第39話:落ちる鳩
最初の三日で、鳩が七羽戻らなかった。湊バルカと、内陸の第一中継のあいだ——丘を二つ越える三里ほどの道である。この区間で、これまで落失は年に二羽か三羽だった。
「鷹ですな」
ドナウの代わりに湊へ来ていた老鳩匠の弟子が、残った羽根をつまんで言った。
「切れ方が鷹です。それも、放されてます」
「なぜ分かりますか」
「野の鷹は、腹が減った時分にしか出ません。七羽ぶん、日に二度ずつ腹が減る鷹はおりませんで」
四日目、餌場が二つ潰された。中継の途中に置いてある、鳩が羽を休める小屋である。板が外され、餌の桶に何かが混ぜてあった。
ロザリンドは、落失の記録を日ごとに並べた。
落ちた七羽は、いずれも昼過ぎの便だった。朝の便と夕の便は無事である。昼は日が高く、鷹には見つけやすく、こちらには見張りが少ない。相手は帳を読んでいる。誰かが、翼の座の刻限をひととおり知っている。
餌場の位置も同じだった。潰されたのは、街道から見えない二つのほうである。見える場所は残っている。壊せる場所を全部壊すのではなく、壊しても誰にも見られない場所だけを選んでいる。
嫌がらせではない。手順である。
五日目に、コリンが落ちた。湊から北へ出る崖沿いの道で、馬が何かに驚いて跳ねた。コリンは崖側へ投げ出され、二丈ほど下の斜面で止まった。木の根に引っかかったのだという。左の腕と、肋が三本。命に別状はなかった。
ロザリンドが宿の部屋へ入ったとき、コリンは天井を見ていた。
「……嬢様。荷、落としました」
「拾いました。二通とも」
「よかった」
「よくありません」
彼女は、椅子を寝台の脇へ引いた。
「コリン。あなたのお母上に、なんと書きますか」
「……あの、書かないでもらえますか」
「書きます」
「嬢様」
「書かなければ、次に何かあったときに、あの方が最後に受け取る報せが訃報になります」
コリンは、天井を見たまま黙った。
「……足だけは速いって、母ちゃんに言われて来たんです。それしか無いから」
「腕も速くなりました」
「え」
「一年で、南回りの受け渡しが、四刻早くなっています。帳面に残っています」
コリンが、片手で目を覆った。ロザリンドは、それを見なかったことにして立ち上がった。
その夜、支所の卓に地図を広げた。湊から北へ、三本の線を引く。崖沿いの本道。内陸を回る谷道。そして、二里余計に遠回りして東の村を経由する道。
「ピナ。明日から、荷はこの三本に分けます」
「三本? 遅くなりますよ」
「はい。全部、遅くなります」
ピナが眉を寄せた。
「……お嬢、なんで遅くするんですか。速いのが取り柄なのに」
「速い道が一本だと、そこを塞げば終わるからです」
ロザリンドは、崖沿いの線を指でなぞった。
「速さは、囮にできます。いちばん速い道に、いちばん急ぎに見える荷を載せます」
「え。じゃあ、その荷は」
「落とされます。落とされてよい荷を載せます」
ピナが、口を開けたまま固まった。
「……本物は、遠回りのほうに」
「はい」
ピナは腕を組んで、しばらく地図を睨んでいた。
「お嬢。囮の便、誰が運ぶんです」
「鳩です。人は乗せません」
「鳩は落とされますよ」
「はい。ですので、囮には年寄りの鳩を選びます。もう長くは飛べない鳩を」
ピナが黙った。
「……ドナウが泣きますよ」
「ドナウには、先に文を出しました」
「返事、来ました?」
「〈儂の年寄りどもを、最後に一度、役に立たせてくださるか〉と」
ピナは、それきり何も言わなかった。言わずに、地図の三本の線を指でなぞっていた。
三日後、囮の道に置いた便が消えた。
消えた便は、翌日にはサルヴェニアの商館の裏口から荷車に積み替えられていた。見ていたのは、市の読み上げ台の下でいつも座っている、片足の悪い老人である。彼は誰にも雇われていない。ただ、毎日そこに座っている。
ロザリンドは、その老人に礼として銀を三枚渡そうとして、断られた。
「あんたの姉ちゃんが、うちの婆さんの薬の報せを、ただで読んでくれたからな」
支所へ戻ると、アルディスからの便が届いていた。鳩の脚から外した紙は、几帳面な字で、いつもより長かった。
〈鳩の落失、聞いた。伝令の怪我も聞いた。領兵を出すことはできん。湊は領の外だ。だが鴎岬は王領で、代官所は人手が足りていない。代官所が「見張りを置きたい」と願い出れば、隣接領が兵を貸すのは法に触れん。願い出させるのは、そちらの仕事だ。——ヴェイン〉
ロザリンドは、その紙を二度読んだ。
「ピナ。あの方は、書くほうが達者ですね」
「口だと『あんたが何とかしろ』の一言ですよ、これ」
「はい。ですが、法の抜け道を一つ、先に調べておられます」
ピナが横から覗き込んで、にやりとした。
「お嬢。顔に出てませんけど、いま嬉しいでしょう」
「出ていませんので、分かりません」
「出てないのが答えなんですよ、毎回」
その夜、ロザリンドは代官所へ願い出の草案を書いた。書きながら、一度だけ手を止めた。
鳩を落とし、餌に薬を混ぜ、道で馬を驚かせる。相手はまだ、人を直接は殺していない。ぎりぎりのところで止めている。止め方が上手い。
上手い、ということは、慣れているということだ。
「ピナ」
「はい」
「明日、ヨナに稽古を続けさせなさい。旗を、休ませないように」
「……なんでです?」
「あの子は、手が止まると考えます」
落とされる道を、囮の道にしました。速さは、取り柄であると同時に囮です。
次話、岬に「目の中継所」を置きます。陸の網と海の網が、初めて一本になります。
※ブックマークは三本の道で運びます。




