第49話:盟約の、内側
通信同盟の臨時の席は、カルテンの領主館でひらかれた。四領。ヴェイン辺境伯領と、東・西・南の隣接三領である。半年前、この卓で盟約四条に判が押された。議題を持ち込んだのは、南のドルレイ伯だった。
六十がらみの、丸い顔の男である。物腰は柔らかく、笑うと目が細くなる。ロザリンドは、この人を悪く思ったことがない。半年前、盟約の四条目に最初に賛成したのも、この人だった。
「いや、皆さん。まずは礼を申し上げねばな」
彼は、開口一番そう言った。
「時化の一件、うちの領の荷も助かりました。翼の座には、いくら礼を言うても足りん」
「恐れ入ります」
「そこでな。恩返しの話をしたいのですよ」
彼は、書付を一枚出した。
「サルヴェニアの海務商会から、うちの領に話が来ておりましてな。湊の荷役料を、うちの領の荷に限って免ずると」
「条件は」
訊いたのはアルディスだった。
「条件というほどのものではない。同盟の便を、領が検められるようにしてほしい、と」
東の領主が、盟約書のほうへ目を落とした。
「検める、とは」
「いや、開けるという話ではない。中身を読むのではのうて、どこから来てどこへ行くかを、領が控えておきたいという程度で」
ドルレイ伯は、両手を広げた。
「うちの領は、街道の要でしてな。何が通っておるかも分からんものを通すのは、正直、恐ろしい」
ロザリンドは、その言い方を聞いていた。
半年前、この人は同じ卓で「報せは、領のものではない」と言った。四条目に最初に判を押したのもこの人である。あのときと今とで、この人の中身は何も変わっていない。変わったのは、この人の領の帳簿のほうだ。
荷役料の免除は、南の領にとって年に銀千枚を超える。それを、盟約の一条と引き換えにする。書付には、そんな文字は一つも書いていない。書いてなくても、卓に着いた全員がその計算をしている。
ドラゴは、この卓に一度も来ていない。来ずに、卓の上に金額を置いた。誰も、すぐには反論しなかった。
言い分としては、通る。領には領の責任がある。半年前と違うのは、半年前は「便が通ることの利」しか見えていなかったのが、いまは「通ることの怖さ」も見えてきたことだった。
「ロザリンド殿」
アルディスが、こちらを見た。ロザリンドは、卓の上の盟約書を引き寄せた。判の押された、半年前の一枚である。彼女は、それを開いた。
「読み上げます」
〈通信同盟 盟約
一、報せを止めない。
一、報せを曲げない。
一、封を検めない。
一、伝令は、いずれの領においても、その領の民として守られる〉
読み終えて、彼女は紙を卓に置いた。
それだけだった。何も付け足さなかった。反論も、説得も、条項の解釈も言わなかった。ドルレイ伯が、笑いを消した。
「……ヘイルワース殿。わしは、四条を破ろうと言うておるのではない」
「はい」
「便の中身は読まん。宛先を控えるだけです」
「はい」
「それは、検めることになりますかな」
ロザリンドは、しばらく答えなかった。
「なります」
彼女は、それだけ言った。
「宛先が分かれば、中身は要りません。誰が誰に、どのくらいの間で報せているか。それが分かる帳面は、中身を読むより多くのことを教えます」
彼女は、自分の指を一本立てた。
「わたくしは、それで王国の宰相を沈めました。中身を一行も読まずに」
卓の空気が、変わった。ドルレイ伯は、口を開き、閉じた。
「……なるほど。専門家の言うことは、重い」
「恐れ入ります」
「では、こういたしましょう。今日は決を採らん。次の席まで、皆で考える」
誰も反対しなかった。席が終わって、領主たちが引き上げたあと、アルディスが卓に残った。
「ロザリンド殿。あれは、押し切れた」
「押し切れました」
「なぜ押さなかった」
「押して勝つと、次の席で同じ話がまた出ます。今度は、もっと上手な言い方で」
彼女は、盟約書を巻いて紐をかけた。
「あの方は、悪い方ではありません。悪くない方が言い出したから、危ないのです」
アルディスは、腕を組んで唸った。
「……あんたは、敵より味方を計るほうが疲れそうだな」
「疲れます」
「素直に言ったな」
「閣下の前ですので」
彼が何か言いかけて、言わずに咳払いをした。廊下へ出たところで、エルシーが待っていた。伝法な商人が、めずらしく神妙な顔をしている。
「ギルド長。ちょっといい?」
「はい」
「さっきの、ドルレイの旦那の話ね。……あたしら商人の間でも、似た話が出てる」
「どのような」
「値を戻せば、荷は動くって話」
エルシーは、肩をすくめた。
「悪く思わないでよ。あたしはあんたの側。最初の客だからね。ただ、みんながみんな、あたしみたいに義理堅いわけじゃない」
ロザリンドは、頷いた。
「はい」
「あんた、それ全部分かってて、断ったんでしょ」
「はい」
「……ほんと、扱いにくいねえ、あんた」
エルシーは笑って、それから真顔になった。
「でもね。あたし、板の話は好きだよ。あんたが湊でやってるやつ。ただで配るってやつ」
「なぜですか」
「あたしが小娘のころ、羊毛の相場を教えてもらえなくて、二回潰れかけたから」
彼女は手を振って、行ってしまった。
その日の夕方、ロザリンドが帳場へ戻ると、支所からの便が届いていなかった。定期の便である。二日に一度、必ず来る。
「マルロ。湊の便は」
「まだですな。……珍しい」
夜になっても、来なかった。
翌朝、鴎岬の櫓から鳩が飛んできた。走り書きだった。
〈ヨナ、昨夕より戻らず。櫓の当直に入らず。宿にも、支所にも、桟橋にもおらず〉
四条は、まだ立っています。ただ、次の席でまた出るでしょう。
次話、子供が一人、いなくなります。
※ブックマークは検めません。




