女を見た。
「――私はここがいい」
声に出してしまえば、驚くほど簡単だった。
「ノルシェリア派にいたい。イェルシェリナたちと、これからも一緒にいたいです」
審議室が静かになる。
けれど、その静けさはリゼルヴェートを不安にはさせなかった。
誰かに言わされたわけではない。
条件を隠されたわけでもない。
王家の良いところも、軍の良いところも聞いた。その上で、自分が選んだ。
だから、これでよかった。
イェルシェリナはしばらくリゼルヴェートを見ていたが、やがて僅かに表情を和らげた。
「分かったわ」
それだけだった。
残って当然とも言わず、選んでくれてありがとうとも言わない。けれど、その短い返事だけで十分だった。
ゼルディヴァンは卓上の資料へ目を落とし、ルシェルトは肩の力を抜いたように椅子へ深く座り直した。アシェラは何も言わず、いつものようにリゼルヴェートの隣にいる。
アルヴェディオは四つの案を順に見たあと、ノルシェリア派との関係維持案へ手を置いた。
「本人の意思は確認した。ならば王国として、その選択を正式に認めよう」
「ありがとうございます」
「ただし、ここから先は昨日までと同じではいられない」
リゼルヴェートは思わず瞬いた。
選んだことで話が終わるのだと思っていたわけではない。それでも国王の声が少しだけ重くなったことで、自然と背筋が伸びる。
「君はすでに《至冠者》であり、《至冠序列》第五十一位だ。その君がノルシェリア派と行動を共にすることを正式に選んだ以上、国外から見れば君個人とノルシェリア派を完全に切り離して考えることは難しくなる」
机の端には、国外から届いた正式照会も置かれている。
昨日までは、王国内ですらほとんど相手にされなかった派閥だった。
それでも今日からは違う。
アルヴェディオはリゼルヴェートだけではなく、その隣に並ぶ三人まで視界に収めた。
「ならば今日から、ノルシェリア派は世界から見られることになる」
その言葉が何を連れてくるのか、リゼルヴェートにはまだ全部は分からなかった。
ただ、自分が選んだ場所はもう小さな拠点の中だけでは完結せず、閉じたままだった外の世界からも見つめられ始めているのだと、その意味だけははっきり伝わってきた。




