第27話:数える人
突き合わせは、三日三晩続いた。
帳場の奥の机に、紙の山が三つ。蠍の餞別——諜報院の受領の列が三十行。両替商の手形の筋。消えた検分綴りの目録の写し。ロザリンドは符号を読み下し、マルロが算盤で金額を検め、日付を一本の線に並べていく。
二日目の夜半、算盤の音が止んだ。
「……嬢様。繋がりましたぜ」
線は、繋がった。金は王都から出て、空箱の商会を二度くぐり、両替の手形に化けて国境を越え、諜報院の符牒で受け取られている。二年前の暗殺の金と、同じ道である。同じ川を、同じ舟が、七年通っていた。
だが、あと一列、足りなかった。
「金の出た日付と、受け取られた日付は揃いました。……足りないのは、間です」
ロザリンドは、線の真ん中を指した。
「王都で、誰が、いつ、金を動かす指図をしたか。宰相の名は、この紙の束のどこにも書かれていません。家令の名すら。……ここが埋まらなければ、線はまだ、絵空事と言い張れます」
「宰相府の中の帳面、ってことですかい。そんなもの、あの狸が付けてる訳が」
「ええ。本人は付けません。……付けるとすれば、本人ではない誰かです」
王都の奥、宰相府の日々の出入りなど、辺境の網には映らない。映らない場所の帳面は、存在しない——はずだった。
その一通が届いたのは、四日目の朝だった。
王都商務局の窓口で受けた、規定料金の私信である。届けた伝令によれば、依頼主は身なりの良い老人で、商人たちの列の最後尾に黙って並んでいたという。順が来ると、老人は帳場に銀を置き、料金表を指でなぞって等級を確かめ、それから言った。
——宛名は、北の、ヘイルワースの店主どのへ。
列の前に居た羊毛商が、じいさん、宮仕えの人だろう、先に行きなよ、と譲ろうとした。老人は首を振った。この店は、先後を設けないのです、と。それが良くて参りました、と。
封を開けると、几帳面な手蹟の写しが、束になって出てきた。
日付。来客。使いの出入り。宰相府の門を、いつ、どこの家令が、どこの両替商の使いがくぐったか。夜半に灯りの点いた執務室。急に呼ばれた代書屋。人払いの掛かった刻限。——半年分。誰に命じられたのでもない、ただの手控えである。
束の一番上に、一筆が添えてあった。
〈誰も数えないものを数えるのが、侍従の仕事でございました。数えたものをお届けするのは、生涯で初めてでございます。使い道は、賢い方が決めてくださいますよう。 王宮にて セドリック〉
マルロが、束を検めながら唸った。
「……嬢様。こいつは、揃いますぜ。金の出た日と、宰相府に両替の使いが入った日が。一日と、ずれちゃいねえ」
ロザリンドは、しばらく手控えの文字を見ていた。
柱の陰の令嬢に、最初に気づいた老人である。壁の花の定位置が王都でいちばん耳の良い場所だったと、誰よりも先に、たった一人で気づいた人。誰にも命じられず、誰にも読ませず、ただ数え続けていた人。報せとは何かを、あの王都でただ一人、忘れなかった人。
「……列に、並んでくださったのですね」
それだけ言って、彼女は仕事に戻った。声は変わらなかったが、ピナは見ていた。写しをめくる手が、いつもよりすこし、ゆっくりだったのを。
線が全部揃った夜、彼女は最後の作業に掛かった。
鳥籠である。
餞別の列のいちばん古い日付——七年前の春。彼女はその符号を、父の手帳の最後の数頁と、並べて置いた。この頁だけは、七年間、読み切れなかった。符号の半分が、父が独りで作った、対の帳簿を要する書き方だったからである。
対の帳簿は、いま、机の上にあった。諜報院の受領の列。父が追っていた線の、向こう側の記録。
符号が、ほどけていく。
〈春。網の売値、東へ打診さる。仲立ちは両替の筋。売り手の名、いまだ摑めず。されど指図の出る場所は絞れり。買い手は東。売り手は、王の隣に居る〉
日付は、馬車の事故の、三日前だった。
帳場の灯りが、じ、と音を立てた。ピナが茶を運んできて、机の上の頁と、彼女の顔を見て、何も言わずに湯呑みだけ置いて下がった。
報せはね、ロザリンド。剣より速く、人を守るものだよ。
そう言った人は、七年前の春、王の隣に居る男が網を売ろうとしていることに、誰より早く気づいた。気づいて、追って、あと一歩まで絞って——馬車ごと、消された。手帳が残ったのは、その春、十二歳の娘に「預かっておきなさい」と、笑って渡していたからである。あれが形見のつもりだったのかどうか、確かめる術は、もう無い。
ロザリンドは、頁を閉じなかった。閉じずに、読み終えた符号の下へ、自分の手で新しい一行を書き足した。
——売り手の名、摑めり。
「お嬢」
いつの間にか、ピナが戸口に戻ってきていた。アルディスも居た。マルロも、ドナウも、寝ているはずのコリンまで居た。報せた者は、いなかったはずである。
「……誰が、報せたのですか」
「誰も」と、ピナが言った。「お嬢が三日寝てないのは、みんな知ってました。今夜あたり、いちばん重い頁を読むんだろうなってことも。……報せがなくても集まるのが、うちの店です」
夜更けの帳場に、いつもの顔が、黙って揃っていた。父が死んだ夜、十二歳の彼女のまわりには、誰もいなかった。同じ頁を読み終えた今夜は、こうである。
「王都へ、参ります」
ロザリンドは、手帳を仕舞って立ち上がった。
「取り立てる帳尻が、二つになりました。……わたくしの分と、父の分です」
数える人は、王宮にも居ました。列の最後尾に、黙って。
線はすべて繋がりました。七年前の春まで。次話、王都です。あの方と、あの場所へ。
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