第51話:値で、追われる
六日が過ぎた。組合の四十人が湊の舟を全部当たった。二隻の行き先を見た者は、六人いた。六人とも違う方角を言った。鴎岬の櫓からは、毎日、同じ形の報せが来た。
〈鴎岬 目の中継所 六日目
沖の帆 午前二十二、午後十九。うち紋を掲げるもの なし。
旗を上げた船 四。いずれも入港の常套句のみ。
灯り、異状なし。
——本日も、それらしきものは見えず〉
最後の一行は、櫓の兵が毎日、勝手に書き足しているものだった。書式には無い。誰も、書くなとは言わなかった。
海務商会の船は、紋を降ろしていた。鳩は南へ飛ばせない。海の上に鳩舎が無い。
「嬢様」
マルロが、カルテンから馬で来ていた。八日の道を五日で来た。腰が悲鳴を上げているはずだが、そのことは言わなかった。
「数字を、持ってきやした」
彼は、帳を卓に置いた。
「今月の解約、二十九軒。先月の十六から、また増えてます。内陸の中継が三所、番人を減らさにゃ回りません。湊の支所は、上がりが六割落ちてまさあ」
彼は、指で表の下のほうを叩いた。
「半年と申し上げましたが、訂正します。四月です」
支所の板を書きに来ていたガレトが、白墨を置いた。エルシーは、カルテンから商人を三人連れてきていた。三人とも、翼の座の古い客である。三人とも、この場では黙っていた。
「ギルド長」
エルシーが口を開いた。
「あたしが言うよ。誰も言わないから」
彼女は、腕を組んだ。
「支所を閉めれば、あの子は返ってくる」
「はい」
「閉めても、カルテンの帳場は残る。中継三十一所も残る。伝令の給金も、鳩の餌代も出る」
「はい」
「半年前に戻るだけだよ。半年前、うちらは十分やってた」
誰も反論しなかった。マルロが、俯いたまま言った。
「……嬢様。俺は、あの子を見捨てろと言ってるんじゃありません」
「分かっています」
「三つの条件のうち、二つ呑めば返ってくるかもしれん。支所を閉めて、岬を撤する。覚え書きだけは渡さん。……そういう掛け合いも、できるはずでさあ」
「マルロ」
「へえ」
「それをすると、あの子は二度目に攫われます」
マルロが、帳の角をそろえ直した。三度そろえ直した。
「一度返せば、次はもっと簡単です。あの方は、それを学びます」
エルシーが、眉を寄せた。
「じゃあ、どうすんの」
「分かりません」
ロザリンドは、そう言った。誰も、その言葉を予想していなかった。
「四日で、あの子の居場所を探す手がありません。舟は出せません。南へは鳩が飛びません。灯りも旗も、こちらから振る先が分かりません」
彼女は、卓の上の地図を見た。
「わたくしの網は、いま、届いていません」
その夜、誰も帰らなかった。支所の板の間に、マルロとエルシーと商人が三人、ガレトと組合の者が数人、コリンとピナが座っていた。話は、同じところを三度回った。
三度目に回ったとき、エルシーが立ち上がった。
「決を採ろう。長引かせても、答えは変わらない」
手が挙がりかけた。
「待て」
声を出したのは、アルディスだった。いつ着いたのか、戸口に立っていた。外套が泥だらけである。ヴェイン領から、たぶん四日で来ている。
「決を採る前に、こいつの案を聞く番だ」
「案が無いって、本人が言ってるんだよ」
「無いと言った人間が、四日も黙って地図を見てるか」
アルディスは、外套を脱いで、卓の隅に掛けた。
「俺は北の人間だ。この場で口を出す筋合いはない。だから一つだけ言う」
彼は、ロザリンドを見なかった。板の間の全員を見た。
「決を採ると、負けたほうが黙る。黙った奴の頭の中にあった案は、二度と出てこない。……戦場で、それで人が死ぬのを見た」
誰も手を挙げなかった。
「朝までだ。朝までに何も無ければ、そのときは俺も賛成する」
夜半、支所の灯りが一つになった。ロザリンドは、卓の前に座っていた。動かなかった。ピナは、その斜め後ろで膝を抱えていた。
窓の外は、黒い。鴎岬の灯りが、八つ数えて一度、回っている。ヨナが火を入れ、いまは兵と番人が回している灯りである。それを見ながら、ロザリンドは自分の手のひらを見た。
届かない、というのが、こんなに具体的な感触だとは思っていなかった。三年前、断罪の夜に報せを止めたとき、この国の全部の中継所が彼女の指の先にあった。いまは、四日先の海に、子供が一人いるだけである。
「……お嬢」
「はい」
「あたし、字を教えるの、遅すぎました」
ピナの声は、平らだった。
「もっと早く教えてたら、あの子、書けたのに。書けてたら、帳の場所を紙に書けてたのに。書いてあったら、攫う意味なんか無かったのに」
ロザリンドは、答えなかった。
答えられなかった。そのとき、ピナが立ち上がった。
「お嬢。……あれ」
鴎岬の灯りは、変わらず八つ数えて一度、回っている。変わったのは、その、ずっと向こうだった。水平線の近く。常灯など一つも無いはずのあたりに、小さな光が点いていた。
長く。短く。短く。消えて、また、長く。
「……あそこ、何もありませんよ」
「三月ほど前にも、一度ありました」
ロザリンドは、帳面を引き寄せた。灯りが戻った夜に書き取った位置がある。同じ方角、同じ高さだった。
光は、刻み続けていた。切れ方に、癖があった。長い間のあとが、少しだけ急ぐ。それから、終わりの一つだけが短すぎる。ピナが、帽子のつばを弾いた。手が震えていた。
「……あれ、ヨナの手です」
「なぜ分かりますか」
「旗も同じでした。最後だけ、いつも急ぎます。何回直しても直らなくて、あたし、笑ったので」
ロザリンドは、筆を取った。
「読み取ります。ピナ、数えなさい。長いのと短いのを、そのまま」
「読めるんですか」
「読めません」
彼女は、紙を広げた。
「ですが、書き取ることはできます」
朝までです。この話に山はありません。
次話、灯りが場所ではないものを報せます。第二部・第三の区切りです。
※ブックマークは八つ数えて一度、回っています。




