表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
3/9

第3話:三日前から存じております

「王都を追われた令嬢に、何ができる」


 カルテン城の広間で、アルディス・ヴェイン辺境伯は言った。


 歳は二十五。戦場焼けした大柄な体に、飾り気のない革鎧。声が大きい。目つきは、値踏みをする商人のそれだった。


「置いてはやる。亡き公爵には、この領も世話になった——らしいからな。だが期待はするな。ここは王都と違う。刺繍と噂話で食える土地ではない」

「承知しています」

「働けるのか。何ができる」

「帳簿と、読み書きと」


 ロザリンドは少し考えて、付け足した。


「……鳩の世話を」

「鳩」


 辺境伯は天井を仰いだ。連れてきた二十余人の食い扶持を思ったのだろう、こめかみを揉んだ。


「好きにしろ。ただし、揉め事だけは起こすな」


 それだけか、という顔を彼はしていた。泣くか、縋るか、誇りを盾に噛みつくか。そのどれかを待っていた顔だった。どれも来ないので、彼は鼻を鳴らして席を立った。


 謁見は、それで終わった。


 三日後の朝、城市カルテンの市場から、塩が消えた。


「値が倍だと? ふざけるな、先週の話をしているんじゃない、今朝の話だ!」

「ないものはないんだよ! 南の商隊が来ないんだ!」


 市場に怒声が飛び交った。

 南から塩を運ぶはずの商隊が、二組続けて現れなかった。噂が走り、買い占めが始まり、樽ひとつの値が朝のうちに跳ね上がった。塩壺を抱えた老婆が、空の量り台の前で立ち尽くしていた。


 北の辺境で、塩は贅沢品ではない。冬を越すための命綱だ。


「冬までに肉と魚を漬けられなければ、この領は春を待たずに飢えます」


 城の広間で、家宰の報告にアルディスは机を叩いた。


「軍の備蓄を放出しろ。それから南へ早馬を出せ。塩を、あるだけ——」

「恐れながら、備蓄では二旬ももちません。早馬が峠を往復するだけで十日。その間に値はさらに上がり、買い負けます」

「では、どうしろと言うのだ!」


「——塩でしたら、手当てが済んでいます」


 静かな声が、広間の入口から届いた。


 振り向いた男たちの視線の先に、ロザリンドが立っていた。脇に帳面を抱え、後ろには鳥打帽の少女を連れて。


「……何の話だ」

「三日前から存じております。南塩街道の商隊が、峠を離れて東へ迂回したことを」


 ロザリンドは帳面を開き、広間の机に置いた。挟んであった紙片を、その上に並べる。几帳面な字の、小さな報せの写しだった。


〈南塩街道、商隊二組、峠の宿を引き払い東へ。飼葉の値、三日で四割上げ。川船、欠航三日目。——塩、三旬止まります。手持ちの石塩を、値の動く前に。 R〉


「峠の宿から、商隊が消えた。宿場の飼葉の値が上がった。川船が止まった。……点は、三つあれば線になります。商隊は割のいい帝国側へ荷先を替えた。塩は当分、来ません」


 広間がざわめいた。家宰が紙片を取り上げ、日付を確かめ、もう一度確かめた。


「確かに、三日前の日付……。し、しかし、なぜ黙っておられた」

「申し上げました。城の門番に、二度」


 ロザリンドは平坦に言った。


「『王都を追われた令嬢の使いは通せない』と。……ですので、手続きは諦めて、買付を先にいたしました。順番が前後したことは、お詫びします」


 家宰が扉口を振り返り、控えていた兵が目を泳がせた。アルディスのこめかみに、青筋がひとつ立った。


「三日前だと?」


 アルディスは紙片を引っつかんだ。


「うちの物見より早い。関所の報告より早い。どうやって」

「鳩です」


 ロザリンドは窓の外を示した。潰れた麦倉——いまは屋根の直った鳩舎の空を、灰色の翼が二つ、旋回していた。


「わたくしの鳩は、峠にも、川湊にも、まだ残っています。報せは、待つものではなく迎えに行くものです。……それで、値の動く前に、ありったけの石塩を買い付けました。連れてきた者たちの路銀と、わたくしの宝石とで」

「配達完了、っと」


 後ろでピナが帽子のつばを弾いた。


「買付の代金、峠向こうの塩商まで、あたしが二日で運びました。片道です。ちなみにまだ褒められてません」


 アルディスは、紙片とロザリンドの顔を、二度見比べた。家宰と役人たちは、まだ話が呑み込めない顔で固まっている。


「……荷は。荷はいつ着く」

「本日の午後に」


 そして実際、午後に着いた。


 石塩を積んだ荷車が六台、護送の人足を連れて城市の門をくぐった。荷を率いてきた塩商の親方は、出迎えた家宰に胸を張って言った。


「ヘイルワースの嬢様のお声がかりだ。値は三日前のまま、一枚も上げちゃいねえ。——あの家の頼みを断る塩商は、王国にゃおりませんや」


 樽が市場に並ぶと、買い占めた商人たちは当てが外れて値を戻し、塩の相場は夕方には元に落ちた。

 空の量り台の前にいた老婆は、朝と同じ値段で塩を量ってもらい、何度も振り返りながら帰っていった。


 ロザリンドはその光景を、鳩舎の窓から見ていた。


「お嬢、見なくていいんですか。市場、いまごろお嬢の話で持ちきりですよ」

「見ています」

「そうじゃなくて。出てって、ばーんと名乗るとかですね」

「報せは届きました。塩も届きました」


 彼女は帳面に、塩の落ち着いた値を書き入れた。


「それで足ります」


 日暮れに、アルディスが一人で鳩舎へ来た。


 大男は入口で妙に居心地悪そうに立ち、藁を踏み、鳩に横目で睨まれ、それから、頭を下げた。


「王都を追われた令嬢に何ができる——と言った俺を、殴っていい。あんたの報せが、この領を救った」

「殴りません。手が痛いので」

「……買付の代金は、領庫から返す。宝石も戻せ。利も乗せる。それから」


 彼は懐から、彼女の書いた買付指示の写しを出した。荷と一緒に、塩商から回ってきたものだという。


「この字を——」


 言いかけて、アルディスは口をつぐんだ。


 几帳面な、癖のない字。どこかで見た気がした。ずっと昔。どこだったか。戦場の朝の、冷えた空気の匂いと一緒に、記憶のふちに引っかかっている。

 思い出せなかった。彼は首を振って、写しを畳んだ。


「いや。……ひとつだけ聞かせろ。あんたは、何者だ」


 ロザリンドは、鳩の翼の付け根を直す手を止めなかった。


「王国の耳、でした」


 過去形で、彼女は答えた。


「いまは、失業中です」


予見的中の様式美、一回目です。この方はだいたい三日早いです。

次話は王都側。あちらはまだ、ご自分の耳が失われたことに気づいていません。

※「続きが読みたい」は、ブックマークという形の報せでお送りいただけますと、確実に届きます。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ