第一章 18 『国史初の至冠者』
王城へ続く正門をくぐったところで、リゼルヴェートは自分の名前を見つけて足を止めた。
昨日までなら、その場所に何が置かれていても素通りしていたと思う。広い石造りの前庭、その中央寄りに立つ黒灰色の大きな碑。表面には数多くの名前と数字が刻まれており、一番下に近い場所だけ、周囲より新しい光を帯びた文字が浮かんでいる。
リゼルヴェート・アルシェノア。
その下に、第五十一位。
左手の甲へ浮かんだ《至冠印》を見た時より、自分の名前が王城の入口に刻まれている光景の方が妙に落ち着かなかった。
「……本当にある」
「昨日、王都側で更新を確認したって聞いただろ」
横からルシェルトに言われても、実際に見るのとは違う。リゼルヴェートは左手と碑を交互に見比べた。
「でも、勝手に名前が増えるって変じゃない?」
「そこを俺に聞かれても困る」
「ゼルディヴァンなら分かる?」
「分からない。少なくとも、誰かが昨夜こっそり彫ったわけじゃないことしか言えない」
ゼルディヴァンは碑を見上げながらそう答えた。昨日の集落でも、《至冠印》と《序冠碑》の更新がほぼ同時に確認されたこと以上は断定していない。
イェルシェリナは三人より少し前で立ち止まり、碑と王城入口を順に見た。
「ここで全部説明していたら呼び出しに遅れるわ。必要なことだけ先に確認しておきましょう」
「うん」
「《至冠者》は、真律を持つ人間の中でも《至冠印》が発現した者のこと。あなたは昨日、その条件に入った。それと《至冠序列》は、《序冠碑》へ登録された至冠者に与えられる順位よ」
リゼルヴェートはもう一度、自分の名前の下にある数字を見る。
「それが第五十一位?」
「そう」
「五十一って、強いの?」
「その質問に一言で答えるのは難しいわね」
イェルシェリナは即答を避けた。
「序列は至冠者同士の位置を示す重要な指標ではある。でも、数字だけ見て何もかも決まるわけじゃない。能力の相性も、実戦で何ができるかも別にある。今は《あなたが新しい至冠者として登録され、第五十一位になった》と理解しておけば十分よ」
「じゃあ、一番下?」
「少なくとも新規登録直後の今はね」
それなら少し安心できそうな気もしたが、周囲の反応を見る限り、第五十一位だから大したことがないという話でもなさそうだった。
昨日から王国兵の態度まで変わっている。集落から戻った後も確認や連絡が続き、今朝には王城から正式な呼び出しが届いた。ノルシェリア派の三人だけでなく、リゼルヴェート本人も同席するよう指定されている。
しかもアシェラまで当然のようについてきていた。
「アシェラは緊張しないの?」
「……しない」
「王様に会うんだよ?」
「……澪桜が会う」
「私も緊張するんだけど」
「……知ってる」
助ける気はなさそうだった。
ルシェルトが小さく笑い、イェルシェリナから早く行くわよと促される。リゼルヴェートは最後にもう一度だけ《序冠碑》へ刻まれた自分の名前を見てから、王城の中へ入った。
◇
案内された部屋は、リゼルヴェートが想像していたような巨大な謁見の間ではなかった。
もちろんノルシェリア派の拠点よりはずっと広い。けれど、遠くから王様を見上げて話すような場所ではなく、中央には対面して話せる距離に席が用意されていた。
その奥にいた二人を見て、リゼルヴェートは無意識に背筋を伸ばした。
「――アルヴェディオ・リュネヴァルトだ」
先に名乗ったのは国王だった。
その隣には第一王女セレヴィナ・リュネヴァルトがいる。二人ともリゼルヴェートを見ていたが、昨日の兵士たちのように《至冠印》だけへ視線を集中させることはなかった。
「リゼルヴェート・アルシェノアです」
「うん。まずは来てくれたことに礼を言おう。クロヴェリア代表たちも」
イェルシェリナが正式な挨拶を返し、ゼルディヴァンとルシェルトもそれに続いた。
リゼルヴェートも真似をしようとしたものの、細かい作法までは分からない。途中で動きを迷わせると、アルヴェディオはそれを咎めなかった。
「無理に慣れない作法をする必要はない。今日は儀礼のために呼んだわけではないからな」
その言葉に少しだけ肩の力が抜けた。
国王と聞けば、もっと命令されるものだと思っていた。けれどアルヴェディオは、いきなり《至冠者》として何をするつもりか尋ねることも、《常世星桜》について説明を求めることもしなかった。
「最初に確認したい。リゼルヴェート、君は今、自分の意思でクロヴェリア代表たちと行動しているのか?」
「はい」
それならすぐに答えられる。
「三人に無理やり連れてこられたり、離れられないよう拘束されたりしてはいない?」
「されてません。最初に会った時から助けてもらってて、今も私が一緒にいたくています」
アルヴェディオはイェルシェリナたちではなく、リゼルヴェート本人の答えを聞いてから頷いた。
「分かった。では次だ。君の出自について、王国側ではほとんど確認できていない」
その話になると、リゼルヴェートは少しだけ身体を硬くした。
「森で三人に保護された以前の記録がない。家族、故郷、所属、身分を証明する文書もないと聞いている。それについて、今ここで話せることはあるか?」
日本で死んだこと。
死んだあとにアシェラと会ったこと。
元の世界には戻れず、別の世界なら生きられると言われ、自分でこちらへ来ることを選んだこと。
そこまで説明すれば、どう受け取られるのかリゼルヴェートには分からない。それ以前に、ノルシェリア派の三人にもまだ全部を話していなかった。
「……話せることと、まだ話したくないことがあります」
国王へそんな答え方をしていいのか不安になったが、嘘をつく方が嫌だった。
「この国に家族がいるとか、どこかの組織から来たとか、そういうのはありません。三人に会った時、本当に行く場所もお金も何もなくて……でも、その前のことは、まだちゃんと話せないです」
部屋が静かになった。
隣にいるイェルシェリナは口を挟まない。リゼルヴェートが答えると決めた範囲を、そのまま待ってくれているようだった。
アルヴェディオも追及しなかった。
「そうか。なら今は、それでいい」
「いいんですか?」
「話したくないことを無理に話させても、それで信頼できる情報が得られるとは限らない。だが、国家として確認しなければならない点があるのも事実だ。そこは分けて考える」
今度は少しだけ驚いた。
王様だから全部話せと言われると思っていたわけではない。それでも、自分の答えをそのまま受け取られるとは思っていなかった。
第一王女セレヴィナがそこで初めて口を開いた。
「昨日の集落では、住民の避難と魔獣の排除を同時に行ったと報告を受けています」
「はい」
「その時、誰かから《至冠者》になるために力を使えと言われましたか?」
「言われてません。至冠者って言葉も、そのあと初めて知りました」
「では、あの場では単純に住民を守ろうとした?」
「はい。大型魔獣だけ倒しても、他の場所で家が崩れたりしたら駄目だと思ったから」
セレヴィナはそれ以上、能力の仕組みまでは尋ねなかった。
アルヴェディオが手元の記録へ一度視線を落とす。
「報告だけでも、君が王国へ大きな被害を出さずに済ませてくれたことは分かる。まず、それについては国王として礼を言う」
「そんな、私は助けたかっただけで……」
「理由がどうであれ、助かった者がいることは変わらない」
まっすぐ言われると、どう返せばいいのか分からなかった。
けれど、そのまま感謝だけで話が終わるわけではないことも、アルヴェディオの表情が変わったことで分かった。
「ここからは、国王として話さなければならない」
イェルシェリナも姿勢をわずかに改める。
「リュネヴァルトには、これまで正式な《至冠者》が一人もいなかった。昨日、君の名が《序冠碑》へ刻まれたことで、それが変わった」
リゼルヴェートは王城入口で見た自分の名前を思い出した。
「建国以来初、なんですよね」
「ああ。そして、それは君個人の問題だけでは済まない」
アルヴェディオの声は穏やかなままだった。
「私は君を兵器として扱いたいわけではない。国王になったからといって、君の真律そのものが王家の所有物になるとも考えていない」
その言葉に、イェルシェリナがわずかに視線を上げた。
「だが同時に、国家の責任を無視することもできない。建国以来初の至冠者が国内に現れ、その人物が現在、正式な軍でも王家でもなく、実働三人だけのノルシェリア派と行動している。何か起きた時に、王国として『本人が選んだことだから関知しない』では済まされない」
「私たちでは守れない、と?」
イェルシェリナが尋ねた。
「君たち三人の能力や判断力を否定しているわけではない。これまでの働きも把握している」
アルヴェディオはそこで言葉を切った。
「しかし、至冠者を巡って起こり得る問題の規模と、三人だけの派閥が負える責任の大きさは別だ」
リゼルヴェートにも、少しずつ何を言われているのか分かってきた。
自分が強いから危ないのではない。
自分が《至冠者》になったことで、周囲までこれまでとは違う扱いになる。
「私がノルシェリアにいると、三人が困るんですか?」
「それだけではない。君自身の身の安全、王国としての管理責任、他国への対応、国内の各組織が君をどう扱おうとするか。昨日まで存在しなかった問題が一度に生まれている」
知らないうちに、ずいぶん大きなことになっていた。
リゼルヴェートは隣を見る。
イェルシェリナは黙って国王を見ている。ゼルディヴァンも、ルシェルトもまだ何も言わない。アシェラだけは最初から変わらずリゼルヴェートのそばにいた。
アルヴェディオは、その誰かに答えを求めるのではなく、最後までリゼルヴェート本人へ向けて言葉を続けた。
「命令ではない。今すぐ返事を求めるつもりもない。王家直属の保護下へ移ることを考えてほしい」
拒否を許さない命令ではなかった。だからこそ、リゼルヴェートはすぐに答えることができず、隣にいる三人と、少し離れて座る国王たちを順に見た。
数日前まで帰る場所さえ持っていなかった自分に、今度は王家とノルシェリア派という二つの居場所が並べられている。左手に浮かんだ《至冠印》は消えていないのに、その印が生まれたことで初めて迫られたのは戦い方ではなく、自分がこれからどこにいるのかという選択だった。




