第9話「枯れゆく侯爵領と、偽りの『花の乙女』の焦燥」
所変わって、王都の南に広がるオルコット侯爵領。
かつては「王国のパン籠」と呼ばれるほど肥沃だったはずのその大地は、十月の収穫期を迎えて、地獄のような惨状を呈していた。
「ど、どういうことだこれは……!? なぜ小麦の穂がすべて真っ黒に立ち枯れている!? 野菜の畑も、土が石のようにひび割れて、白い粉まで吹いているではないか!」
視察に訪れたセドリック・オルコットは、変わり果てた領地の畑を見渡して悲鳴のような怒声を上げた。
見渡す限りの畑には、背丈が半分にも満たないまま茶色くねじ曲がって枯死した麦の残骸が広がり、風が吹くたびに灰色の乾いた砂塵が舞い上がっている。
彼の隣では、豪華な薔薇柄のドレスを着たミリアムが、土埃で靴や裾が汚れるのを嫌がるようにレースのハンカチで鼻を押さえていた。
「いやだわセドリック様、こんな埃っぽい場所に長くいたら、私の自慢のお肌が荒れてしまいます! 日差しも強いし、早くお屋敷に戻って冷たい果実水でもいただきましょうよ!」
「戻れるわけがあるか!! ミリアム、よくもそんな呑気なことが言えるな! 貴様が春に『お姉様の面倒な輪作なんかやめて、一番高く売れる高級小麦と香料用の薔薇だけを毎年同じ畑に植え続ければ、利益が三倍になりますわ!』と言ったから、俺は領内のすべての休耕地を潰して小麦と薔薇だけを植えさせたのだぞ! さらに貴様の『促成開花』の魔術で無理やり成長を早めた結果が、このザマか!?」
「わ、私のせいにしないでくださいまし! 春先に私が魔力を注いだ時は、あんなに立派に茎が伸びて花が咲いたではありませんか! 社交界の皆様だって、私が咲かせた黄金色の麦の穂を見て『奇跡の花の乙女だ』って褒めてくださったわ! 後から枯れたのは、私の魔術のせいじゃなくて、きっとこの畑の農夫たちが水やりや手入れを怠けたせいですわ!」
ミリアムがヒステリックに叫び返すと、周囲の乾ききった地面に土下座していた農夫たちの長が、血を吐くような声で顔を上げた。
「め、滅相もございません、若様! お嬢様! 我々は夜も寝ずに川から水を運び、必死に世話をいたしました! ですが、ミリアムお嬢様があの赤い魔術の光で無理やり作物を大きくされるたび、土の中からミミズや小さな虫が一匹残らず這い出して死に絶え、土がまるで焼き固めた煉瓦のようにカチカチに硬くなってしまったのです!」
老農夫はひび割れた土を拳で叩き、涙をこぼしながら訴え続けた。
「それだけではございません! フィーネ様が毎年細かく決めてくださっていた『豆の植え付け』や『完熟堆肥のすき込み』を若様がすべて廃止され、代わりに王都の錬金術師から買った高価な『速効性の化学魔薬』ばかりを大量に撒かせたせいで、土に白い塩の結晶が浮き出し、作物の根がすべて塩焼けしてドロドロに腐ってしまったのです! 今年の収穫は、例年の十分の一どころか、来年の種籾すら残らない有様でございます……!」
それこそが、自然の摂理を無視した「略奪農法」の末路――深刻な『連作障害』と『塩類集積』、そして土壌微生物の死滅による砂漠化だった。
植物というのは、同じ科の作物を同じ場所に続けて植えると、特定の養分だけが極端に奪われ、さらにその作物の根を好む特定の病原菌や線虫が爆発的に増殖する。
フィーネが過去三年間、あれほど緻密な計算で麦・豆・根菜を順番に巡らせ、有機堆肥で微生物の多様性と団粒構造を守っていたからこそ、オルコット領は毎年安定した豊作を維持できていたのだ。
それを「泥臭い自己満足」と切り捨て、ミリアムの『促成開花』で植物の細胞分裂だけを強制的に暴走させた結果、土の中に残っていたわずかな腐植と微量要素は一瞬で吸い尽くされ、畑は今後何年も草一本生えない「死の灰土」へと成り果てたのである。
「そんなバカな……! 収穫がゼロだと!? では、今月末に迫っている王室と大商会への小麦の納品はどうなる!? 王室御用達の契約金として、すでに前払いで金貨五千枚を受け取って、お前との盛大な婚約披露パーティーや、お前がねだった王都の宝石店のドレスや首飾りの購入にすべて使ってしまったのだぞ!?」
セドリックの顔からサッと血の気が失せた。契約通りに小麦を納められなければ、莫大な違約金が発生するばかりか、王室に対する詐欺罪として爵位すら危うくなる。
そこへ、泡を吹いた馬を飛ばして駆けつけてきた執事のギルバートが、ボロボロの姿で馬から転げ落ちるようにして駆け寄ってきた。
「わ、若様! 大変でございます! グレンツ辺境伯領のフィーネ嬢には、側室の話も農政顧問の話も、剣もほろろに拒絶されました! それどころか、グレンツ辺境伯閣下の凄まじい怒りを買い、次に近づけば氷狼騎士団の槍で串刺しにすると……!」
「なんだと!? あの泥人形め、俺がせっかく侯爵家の離れに置いてやると言ったのに、分際もわきまえおらんで! 辺境の貧乏領主に拾われたくらいで、いい気になりやがって!」
さらに悪い知らせは重なった。ミリアムの実家であるヴァルハイト伯爵家からも、真っ青な顔をした伯爵自身が馬車で乗り付けてきたのだ。
「セドリック殿! 大変だ、我がヴァルハイト伯爵領の畑も、ミリアムの魔術と錬金魔薬を使った区画がすべて全滅したぞ! しかも、今年の大凶作と重税に耐えかねた農民たちが鍬や鎌を持って屋敷を取り囲み、一揆を起こしかけているのだ! どうしてくれる、お前が『フィーネなど追い出してミリアムを差し出せば、侯爵家の豊富な資金で伯爵領も潤してやる』と約束したから、私はフィーネを勘当したのだぞ!」
「うるさい! 自分の領地の不作まで俺のせいにするな! そもそも貴様が『ミリアムこそが真の聖女だ』などと売り込んできたのが悪いのだろうが!」
「なんだと!? お前がフィーネの計画書を暖炉に捨てようとしたのが全ての始まりではないか!」
「ちょっと、お父様まで私とセドリック様を責める気!? 私の魔術は悪くないわ! もう嫌、こんな貧乏くさくて泥臭い話、聞きたくもないわ!」
ひび割れた砂塵の舞う畑の真ん中で、かつてフィーネを笑って追い出した三人は、醜く罵り合いながら責任をなすりつけ合っていた。
しかも、多くの熟練農夫たちは、フィーネが追放された直後に「あのお嬢様を追い出すような領主に未来はない」と見限って、すでに領地から逃げ出していたのである。その少なからぬ者が北のグレンツ領へ辿り着き、フィーネに保護されて新しい輪作農法を学び始めていたことを、セドリックたちは知る由もなかった。
彼らが引き起こした惨劇は、もはや一貴族家の内輪揉めでは済まされない規模へと膨れ上がっていた。




