第47話:網ごと、買う
二度目の会見は、五日後だった。今度は、ロザリンドのほうが日を指定した。帳場ではなく、ギルドの寄合の間である。マルロとエルシー、ドナウ、それにピナが同席した。アルディスも、末席にいた。
「閣下。領主が同席なさると、話がこじれます」
「こじれるほうがいい。俺が居れば、あの男は『領の後ろ盾がある』と数える」
「数えられて、困りませんか」
「困らん。事実だ」
彼は、それきり一言も喋らなかった。腕を組んで、二刻のあいだ、扉のほうを見ていた。人を置いたのは、聞かせるためだった。
「では、本題を」
ドラゴは、前置きをしなかった。
「翼の座を、網ごと買いたい」
エルシーが、隣で息を吸った。
「中継三十一所、鳩八百、伝令三十八人、顧客二百。湊バルカ支所と鴎岬の中継を含む。看板も、封蝋も、そのまま。あなたはギルド長のままで結構。給金は今の十倍お出しする」
数字は、一つも間違っていなかった。
「決めるものは」
「値です。ほかは、何も」
彼は、紙を一枚滑らせた。
〈譲渡の申し入れ
一、通信ギルド「翼の座」の一切——中継所・鳩舎・伝令・封蝋の型・顧客帳・湊バルカ支所ならびに鴎岬中継——を、海務商会が引き受ける。
一、看板および封蝋の意匠は現行のまま存置する。
一、ギルド長は現職を留任とし、月々の給金は現行の十倍を支する。
一、報せの値は、海務商会がこれを定める。
一、譲渡の対価 枚
海務商会 ドラゴ・ヴェスパ〉
最後の行の、数字の入るところが、空白だった。ロザリンドは、その紙を見た。見て、卓の中央に置き直した。
「三度目です」
「ほう」
「一度目は、王国の宰相。網を東へ売ろうとした人です。二度目は、あなたの代理人。三度目が、あなた」
「そのお三方は、皆さん空欄をお使いになった」
「はい」
彼女は、指先で紙の端をそろえた。
「金額を書かせるのは、断りにくくするためですね。書いた人は、もう値の話をしています」
「……よくお分かりだ」
ドラゴは、愉快そうに笑った。
「では、書かずにお答えを」
ロザリンドは、一度だけ息を吸った。
「お断りします」
エルシーが、卓の下で指を折って何かを数えはじめた。
「今さらではなく、初めから遅いので」
ドラゴの笑いが、少しだけ止まった。
「……ほう。それは、どういう意味です」
「あなたが値をつけようとしておられるものは、父が三十年、伝令が十年、この人たちが半年かけて作ったものです。作っている間、あなたは一度も来ませんでした」
彼女は、卓の紙を彼のほうへ押し戻した。
「出来上がってから来た人に、売る値はありません」
ドナウが、椅子の背に体重を預け直した。ドラゴは、紙を懐へ戻した。丁寧に、折り目を合わせて。
「よろしい。では、道を高くつけましょう」
「どういう意味でしょうか」
「そのままの意味です」
彼は立ち上がった。
「ヘイルワース殿。あなたは無料で配ることで、わたしの値を消した。ならばわたしは、あなたが配るための道を、高くする。荷役も、桟橋も、蔵も、船も、みな値のつくものです」
扉のところで、彼は一礼した。
「三月ほど、お待ちください。数字は正直です」
その日から、湊の荷が止まり始めた。最初は桟橋の使用料が倍になった。次に、荷役の組が「先約がある」と言い出した。翼の座の荷だけが後回しになり、三日待ちが五日待ちになった。
商館は何も命じていない。命じた形跡はどこにも無い。ただ、荷役の頭に船が二隻貸し出され、桟橋の持ち主に融通がついただけである。
半月で、湊バルカ支所の上がりは四割落ちた。どこにも、命令の痕跡が無いのが厄介だった。
桟橋の持ち主は「修繕の費えが嵩んだ」と言い、荷役の頭は「先約が立て込んでいる」と言う。どれも嘘ではない。修繕の費えは実際に嵩んでおり、その費えを立て替えたのが誰かというところだけが、帳面に出てこない。
握り潰す相手なら、握り潰した手を探せばいい。この男は握り潰さない。ただ、周りの人の都合を、少しずつ自分の側へ寄せていく。
やっていることは、去年、彼女が宰相にやったことと向きが同じだった。事実だけを、こちらに都合よく並べる。並べただけで、嘘は一つも無い。
カルテンの帳場では、逆のことが起きた。海の報せを買っていた内陸の商会が、次々と契約を切り始めたのである。理由はどこも同じだった。
「うちは、南の商館とも取引があるので」
エルシーが、帳を叩きつけるように置いた。
「ギルド長。今月で十六軒」
「先月は」
「四軒。……四倍です」
マルロが、腕を組んで唸った。
「嬢様。数字だけ申し上げますぜ」
「はい」
「湊の支所は、いまのままなら半年で畳むことになりまさあ。カルテンの上がりで支えりゃ持ちますが、そうすると今度は、中継所の修繕が回らねえ」
彼は、言いにくそうに続けた。
「断ったのは、正しいと思います。俺は、正しいと思ってます。……ただ」
彼は、そこで一度言葉を切った。
「正しさは、給金になりません」
誰も反論しなかった。ドナウも黙っていた。ロザリンドは、帳を開いて、数字を上から下まで見た。マルロの言うとおりだった。半年である。半年で、選ぶことになる。湊を畳むか、値を戻すか。
「マルロ。今日はここまでにしましょう」
「嬢様」
「数字は正しいので、明日また見ます。今日見ても、同じ数字です」
その夜、帳場の灯りが最後まで消えなかった。ロザリンドは、卓の上にドラゴの海図を広げていた。潮の筋だけの地図である。ピナが、湯を持って入ってきた。
「お嬢。寝ないんですか」
「寝ます。あと少しで」
「その地図、何か書いてあるんですか」
「潮です。ぐるぐる回っています」
ピナは、地図を覗き込んだ。
「……これ、行って戻ってきてますね」
「はい」
「じゃあ、これに乗せたものは、放っといても帰ってくるんですか」
ロザリンドの手が、止まった。
「ピナ」
「はい」
「もう一度、言ってください」
「え? えっと……放っといても、帰ってくるんですか?」
彼女は、しばらく地図を見ていた。
「……いいえ。まだ足りません」
ロザリンドは灯りを落とした。
「ですが、覚えておきます」
断りました。三月ほど待て、と言われました。数字は正直です。
次話、北の辺地から一通、届きます。粗末な紙です。
※ブックマークは荷役の順番を待ちません。




