第24話:ぜんぶ本当の、嘘
帳場の机に、紙片が並んでいた。
王国鋳造の新打ち金貨の写し。王都の両替商の手形の筋。バルツァー査問で消えた検分綴りの目録。断罪の夜に読み上げられた「証拠」の紙質の検め書き。そして今朝方エルシーの店から届いたばかりの、湊の世間話——宰相家の家令が、この一月で三度、南方サルヴェニアの商館に出入りしている。
ロザリンドは、その紙片をゆっくりと並べ替えた。
「蠍の手口は、本物を少しだけ曲げることです。二年前の暗殺も、こたびの偽封も。……ならば、あの男に効く毒はひとつしかありません」
彼女は、並べ終えた紙の上に、指で一本の線を引いた。
「ぜんぶ本当の事実で、線だけが嘘の報せです」
線の描く絵は、こうである。——宰相ギデオン・クロフトは、王国の駅逓網を帝国に売る密約を進めながら、裏でサルヴェニアの商人筋に、より高い売値を打診している。帝国は、出し抜かれかけている。
金貨も手形も家令の足取りも、すべて事実である。家令が商館に通う本当の用向きは、茶の買い付けにすぎない。だが蠍が裏を取れば取るほど、事実だけが積み上がる。嘘は、どこを掘っても出てこない。線の引き方の中にしか、無いのだから。
「うわあ」と、ピナが心底嫌そうな声を出した。「お嬢、それ、性格悪いです」
「ええ。あの男の性格です」
夜、報告を聞きに来たアルディスは、腕を組んだまま、しばらく黙っていた。
それから、真っ直ぐに訊いた。この男は、こういうことを後回しにしない。
「ひとつだけ確かめたい。……あんたの店の看板は、誰の秘密も売らない、嘘は運ばない、だったはずだ。その嘘を、あんたがこれから運ぶのか」
「いいえ」
ロザリンドの答えは、即かった。
「わたくしの封では、運びません。翼の座の網には、この報せは一度も載りません。……蠍は、嘘を運ぶための網を、自分で編みました。その網に、荷を載せるだけです」
彼女は、机の端の帳面を——ギルドの台帳ではない、もっと古い、彼女個人の帳面を、手前に引き寄せた。
「これはギルドの仕事ではありません。ヘイルワースの帳尻です。断罪の夜の分と、それから、もっと古い分の」
アルディスは、その帳面をしばらく見ていた。彼女が「もっと古い」と言うとき、その先に何があるのか、鳥籠の夜以来、彼は知っている。
「……分かった。なら、ヘイルワースの側に、俺も立つ。領の名が要る場面があれば言え。金も人も、今さら惜しむ間柄でもない」
「頼りにしています。……ですが閣下は、なるべく綺麗な場所に立っていてください。この仕事は、手が汚れますので」
「あんた一人の手が汚れて、俺が綺麗な顔をしてる図のほうが、よほど寝覚めが悪い」
彼女はわずかに目を伏せ、それを承知の印とした。
餌撒きは、静かに始まった。
賢い魚は、餌を検める。だから餌は、向こうが「自分で見つけた」と思う場所に置く。
家令が商館を訪ねる日、湊のいちばん見張りやすい荷揚げ場を、エルシーの商人衆がわざわざ空けておく。エルシー本人は樽に腰掛けて帳面を付けるふりをしながら、張り込みの男の顔を三人ぶん、目に焼き付けた。
「ギルド長さん、あの家令、ほんとに茶ぁ買ってるだけなんだろ。妙な気分だね。ほんとのことを、見せびらかすってのは」
「ほんとうのことがいちばんよく騙す、と申します。……お代は弾みます」
「恩の残りから引いときな」
その夜の手習いで、ピナは石盤に点を五つ描き、線で結んで見せた。
「お嬢のやってること、こういうことですよね。点はほんもの、線はうそ」
「そうです」
「……あたし、思ったんですけど。断罪のときにお嬢がやられたのも、これですよね。ほんとの調べ物に、うその線を引かれて」
ロザリンドは、石盤を見た。少女は時々、こういう矢を、無造作に射てくる。
「ええ。ですから、返し方も同じにします。……ピナ。線を消しなさい。点は、消さなくてよろしい」
少女は袖で線だけを拭い、点の残った石盤を、しばらく眺めていた。
両替商の手形の筋には、リンデンの代官所の「貸し」をひとつ使った。照会があれば正直に帳面を見せるように、と頼んだだけである。帳面は本物である。正直に見せることが、そのまま餌になる。
そしてコッブの便りに、世間話がもう一欠片、載る。
〈納めの型、残りの仕上げに掛かる。ときに、湊の噂をひとつ。南の商館の者が酒の席で言うには、「北の網の買値なら、東の言い値より三割は積める」と。真偽は知らぬ。彫師の耳に入る程度の話である。 C〉
三割、という数字だけは、ロザリンドが決めた。
安すぎれば蠍は鼻で笑う。高すぎれば作り話と疑う。帝国が呑んだ言い値を三割だけ上回る——出し抜かれた側の腹が、いちばん冷える高さである。
「あの、お嬢。ひとつ訊いていいですか」
発送の荷を検めながら、ピナが言った。
「蠍がこれを信じたら、どうなるんです。宰相と蠍って、お仲間なんですよね」
「仲間ではありません。互いに、相手を安く見ている雇い主と雇われです」
ロザリンドは、封の乾き具合を確かめながら答えた。
「安く見ている相手に出し抜かれた、と思ったとき、人はいちばん深く調べます。……調べれば調べるほど、二人を繋ぐ線が、動きます。動く線は」
「——見える、ですね。お嬢の網から」
ピナが帽子のつばを弾き、荷は翌朝、国境へ発った。
返しの便が来たのは、十日目である。
蠍の封を割ったコッブが、指図書を読み上げた。型の納めの確認。次の手配。そして末尾に、素っ気ない一行。
「……『南の噂、裏を取れ。急がず、正確に』」
帳場が、しんとなった。
ロザリンドは、地図の前に立った。餌は、呑まれた。ここから先、蠍が裏を取ろうとして触れる場所のすべてが——両替商も、空箱の商会も、湊の商館も——彼女の網の上にある。
「急がず、正確に、だそうです。……ご忠告のとおりに、こちらも参りましょう」
餌は「ぜんぶ本当」。嘘は線の引き方だけ。蠍はいま、自分の得意技で釣られています。
次話、裏を取りに動く蠍の「足音」が、王国のあちこちで聞こえ始めます。
※ブックマークは事実です。線も曲がっていません。




