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第5話:最初の依頼人

「悪いけどね、お嬢様。女の伝書屋に、荷駄の頭は張れないよ」


 カルテンの市場の外れ、毛織物の店先で、女商人エルシーは腕を組んだ。


 歳は三十絡み。北方三領に荷を回す、羊毛の仲買人だ。日に焼けた顔に、値切りで鍛えた目つき。塩の一件は聞いている、と彼女は言った。聞いた上で、信用はしていない、とも言った。


「塩は見事だったさ。けど、まぐれの一回で商売の命綱は預けられない。あたしらは相場で生きてる。読みを外せば、荷ごと沈む。あんたが外したとき、代わりに沈んでくれるのかい」

「沈みません。外さないので」

「言うねえ」


 エルシーは笑わなかった。試すように、店の奥から帳面を持ってきて広げる。


「なら聞くよ。うちの倉には、いま北方三領分の羊毛が眠ってる。刈りたての上物だ。——いつ売る?」

「王都の相場表は、なんと」

「高値はまだ伸びてる、続伸だとさ。だから来月まで寝かせる。それが読みだよ」


 ロザリンドは、懐から紙片を一枚出して、帳面の上に置いた。


〈王都相場表は、八日前の値です。羊毛の高値、峠向こうで既に崩れました。売りは本日中に。 R〉


「王都の官報は、駅逓が止まったいまも刷られています。ただし、届かない報せの穴を、八日前の古い値で埋めて。……あなたが来月売るつもりの高値は、もう、どこにもありません」

「はっ。それをあたしに信じろと? あんたの紙切れ一枚で?」

「信じなくて結構です。半分だけ、お売りなさい」


 ロザリンドは静かに言った。


「わたくしの報せが嘘なら、あなたは半分を惜しい値で手放しただけ。まことなら、半分は助かります。——報せの使い方とは、そういうものです」


 エルシーは長いことロザリンドの顔を睨んだ。

 それから舌打ちして、店の奥へ怒鳴った。荷の半分を、今日じゅうに売り払え、と。


 五日後。峠を越えてきた行商が、羊毛の値崩れを告げた。王都仕込みの強気で買い集めていた同業者が、荷を抱えたまま真っ青になっているという。

 エルシーは翌朝いちばんに鳩舎へ来て、台の上に銀貨の袋を、音を立てて置いた。


「……残りの半分も、あんたの言った捨て値の手前で逃がした。同業のよしみで教えてやった連中は、笑って聞かなかった。いまごろ笑ってないだろうよ」


 女商人は、腕を組んで言った。


「恩に着る。で? この店は、いくらで報せを売るんだい」


 鳩舎の壁に、ピナが板を打ちつけた。習いたての、線の震えた字で、料金表が書いてある。


 ——定期の相場報、旬ごとに銀三枚。

 ——至急の報せ、距離と危険で応相談。

 ——封は等級で使い分けます。


「最後の一行、どういう意味だい」


 エルシーが目を細めた。ロザリンドは、蝋燭の火で緋色の封蝋を溶かし、依頼受けの控えに印章を押してみせた。


「緋の封は、至急。藍は定期。届いた報せは、封の色と印章の向きを必ず確かめてください。色が違えば、それはわたくしどもの報せではありません」

「用心深いことだ。……で、そっちの黒いのは」

「黒は」


 ロザリンドは、少しだけ間を置いた。


「まだ、使いません」


 それ以上は言わなかった。エルシーは肩をすくめて、詮索をやめた。商人は、値札のついていないものを深追いしない。


「もうひとつ聞くよ。うちの荷の動きをあんたの鳩に載せる以上——あんた、よその客にうちの動きを売らないだろうね」

「売りません」


 即答だった。


「誰の秘密も売りません。ただし、嘘は運びません。——それが、この店の封蝋の意味です」

「嘘は運ばない、ね」


 エルシーは、その言葉を口の中で転がした。


「王都の官報とは大違いだ」


 その夕方、王都から一羽が着いた。残してきた目と耳が拾った、王都の消息だった。

 マルロが報せを読み上げて、途中で咳払いをした。


「……オルグレン伯爵家、羊毛の思惑買いで大穴。王都相場の高値を信じ、峠向こうの崩れを知らぬまま、借財までして買い増した由。損の高、およそ——」


 読み上げられた数字に、鳩舎が静まった。

 最初に噴き出したのはピナだった。


「オルグレンって、あれですよね。お嬢のこと『こっそり調べてた、怖い』って泣いてた、あのお家ですよね。ご自分ちの相場は調べなかったんですかね」

「ピナ」

「はーい。笑いません。……ぷふ」


 ロザリンドは何も言わなかった。


 オルグレン家は、八日前の相場を信じて買った。かつてなら、彼らの手元には最新の相場が——彼女の鳩が運ぶ報せが、届いていた。それだけのことだ。彼女は何もしていない。

 ——止めた、だけで。


 窓の外で、鳩が二羽、暢気に羽を繕っていた。


 噂は、塩と羊毛の二件で足がついた。


 旬が変わるころには、鳩舎の前に商人の列ができた。北方三領の穀物商、川湊の船主、国境の隊商宿の主人。皆、口々に同じことを言った。王都の報せは当てにならない。あんたの報せだけが、当たる。


 依頼は相場ばかりではなかった。

 嫁いだ娘の初産の報せが欲しいという川漁師。峠の雪の付き具合を知りたい隊商。行方の知れない兄を探す職人。ロザリンドはそのひとつひとつに値を付け、払えない者には払える値を付けた。

 初産の報せは、藍の封で届いた。母子ともに健やか、と。漁師は字が読めなかったので、ピナが三回読み上げ、三回目は漁師と一緒に泣いた。


「お嬢。もう回りません。鳩も、あたしの尻も限界です」


 帳場代わりの樽の上で、ピナが伸びていた。マルロが帳面を繰りながら唸る。


「人手もですが、決めごとが要ります。誰の依頼をどこまで受けるか。値付けの基準は。断りの筋は。関所の通行の証も、いまは一枚ずつ頼み込んでいる有様で。……このままでは、ただの便利屋にされます」


 ロザリンドは、帳面の依頼の列を眺めた。

 そのとき、鳩舎の戸口から、大きな声がした。


「——なら、看板を掲げればいい」


 アルディスだった。彼は上機嫌に大股で入ってくると、一枚の羊皮紙を、どんと台に置いた。

 辺境伯の花押と、真新しい印章が捺してあった。


「辺境伯領公認。関所の通行は自由、中継小屋の用地は領が貸す、荷は領兵が守る。——通信ギルドを、設立しないか」


 彼はそこで、少しだけ声を落とした。


「……ときに、あんた、ちゃんと飯を食っているのか。会うたびに帳面ばかり睨んで」

「食べています」

「鳩の餌みたいな量でだろう。設立の祝いは、うまいものにしろ。領主命令だ」


彼女は何もしていません。止めただけです。

次話、ギルド設立。数百羽、一斉に飛びます。

※ブックマークのご依頼は無料で承ります。封蝋は不要です。


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