第40話:目の中継所
内通者は、支所で雇った湊の男だった。囮の便が商館へ運ばれた道筋を三日たどれば、すぐに分かった。荷の受け渡しの刻限を知り、鳩の飛ぶ順を知り、そのうえで昼の便だけを狙える者は、支所の中に四人しかいない。
男は、呼ばれた時点で全部話した。
「……娘が、商館の下働きに入ってて。あそこを切られると、冬が越せません」
ロザリンドは、しばらく黙っていた。
「いくら受け取りましたか」
「銀で、月に六枚です」
「支所の給金は」
「……五枚です」
彼女は帳面に何か書き、それから顔を上げた。
「明日から、給金を七枚にします」
「え」
「その代わり、商館へは今までどおり通っていただきます」
男の顔が、白くなった。
「嬢様、それは」
「渡す中身は、こちらで決めます。嘘は書きません。ただ、書く順番を決めるのはこちらです」
「……俺を、使うんですか」
「はい。断ってくださって構いません。断っても、給金は五枚のまま置きます」
男は、両手で顔を覆って、しばらく動かなかった。
ピナが後で、遠慮がちに訊いた。
「お嬢。あの人、また売りますよ」
「売ります」
「いいんですか」
「売る先が一つに決まっているほうが、こちらは楽です。——それに」
ロザリンドは、帳面を閉じた。
「あの方の娘は、商館で働いています。切られると困る人が、こちらにも一人増えました」
鴎岬の願い出は、その週のうちに通った。
代官所は「灯台の見張りを増やしたいが人手が無い」と願い出て、ヴェイン辺境伯領が「隣接領の好意」として兵を十二名貸した。法には触れない。誰も嘘をついていない。ただ、順番だけがこちらの都合で並んでいる。
兵を出すにあたって、アルディスからは一行だけ来た。
〈兵は貸す。指図はそちらでやれ。俺の兵が、俺の知らん命令で動くのは、これが初めてだ。——ヴェイン〉
ロザリンドは、その紙を折り畳んだ。
「マルロ。返事を」
「なんと書きやす」
「〈お預かりします。返すときは、数を揃えて〉と」
兵とともに、鳩舎が一つ、岬へ運ばれた。組み立てを見に来たドナウは、岬の風を一刻ほど手のひらで受けて、それから左膝をさすった。
「嬢様。ここは、鳥には辛うございますな」
「飛べませんか」
「飛べます。ただ、海風は鳥には嘘つきですわい。行きは押してくれて、帰りは押し戻す」
「では、帰りだけ低く飛べる鳩を」
「……嬢様は、ほんに人使いが荒い」
老人は笑って、それから真面目な顔になった。
「三月ください。この岬の風に慣れた血統を、儂が作りますで」
目の中継所ができたのは、それから十日後である。岬の突端に、櫓を一つ。上に見張りが二人。旗竿が三本。そのすぐ後ろに鳩舎。
仕組みは単純だった。沖の船が旗を上げる。櫓の見張りが読む。読んだものを紙に落とす。紙を鳩に持たせる。鳩は湊の支所か、内陸の第一中継へ飛ぶ。夜は、灯台の灯りが櫓に間を送り、櫓が受ける。
海と陸が、初めて一本の線になった。ロザリンドは、開設の日、櫓の下で半日かけて刻限を測った。
沖の船が旗を上げてから、櫓が読み終わるまでが、およそ十を数える間。紙に落とすのに二十。鳩が湊まで飛ぶのに、風がよければ四半刻。第一中継までなら半刻。そこから先は、これまでどおりの陸の網である。
沖で見たものが、その日のうちにカルテンの帳場へ着く。これまでは、船が湊に入るまで待ち、船頭が組合に話すまで待ち、組合が値をつけるまで待って、それから買っていた。三日はかかっていたはずだ。
三日が、半日になった。速くなったこと自体が嬉しいのではない、と彼女は思う。速いというのは、間に合うということだ。時化の見立ては、間に合わなければただの紙である。ロザリンドは、その日の帳面にこう書いた。
〈鴎岬 目の中継所 開設。海の報せは、ここで陸の言葉になる。
当直は昼二名・夜二名。旗と灯りの両方を読める者を必ず一名置く。
——当分のあいだ、その一名はヨナのみ〉
書いてから、彼女は最後の一行をしばらく見ていた。書いた事実が、そのまま弱点だった。
「ピナ」
「はい」
「稽古を、増やせますか」
「増やします。腕、もう痛くないので」
「痛みは二日と申しました。今日で四日です」
「じゃあ嘘ついてました。痛いです」
櫓の当直割を組むのに、半日かかった。
旗と灯りの両方を読める者を必ず一名、という条件が効いた。読める者が一人しかいないのだから、割り振りようがない。結局、ヨナを昼と夜の交代の境に置き、その前後を兵と支所の者で挟む形にした。
これは仕組みではない、とロザリンドは思う。仕組みというのは、誰が抜けても回るものを言う。いまの櫓は、一人が寝込めば止まる。
止まる場所を、自分の手で作ってしまった。
開設の日の夕方、ヨナが櫓の上から降りてこなかった。ロザリンドが登っていくと、子供は板の上に座って、海のほうを見ていた。
「ヨナ」
「ここ、父さんの灯台が見える」
「はい」
「灯台からも、ここが見えると思う」
ヨナは膝を抱えていた。
「父さんが落ちたとき、あたし、湊にいた。灯りが消えたのは見えたけど、何のことか分かんなかった」
ロザリンドは、隣に座った。板は昼の熱を残していた。
「ヨナ。消えた灯は、報せです」
「え」
「点いているのが常のものが消えたら、それは『消えた』という報せになります。読める人にしか読めませんが」
「……あたし、読めなかった」
「九つの子供が読めなくてよい報せです」
海の上を、鳥が一羽、低く横切っていった。
その夜、櫓の当直が慌てて降りてきた。
「支所長! 灯台が」
ロザリンドは外へ出た。鴎岬の灯りは、いつもどおり八つ数えて一度、回っていた。回っていたが、その途中で、光が三度、短く途切れた。布を掛けた合図である。
「……誰が当直ですか」
「今夜は、うちの見張りが二人、塔に詰めています。命じておりません」
光は、もう一度三度またたいて、それきり普通に戻った。ロザリンドは、その並びを帳面に書き取った。
「ヨナ。三度は」
「『こちらへ寄れ』」
陸の網と海の網が、初めて一本になりました。同じ夜に、誰も点けていない合図が出ます。
次話、王都です。海の見えない街で、列ができています。
※ブックマークは櫓の上でも受け取れます。




