第一章 22 『選択の値段』
選べる場所が一つ増えたことを、リゼルヴェートは素直に喜んでいた。王家か、王廷か、軍か、それとも今まで通りノルシェリア派と行動するか。最初から三つしかなかった道に四つ目が加わったことで、自分の意思をちゃんと考えられるようになったらしい。
その向かいで資料を広げていたゼルディヴァンには、まったく別のものが見えていた。選択肢が増えたということは、それぞれを選んだ時に発生する問題も増えたということだ。しかも今回の問題は、どれか一つを選べば綺麗に消えるような種類ではない。
「そんなに難しそうな顔してる?」
リゼルヴェートに聞かれ、ゼルディヴァンは視線を資料から上げた。
「難しいからな」
「四つから一つ選ぶだけじゃないの?」
「本人から見ればそうだ。周囲から見ると、四通りの政治問題がある」
「……増えてない?」
「増えてる」
リゼルヴェートが困ったようにイェルシェリナを見ると、彼女は否定せず肩を竦めた。ルシェルトも机の端へ座ったまま苦笑しており、アシェラだけがいつものように特に反応を見せない。
ゼルディヴァンは机上へ小型の鏡を三枚展開した。《群鏡演算》で扱うのは未来ではなく、すでに存在している条件だけだ。王家直属、王廷保護、王国軍編入、ノルシェリア派との関係維持。
それぞれの案から確定している情報を分け、誰が権限を持ち、誰が責任を負い、何が変わるのかを並べていく。
「王家直属なら、対外的には一番分かりやすい。リゼルヴェートの身分保証も、国外との交渉窓口も王家へ一本化できる。国家として説明しやすいし、外から見ても誰が責任を持っているか明確になる」
「その代わり、本人の行動には制限が増えるわ」
イェルシェリナが補足し、ゼルディヴァンは一枚目の鏡へ条件を追加した。
「王廷保護はそれより自由度が高い。生活と警護、外交窓口を王廷側へ任せつつ、普段の行動はある程度維持できる。ただ、国家からの要請と本人の自由をどこで分けるかは条件次第になる」
「軍は分かりやすいよな」
ルシェルトが軍編入案を指先で示した。
「設備、人員、移動、情報、護衛。その辺は一気に強くなる。ただし軍人としての義務も増える」
「そういうことだ」
そこまでなら、どの案にも利点と負担があるだけで済む。問題は最後の一つだった。
ゼルディヴァンは四つ目の条件だけを別の鏡へ移した。
「ノルシェリア派との関係を維持したまま国家支援を受ける案が、一番面倒になる」
リゼルヴェートが目を瞬かせる。
「一番自由そうなのに?」
「本人から見ればな。でも、政治的には逆だ」
王家直属なら王家が責任を持つ。軍編入なら軍が責任を持つ。王廷保護も、最終的な窓口は中央へ寄せられる。誰が判断し、誰が責任を負うかという線を引きやすい。
ところがノルシェリア派との関係を維持する場合、リゼルヴェートは三人と行動し続ける一方で、警護や予算や外交対応には国家の支援が入る。本人の自由は残しやすいが、その分だけ権限と責任が複数の場所へ分かれる。
「例えば、国外からリゼルヴェートへ正式な面会要請が来たとする。受けるかどうかを本人が決めるとしても、その前に誰が内容を確認するのか、警護を誰が出すのか、どこで会うのか、会談結果を誰が国家へ報告するのかを決める必要がある」
「私たちだけじゃ処理しきれないわね」
「だから国家支援が必要になる。でも国家側から見れば、金と人員を出すのに最終判断権が全部ノルシェリア派へある状態も認めにくい。逆に国家側が全部決めるなら、実質的には王廷保護と変わらなくなる」
鏡に並んだ条件は、見れば見るほど単純ではなかった。
しかも、それだけではない。現在のノルシェリア派は実働三人しかおらず、王国内での影響力も低い。その組織へ建国以来初の《至冠者》が事実上残るとなれば、昨日までとは同じ派閥として扱われない。
本人が何も要求しなくても、周囲が勝手に意味を持たせる。
そこまで整理したところで、拠点の扉が叩かれた。
ルシェルトが応対に向かい、ほどなくして戻ってきた時、その後ろには見覚えのある中央官僚がいた。以前、旧採石路任務の資料に食い違いがあることをイェルシェリナへ伝えたリュシェリア・フェルディナである。
彼女は抱えていた書類束を机へ置くと、まずイェルシェリナへ向き直った。
「――クロヴェリア代表。明日の正式審議に必要な基礎資料を届けに来ました」
「ありがとう。ずいぶん多いわね」
「今回は所属だけでなく、国家支援を伴う案も審議対象に入りましたので」
書類束を見ただけでも、軽い確認で済む量ではない。ゼルディヴァンが最上部の資料へ目を通すと、ノルシェリア派の現在の予算枠、使用可能施設、中央会議への参加範囲、任務受領権限などが整理されていた。
数字そのものに意外性はなかった。むしろ、これまで三人で活動してきた実感とほぼ一致している。だからこそ、現在のノルシェリア派が《至冠者》一人を抱える前提で作られた組織ではないことが、書類の形になると嫌になるほど分かりやすかった。
「施設使用枠、少ないな」
ルシェルトが横から覗き込む。
「今さらだろ」
「分かってるけど、こうして並べられると酷いぞ。専用訓練区画なし、常設警護人員なし、大規模輸送予算ほぼなし。よくこれで今まで回してたな、俺たち」
「回してたのは主にお前だろ」
「だから言ってるんだよ」
リゼルヴェートも資料へ顔を近づけたが、数字と項目が多すぎるのか、途中から眉を寄せている。
「ノルシェリアって、そんなにお金ないの?」
「ない」
「ゼルディヴァン、即答したね……」
「事実だからな」
リュシェリアが別の資料を開き、発言権に関する項目を示した。
「予算だけではありません。ノルシェリア派は中央での正式発言機会も限定されています。現在の規模と実績を前提に設定されたものなので、不当な制限とまでは言えませんが、リゼルヴェートさんとの関係を正式化する場合は見直しが必要になります」
ゼルディヴァンは鏡へ新しい条件を加えた。
予算。
施設。
警護。
外交窓口。
中央での発言権。
リゼルヴェートが残るなら、それらの不足を埋めなければならない。だが埋めれば、今度はノルシェリア派そのものの政治的位置が一気に上がる。
それを望む者もいれば、警戒する者も出るだろう。昨日までほとんど相手にされていなかった三人の派閥が、《至冠者》第五十一位と国家支援を同時に持つことになるのだから当然だった。
「つまり、私がここにいたら迷惑?」
リゼルヴェートの問いに、ゼルディヴァンはすぐ首を振った。
「違う。問題が増えるのと、迷惑なのは別だ」
「でも、私が残らなかったら、この資料のほとんど考えなくていいんだよね?」
「それも違う。別の案を選べば別の問題が出る。王家直属なら王家へ力が集中したと見るところが出るし、軍へ入れば軍部の影響力が増したと受け取られる。何を選んでも影響はある」
リゼルヴェートは少し考えたあと、ようやく納得したように資料へ目を戻した。
ゼルディヴァンにとっては、それが一番重要だった。どれか一つだけが危険で、他が安全なのではない。選択には必ず結果がついてくる。ただし、その結果を全部本人一人へ背負わせる必要もない。
リュシェリアから追加資料の説明を受けている間、イェルシェリナはほとんど口を挟まなかった。必要な箇所だけ確認し、条件が曖昧な部分には印をつけている。その動きはいつも通りだったが、ゼルディヴァンには一つだけ気になる点があった。
「イェルシェリナ」
「何?」
「残ってもらうための条件交渉はしないのか?」
リゼルヴェートが顔を上げる。
ルシェルトも手を止めたが、イェルシェリナは質問の意味を取り違えなかった。
「するわよ。リゼルヴェートがここへ残ることを選んだ場合に、不利益が大きすぎないよう条件は詰める」
「そうじゃない。残る方を選びたくなるように条件を作るかって意味だ」
例えば国家支援を最大限引き出し、王家直属や軍編入より自由度を高く見せる。ノルシェリア派にいることが一番得だと思わせれば、残留する可能性は上がる。
政治的に勝つことだけを考えるなら、そういう交渉もできる。
イェルシェリナはしばらく黙って資料を見ていたが、やがてペンを置いた。
「しないわ」
「理由は?」
「それで残ってもらっても意味がないからよ」
声に迷いはなかった。
「私たちはずっと、自分たちで選べない弱い国のままでいいのかって言ってきた。その私が、リゼルヴェートを手元に置くために選択肢の見せ方を歪めたら、やっていることが違うでしょう」
イェルシェリナはリゼルヴェートの方へ視線を向けた。
「残りたいと思うなら、残れる条件は作る。でも王家の方がいいと思うなら王家へ行けばいいし、軍でやってみたいなら軍を選べばいい。寂しくないとは言わないけど、それは私たちの都合よ」
「イェルシェリナ……」
「勝つためにあなたへ残れなんて言わない。選ぶのはあなたなんだから」
ゼルディヴァンはその言葉を聞きながら、鏡の一つから不要になった仮定を消した。
ノルシェリア派が取るべき戦術を考えるなら、リゼルヴェートを残すための誘導も選択肢には入る。しかし代表本人がそこを使わないと決めた以上、分析の前提も変わる。
ならば必要なのは、どの選択肢を選ばれても条件と結果を正確に伝えることだ。
残留を勝利、移籍を敗北として扱う必要もない。
リュシェリアは最後の書類を確認すると、明日の予定が記された紙を机の中央へ置いた。王家、王廷、王国軍、そしてノルシェリア派側の各案を本人へ正式提示し、条件確認と最終判断へ進むための審議日程が記されている。
今日まで散らばっていた可能性は、もう仮の話ではなかった。翌日、リゼルヴェート本人を前にして全ての選択肢が正式に並べられ、そのどれを選ぶのかを決める最終審議が始まることになっていた。




