第一章 11 『強すぎる』
ゼルディヴァンが最初に確認したのは、魔獣の群れを倒せたという結果ではなかった。
旧採石路には、ほんの少し前まで十体を超える魔獣がいた。北斜面、正面の旧搬出路、退路として確保した南西側まで複数方向から囲まれ、自分たち三人だけなら撤退経路を維持するだけでも限界が近かった。それが今は、倒れた魔獣どころか血痕も肉片も残っておらず、リゼルヴェートが最初に手を伸ばしてから全てが終わるまでの時間も、長く見積もって数十秒程度しかない。
だから問題なのは勝敗ではなく、目の前で起きた現象について《なぜそうなったのか》をほとんど説明できないことだった。
ゼルディヴァンはまだ残していた《群鏡演算》の鏡を周囲へ分散させ、戦闘が起きた場所を改めて確認していく。最初の一体が消えた位置、正面から迫った二体を迎撃した場所、後方の群れがいた旧道、最後に数体が逃げようとした斜面まで複数の視界を重ねたが、何度確認しても結果は変わらなかった。
「死骸も血痕もない。切断された一部が残ってるわけでもないし、地面や岩壁への被害もほとんど増えてない」
攻撃を外して周囲ごと吹き飛ばしたわけではない。魔獣が突進した際につけた爪痕や、自分たちが走った跡はそのまま残っているのに、リゼルヴェートの攻撃を受けた魔獣だけが綺麗に消えている。
特殊な結果を生み出す真律そのものは珍しくない。普通の魔法では説明できない現象を起こすからこそ、個人固有の力として別の名前で扱われているのだから、魔獣を消すという結果だけなら未知の真律として受け入れる余地はある。
だが、ゼルディヴァンが引っかかっているのはそこではなかった。
鏡に残っている観測結果と自身の記憶を重ねる。最初の一撃は、魔獣の牙がルシェルトへ届くより早く割り込み、その身体を瞬時に消した。その直後には複数の光の花弁が同時に展開され、別々の敵へ向かいながら互いの軌道を邪魔せず、横へ逃げた個体には曲がって追いつき、岩陰へ回った個体にも別方向から接近している。
攻撃速度が速いだけなら理解できる。単純な威力が高いだけでも同じだった。
だが、十体を超える相手へ異なる軌道を同時に成立させ、その全てが対象を正確に捉え、周囲をほとんど巻き込まずに消している。速度、威力、同時処理数、制御精度のどれか一つだけが突出しているのではなく、確認できる範囲では全てがおかしかった。
「ゼル、何か分かったか?」
周囲を見回っていたルシェルトが戻ってくる。魔獣に噛みつかれかけた肩にも傷はなく、動きに異常も見えなかった。
「分からないことが増えた」
「調べたのに?」
「普通なら情報が増えれば絞れる。でも今回は、調べるほど説明できない部分が増えてる」
ゼルディヴァンは浮かべた鏡の一枚を、最初にリゼルヴェートが立っていた位置へ向ける。
「最初の一撃は速すぎた。《群鏡演算》で拾えたのは発動前と、魔獣が消えた後に近い。途中の移動を正確に追えてない」
「お前でも追えなかったのか?」
「俺の真律は見えてないものまで勝手に記録する能力じゃない。観測できなかった部分は空白のままだし、そこを想像で埋めたら分析じゃなくなる」
イェルシェリナも少し離れた地面を確認していたが、やがて手元の記録を閉じて戻ってきた。
「周囲への被害は?」
「ほとんどない。魔獣が走った時の跡は残ってるけど、リゼルヴェートの攻撃で地面や岩が壊れた形跡は確認できない。見た範囲では対象だけに作用してるように見える」
「断定は?」
「しない。どういう条件でそうなってるのか分からない以上、今言えるのは《そう見えた》までだ」
イェルシェリナはそれ以上問いを重ねず、少し離れた場所にいるリゼルヴェートへ視線を移した。
当人は自分の右手を何度か見たあと、魔獣が消えた旧道を見回している。つい先ほど十体を超える群れを一人で消した本人とは思えないほど、表情に浮かんでいるのは勝利への満足ではなく、自分でも何をしたのか分かっていない困惑だった。
その隣にはアシェラがいる。
ゼルディヴァンは戦闘直後から引っかかっていた違いを、改めてそこに見つけた。自分もイェルシェリナもルシェルトも、あの光景を見て動きを止めた。リゼルヴェート本人ですら、自分の力が強すぎるのではないかと口にしている。
アシェラだけは、最初から最後までほとんど反応を変えていなかった。
「リゼルヴェート、少し確認したい」
「うん」
呼ぶと、リゼルヴェートは素直に近づいてきた。
「さっき使った『星桜千華』。あれを使ったのは、本当に今日が初めてか?」
「うん。名前も、ルシェルトを助けなきゃって思った時に急に分かったの。それまでは、あんなことができるなんて知らなかったよ」
「誰かに使い方を教わったこともない?」
「ないよ。私も、どうしてできたのかよく分かってない」
返答に迷いは見えなかった。
森で出会ってからまだ数日しか経っていないが、リゼルヴェートは知らないことを知っているように取り繕う人物には見えない。少なくとも、本人の認識としては本当に初使用と考えてよさそうだった。
「花弁は一枚ずつ動かしてたのか?」
「そこもよく分からないの。あの魔獣を止めたいって思ったら動いてくれて、他の魔獣が来た時も、そっちへ行ってほしいと思ったら勝手に飛んでいった感じ」
「具体的な軌道は考えてない?」
「考えてないよ。どの花びらをどっちから飛ばすとか、そんな余裕なかったし」
「何枚出してたかは覚えてるか?」
リゼルヴェートはしばらく考え、周囲にもう残っていない花弁を思い出すように視線を動かしてから首を横へ振った。
「最初は一枚だったと思うけど、その後は数えてない。気づいたらいっぱいあったから……」
「そうだろうな。俺も途中から正確な枚数は拾えてない」
発動した本人が初使用であり、操作数も把握していない以上、この場で質問を続けても得られる情報には限界がある。
それなら、次に確認するべき相手は一人しかいなかった。
ゼルディヴァンはアシェラを見る。
「お前は驚いてなかったな」
アシェラは答えない。
「リゼルヴェートがああいう力を使えるって知ってたのか?」
返事はなく、淡金と星紫の瞳だけがゼルディヴァンへ向いた。
「初めて見た反応には見えなかった。何か知ってるなら聞きたい」
短い沈黙のあと、アシェラはいつもの平坦な声で答えた。
「……話さない」
「知らない、じゃなくて?」
「……話さない」
言葉を変えても返答は同じだったため、ゼルディヴァンはそこで追及を止めた。何かを知っている可能性と、今ここでそれを聞き出せるかどうかは別問題であり、答える意思のない相手へ同じ質問を重ねても情報は増えない。
「アシェラ、何か知ってるの?」
今度はリゼルヴェート自身が尋ねた。
アシェラは彼女へ視線を向けたものの、やはり説明する様子はなかった。
「……今は、話さない」
「私にも?」
「……うん」
「そっか……」
リゼルヴェートは困ったように眉を寄せたが、それ以上問い詰めることはしなかった。
ゼルディヴァンも二人の関係そのものへ踏み込むつもりはない。今整理するべきなのは、確認できた事実だけだった。
リゼルヴェートは今日、初めて自分の真律を使ったと答えている。本人は性能も操作数も把握していない。それにもかかわらず、自分たち三人を撤退へ追い込み、最後には退路まで塞いだ魔獣群を、単独で短時間のうちに消し去った。
その事実だけで十分すぎるほど異常だった。
「一つ決めた方がいい」
ゼルディヴァンが口を開くと、イェルシェリナがすぐにこちらを見る。
「この件をどう報告するか、ね」
「ああ。任務報告には、実際の魔獣数が事前報告と大きく違っていたことと、群れが複数方向から行動していたことは書くべきだ。でも、リゼルヴェートの真律について確認できてない内容まで外へ出す必要はない」
イェルシェリナはわずかに考えただけで頷いた。
「同意するわ。任務として報告する義務があるのは現地状況と結果まで。リゼルヴェートの真律がどういう能力で、どこまで使えるのかを、本人より先に私たちが決めて公表する権利はないもの」
「でも魔獣が全部いなくなった理由は聞かれるだろ?」
ルシェルトの疑問は当然だった。
「そこは事実を隠す必要はない。同行者が戦闘へ参加し、群れを排除したと報告すればいい。技の詳しい性質や、本人がどこまで同じことを再現できるかまで勝手に付け足さなければいいだけだ」
「それなら、任務報告としても嘘にはならないわね」
イェルシェリナはそう確認してから、リゼルヴェートへ身体を向けた。
「あなた自身はどうしたい? 今日使った力について、今の段階で王国側へ詳しく伝えたい?」
「詳しくって言われても、私もまだ何ができるのか分かってないよ。さっきのだって、ルシェルトを助けなきゃって思ったらできただけだし」
「なら、今はそれでいいわ。分からない状態で周囲に勝手な評価を広められるより、まず安全な場所で自分の力を確認した方がいい」
「うん。私も、自分が何したのかちゃんと知りたい」
それで方針は決まった。
現場で必要な記録を取り終えた頃には、初秋の空はすでに夕方へ傾き始めていた。ルシェルトが《道界標》で確保していた帰路を使い、五人で王都側へ戻りながらも、ゼルディヴァンは先ほどの戦闘情報を頭の中で何度も並べ直した。
速度だけがおかしいのではない。威力だけでもなく、複数対象を同時に処理する数、逃げる敵へ追いつく軌道制御、対象以外をほとんど壊さない精度、発動後のリゼルヴェートに目立った消耗が見えないことまで含めて、一つずつなら特殊な真律として考えられても、それら全てが同時に成立していることが異常だった。
しかも、それを使った本人は今日が初めてだと言っている。
拠点へ戻った後に確認するべきことは多い。単純な威力を見るだけでは意味がなく、どの程度の距離まで届くのか、何を攻撃対象として選べるのか、本人の意思で止められるのか、再び使った時にも同じ現象が起きるのか。危険だから使わせないという話ではなく、リゼルヴェート自身が自分の力を知らないまま使い続ける方が問題だった。
ゼルディヴァンは少し前を歩くリゼルヴェートへ視線を向けた。ルシェルトが無傷だと分かってからは多少普段の調子を取り戻しているものの、ときどき自分の右手を見る様子だけはまだ残っている。
今の段階で答えを出す必要はない。
だが、調べる必要があることだけは間違いなかった。
「リゼルヴェート」
「なに?」
「一度、ちゃんと調べた方がいい。たぶん、俺たちが思ってるよりずっとおかしい」




