第一章 14 『王国軍の若き精鋭』
王国軍の訓練施設へ足を踏み入れた瞬間、隣を歩いていたイェルシェリナがほんの少しだけ嫌そうな顔をした。
昨日まで能力確認に使っていたノルシェリア派の小さな訓練場所とは違い、ここには広い演習場がいくつも並んでいる。土を踏み固めた地面では軍人たちが二人一組で武器を交え、少し離れた場所では魔法の光が訓練標的へ飛んでいた。掛け声と衝撃音が絶えず重なる中、リゼルヴェートは何が嫌なのか尋ねようとして、その必要がなくなった。
「クロヴェリア代表。来るなら先に連絡くらい入れてください」
訓練場の奥から、一人の少女がまっすぐこちらへ歩いてきた。
リゼルヴェートより少し年上に見える。深い赤茶色の髪は左右で長さの違う短髪に整えられ、内側には鈍い銀色が混じり、毛先へ近づくにつれて琥珀色が覗いていた。白い軽装シャツの上から赤褐色の軍用ジャケットを羽織り、濃灰色のキュロットと銀色の腰帯を合わせている。小柄ではあるものの、腕や脚には日常生活だけではつかない引き締まった筋肉があり、前腕と脛には軽量の防具まで装着されていた。
「私が好きで来たと思っているなら、ずいぶん買い被られているわね。呼び出されたから来ただけよ、エリゼナ」
「過去任務の記録確認でしょう。必要な手続きです」
「分かっているから来ているのよ」
二人のやり取りを聞く限り、初対面ではないらしい。
少女――エリゼナはイェルシェリナからゼルディヴァン、ルシェルトへ順に目を向けた。
「アルネグラートもヴァルネイドも一緒なら、いつもの三人ですね」
「その言い方だと、俺たちが毎回何か問題を起こしてるみたいに聞こえるんだけど」
「問題を起こすというより、戦えないのに危険な案件へ入るから言っているんです」
ルシェルトがわずかに顔をしかめたものの、エリゼナは笑わなかった。からかっているのではなく、本当にそう考えているらしいことはリゼルヴェートにも伝わった。
そこで初めて、エリゼナの視線が自分へ向く。
「そちらは?」
「リゼルヴェート・アルシェノア。今は私たちのところで保護している子よ。こっちはアシェラ」
「リゼルヴェートです。よろしくお願いします」
隣のアシェラも見られたが、本人はいつものように何も言わなかった。
エリゼナは特に気を悪くした様子もなく、リゼルヴェートへ短く頷いた。
「エリゼナ・フォルグレイスです。王国軍に所属しています。今日はノルシェリア派の過去任務記録について確認するだけなので、あなたまで付き合わせる形になったなら申し訳ありません」
「大丈夫だよ。私も一緒に来たかったから」
「そうですか」
軍人らしい硬さはあるが、嫌な感じはしなかった。
イェルシェリナが訓練場へ入った途端に嫌そうな顔をした理由も、どうやらエリゼナ本人が嫌いだからではなさそうだった。
◇
記録確認そのものは、リゼルヴェートが想像していたより地味だった。
以前ノルシェリア派が担当した任務について、提出記録と軍側に残っている内容を照らし合わせ、当時どこまで危険を把握していたのか、現場で何を確認したのかを順番に確かめていく。主に答えていたのはイェルシェリナとゼルディヴァンで、ルシェルトは移動経路や物資について尋ねられた時だけ口を挟んでいた。
リゼルヴェートには分からない話も多かったが、エリゼナが三人を嫌っているわけではないことだけは、話を聞いているうちにはっきりした。
厳しいのは戦闘に関する部分だけだった。
「この時も三人だけで現地へ入ったんですか?」
「調査任務だったもの。戦闘が主目的ではなかったわ」
「戦闘が主目的でなくても、現地で襲われる可能性はあります。目的と危険性は別です」
「だから事前に退路も確認しているし、無理なら撤退している」
「撤退できる状況なら、でしょう?」
エリゼナは記録へ指を置いたままイェルシェリナを見る。
「私はノルシェリア派のやり方そのものを否定したいわけではありません。クロヴェリア代表の判断も、アルネグラートの分析も、ヴァルネイドの移動能力も役に立つでしょう。でも、それと正面から敵を止められるかどうかは別です。戦えない人間を、戦闘が起こり得る場所へ出し続けるのは危険です」
その言葉に嘲りはなかった。
旧採石路で三人がどれだけ正確に動いていたかを知っているリゼルヴェートには、エリゼナの言いたいことも少し分かった。三人は何もできなかったわけではない。むしろ、魔獣の位置を見抜き、逃げ道を選び、全員が生きて戻るために必要なことを素早く進めていた。
それでも最後には、ルシェルトへ牙が届きかけた。
「三人とも弱いってこと?」
思わず尋ねると、室内の視線が集まった。
ルシェルトが何とも言えない顔をする。
「リゼル、もう少し言い方ってものがあるだろ」
「でも、前にも自分たちで戦闘向きじゃないって言ってたよね?」
「そうだけど、真正面から確認されると地味に刺さるんだよ」
エリゼナはそこで初めて少しだけ表情を緩めたが、すぐ真面目な顔へ戻った。
「弱い、という言葉だけなら間違ってはいません。少なくとも、軍人として正面戦闘を任せられる水準ではないです」
イェルシェリナの眉がわずかに動く。
「ずいぶん言ってくれるわね」
「なら確認しますか?」
「何を?」
「簡単な模擬戦です。三人で私一人を止められるなら、私も評価を改めます」
ルシェルトが嫌そうに目を細めた。
「その流れ、絶対ろくなことにならないだろ」
「嫌なら断って構いません」
「そう言われると余計に断りづらいんだよ」
結局、三人は訓練場へ出ることになった。
リゼルヴェートとアシェラは演習区画の外側へ移動し、四人の様子を見る。正式な試合ではなく、エリゼナが三人の正面戦闘能力を確認するだけの簡易模擬戦らしく、武器も訓練用のものへ交換されていた。
始まる前から、三人が何をしようとしているのかは分かりやすかった。
ゼルディヴァンの周囲へ《群鏡演算》の鏡が広がり、エリゼナの位置と動きを複数方向から捉える。ルシェルトは真正面へ立たず、すぐに移動できる経路を確保しながら横へ回り、イェルシェリナは二人の位置を見て全体の条件を整理していた。
旧採石路で見た時と同じだ。
三人は何をするべきか分かっている。
だが、開始の合図が出た直後、エリゼナはその準備ごと押し切った。
正面から踏み込んだ一歩が速い。ゼルディヴァンが鏡を動かし、進路を読むのとほぼ同時にエリゼナは身体の向きを変え、最初から狙われていた位置を外した。
「右へ来る!」
ゼルディヴァンの声にルシェルトが動いたが、エリゼナは追わない。
代わりに一気に距離を詰めた先は、イェルシェリナだった。
イェルシェリナも避けようとしたものの、速度が違った。訓練用の武器が届く直前で止まり、一本取られたと分かる距離まで入り込まれている。
そこへルシェルトが横から踏み込む。
エリゼナは振り向きざまに攻撃を受け流し、その勢いを崩さないまま間合いの外へ押し返した。体格ではルシェルトの方が大きいのに、正面からぶつかった瞬間に主導権を奪われている。
ゼルディヴァンの指示は間違っていなかった。
「二歩下がれ、左から入る!」
ルシェルトも反応している。
イェルシェリナもエリゼナが次に狙える位置から外れるよう動く。
それでも、エリゼナの方が一手早かった。
三人の連携を無視して突っ込んでいるわけではない。ゼルディヴァンが位置を読むなら、その判断が攻撃へ変わるより先に間合いを変え、ルシェルトが道を作るなら、そこから抜けられる前に距離を詰める。イェルシェリナが全体を整える時間も与えない。
リゼルヴェートには、三人が何もできていないようには見えなかった。
ただ、正しい判断がそのまま勝ちへ繋がっていない。
エリゼナ一人を止めるための決定的な一撃が、三人の側にはなかった。
簡易模擬戦は長く続かなかった。
最後はゼルディヴァンの指示で左右へ分かれたところをエリゼナに中央から崩され、ルシェルトが先に制される。そこからイェルシェリナ、ゼルディヴァンの順に訓練武器を突きつけられ、三人とも有効な反撃を成立させられないまま終わった。
エリゼナは勝っても笑わなかった。
「やっぱり、私の評価は変わりません。三人の能力は有用です。でも、正面戦闘では明確に足りていない。だから危険な任務へ出るなと言っているんです」
息を整えながらルシェルトが肩を回す。
「その言い方だと、俺たちが好きで危険な任務ばっかり選んでるみたいなんだけどな」
「実際、回ってきた任務を受けてるでしょう」
「受けなきゃ仕事にならないんだよ」
「だから余計に問題なんです」
エリゼナの返答は厳しかったが、三人を馬鹿にしているようには聞こえない。戦えないなら戦場へ来るなというより、戦えない者が死ぬような場所へ行くことを、本気で危険だと思っているようだった。
リゼルヴェートがそのやり取りを聞いていると、エリゼナの視線がこちらへ移った。
「そういえば、旧採石路の最新報告に同行者の記載がありましたね」
イェルシェリナがわずかに表情を変える。
「必要な範囲だけよ」
「魔獣群を同行者が排除した、とありました。実数は事前報告を大きく超えていたとも」
エリゼナは訓練用の武器を元の場所へ戻してから、改めてリゼルヴェートを見る。
「それがあなたですか?」
「うん。たぶん」
「たぶん?」
「倒したのは私だけど、初めて使った力だったから、まだ自分でもよく分かってないの」
その返答を聞いても、エリゼナは疑うような態度を見せなかった。ただ、先ほど三人と戦っていた時とは違う種類の真剣さでリゼルヴェートを見ている。
「直接戦って確かめるつもりはありません。能力が分からない相手と、いきなり模擬戦をするのは確認方法として雑すぎます」
「じゃあ、どうするの?」
「訓練標的へ一度だけ攻撃してもらえますか。無理に強くする必要はありません。あなたが安全だと思う範囲で構いません」
リゼルヴェートはイェルシェリナを見る。
昨日、勝手に能力確認を続けないと約束してくれた相手だからこそ、先に確認しておきたかった。
イェルシェリナもその意図を理解したらしく、すぐには答えずにリゼルヴェートへ問い返す。
「あなたがやってもいいと思うなら、私は止めないわ。ただし、嫌なら断っていい」
「ううん。標的だけなら大丈夫」
昨日は壊さないようにと言われた標的を結局割ってしまったが、今日は最初から一撃を見せることが目的らしい。どの程度まで抑えるべきかは少し不安だったものの、少なくとも人へ向けるわけではない。
エリゼナに案内され、訓練場の端にある標的の前まで歩く。
背後ではイェルシェリナたちが距離を取り、アシェラも少し離れた位置でこちらを見ている。目の前の標的は昨日使ったものより頑丈そうで、表面には過去の訓練で刻まれた傷がいくつも残っていた。
リゼルヴェートはその正面で足を止め、自分の右手を見てから標的へ向き直った。
昨日より少しだけ、自分の力が何をするのか知っている。
それでも、どこまでできるのかはまだ何も分かっていなかった。




