第7話「甘く輝く『氷蜜リンゴ』と辺境の特産品革命」
冷たい『氷霧風』を見事に乗り切ったグレンツ辺境伯領に、実りの秋が訪れようとしていた。
八月の終わりから九月にかけて、私たちが丹精込めて手入れをしてきた畑や果樹園は、かつてないほどの劇的な変貌を遂げていた。
真っ先に大収穫を迎えたのは、火山灰土の性質を逆手に取って栽培した『黄金ジャガイモ』だった。
実は、ジャガイモという作物は、石灰を撒きすぎて土がアルカリ性に傾くと「そうか病」という病気にかかりやすくなり、逆に少し酸性が残っている水はけの良い黒ボク土(火山灰土)でこそ、最も肌が綺麗でホクホクとした極上の芋に育つという性質がある。
私は『土壌対話』でジャガイモ畑の酸度を「程よい弱酸性」に精密に整え、草木灰のカリウムをたっぷり効かせることで、握り拳よりも大きく、中身が黄金色で栗のように甘い『黄金ジャガイモ』を、なんと昨年の四倍もの収量で掘り出すことに成功したのである。
「うわあああっ! 見ろよ、一株抜いただけで、こんなにデカい黄金色の芋が十個もぶら下がってやがる!」
「茹でただけでバターみてえな香りがして、舌の上でとろけるぞ!」
農夫たちの歓喜の声は、それだけでは終わらなかった。
城の北側の斜面にある、これまで酸っぱくて硬い実しか生らなかった古い『リンゴ園』でも、奇跡が起きていたのだ。
私は春先から、このリンゴ園の木の根元に『腐葉土とリン酸分の多い骨粉堆肥』を深く埋め込み、日当たりを良くするための剪定と、一つの枝に成らせる実の数を絞る『摘果』を徹底して指導していた。さらに、木の下に白い石灰石を敷き詰めて太陽の光を反射させ、リンゴの底まで真っ赤に色づくように工夫したのだ。
そして九月の朝、マルクスさんとアシェル様を連れてリンゴ園を訪れた私は、真っ赤に熟した一際大きなリンゴをもぎ取り、ナイフで真っ二つに切り分けた。
「お、おおおっ……!? な、なんだこれは!? リンゴの真ん中が、黄金色に透き通ってやがるぞ!?」
マルクスさんが目を剥いて叫んだ。
切られたリンゴの断面には、中心の種の周りから果肉全体にかけて、まるで琥珀色の宝石のような『蜜』が、今にも滴り落ちそうなほどたっぷりと詰まっていたのである。
「アシェル様、どうぞ召し上がってみてください」
私が一切れを差し出すと、アシェル様が口に運び、パリッ! と小気味よい音を立てて噛み締めた。
瞬間、アシェル様の氷碧の瞳が大きく見開かれた。
「……甘い! 今まで食べてきたリンゴとは、まったく別の果物だ。噛んだ瞬間に芳醇な果汁が溢れ出し、蜂蜜のような濃厚な甘みと、爽やかな酸味が口いっぱいに広がる……!」
「はい! 北方の冷涼な気候と、秋の入り口の激しい寒暖差が、リンゴの中にこれだけの糖分と蜜を閉じ込めてくれたのです。私はこのリンゴを、グレンツ領の誇りを込めて『氷蜜リンゴ』と名付けたいと思います!」
「『氷蜜リンゴ』……! ああ、最高の名前だ!」
しかし、ただ美味しい作物をたくさん収穫するだけでは、本当の『領地の成り上がり』とは言えない。
農産物はそのままでは日持ちがせず、冬になれば雪で街道が閉ざされる辺境領では、安く買い叩かれてしまうからだ。
そこで私は、収穫された大量の農作物を『高付加価値な加工品』へと変えるプロジェクトを立ち上げた。
「ハンナさん、女性たちの仕事場(工房)の準備はいかがですか?」
「バッチリだよ、フィーネ様! 城下町の奥様方や娘さんたちが百人以上も集まって、大張り切りで作業してるさ!」
城下町に新設された加工工房では、甘い香りと活気ある笑い声が溢れていた。
まず、規格外の『氷蜜リンゴ』と『白詰草の百花蜜』を銅鍋でじっくりと煮詰めた、ルビー色に輝く『氷蜜リンゴのコンフィチュール(果実ジャム)』。
さらに、氷蜜リンゴの果汁を樽で発酵させた、黄金色の微発泡酒『グレンツ・シードル(林檎酒)』。
そして『黄金ジャガイモ』は、これからの冬の寒風と日差しを利用して凍結と乾燥を繰り返すことで何年でも保存ができる『凍み芋粉』や、菜種油でカリッと揚げて岩塩を振った保存食へと次々に加工されていった。
さらに、地熱温室で採れた高糖度の『甘露トマト』や『黄金メロン』は、一つ一つ丁寧に木箱に詰められ、国境を越えてやってくる隣国の隊商や、北方の富裕な交易商人たちへと売り出された。
「信じられん……! これほど甘く、香り高いリンゴ酒とジャムは、王都の宮廷でもお目にかかったことがないぞ!」
「この温室育ちの黄金メロンなら、一玉で金貨五枚はくだらない! ぜひ我が商会で全量買い取らせてくれ!」
商人たちが目の色を変えて殺到し、これまで「買うものなど何もない貧しい通過点」だったグレンツ辺境伯領の市場には、毎日驚くほどの金貨と銀貨が流れ込むようになった。
領民たちの懐は一気に潤い、ボロボロだった農夫たちの服は新しい羊毛の服に変わり、子供たちの頬はふっくらとバラ色に輝き始めた。
十月の初め、領主館の執務室で決算書を確認していた文官長のロベルトが、震える手で帳簿を掲げた。
「お、お館様! フィーネ様! 今年の第三四半期の税収および直轄領の交易利益ですが……前年の、実に『八倍』を突破いたしました! もはや王都の悪徳商人から高い穀物を買う必要など一切なく、むしろ今後三年分の食料を備蓄した上で、城壁の改修と新しい学校を建てる予算までお釣りが来ます!」
「八倍だと……!?」
アシェル様は帳簿を受け取ると、感極まったように立ち上がり、隣にいた私の体を両腕で力強く抱きしめた。
「フィーネ、なんということをしてくれたんだ、君は……! 半年だぞ。君がこのグレンツ領に来てから、まだ半年しか経っていないのに、君は数百年間続いてきた我が領地の貧困を、根底から覆してしまった……!」
「私一人の力ではありませんわ、アシェル様。あなたが私を信じてすべての権限と予算を与えてくださり、騎士団と領民の皆様が泥だらけになって一緒に汗を流してくれたからこそ、大地が応えてくれたのです」
私の言葉に、アシェル様は私の背中に回した腕をさらに強く引き寄せ、私の首筋に顔を埋めるようにして深く息を吐いた。
「……誇らしいよ、フィーネ。君は間違いなく、俺の、そしてグレンツ領の最高の宝だ」
幸せな熱気に包まれる執務室。
しかしその頃、遠く離れた王都とオルコット侯爵領では、私たちが予想していた通りの――いいえ、それ以上に惨憺たる崩壊の足音が、すぐそこまで忍び寄っていたのである。




