第16話:王都は、列にお並びください
使者の行列は、雪解けにはまだ早い街道を、五日かけて北上してきた。
先触れの騎士が二騎、王家の旗、飾り立てた馬車が三両。カルテンの城下は物見高い人だかりになったが、拍手は起きなかった。この街の住人は、王都がこの冬どうやって干上がったかを、相場板で毎朝読んできたのである。
もっとも、間近で行列を見た者は、別のことも読み取った。旗は洗い晒しで、馬は半分が痩せていた。随行の礼服の袖口は、擦り切れを裏から繕ってあった。城門の上からそれを眺めていたピナが、遠慮のない声で言った。
「……あれ、繕い物の糸の色、合ってないですね。王都の仕立屋、そんなに困ってるんだ」
「見たままを、余所で言わないように」
「言いませんよ。思うだけです」
「使者は礼部のオルコット伯。随行が十六名」
城の広間へ向かう廊下で、マルロが小声で言った。
「十六人も、何をしに来るんですかね」
「十六人で来ること自体が、用件なのでしょう」
ロザリンドは歩調を変えずに答えた。行列の長さは、それ自体がひとつの文である。まだ王家にはこれだけの格がある——そう読ませたい者が、書いた文だ。
そして、読ませたい文ほど、実情の逆を書く。それも、十年読んできたとおりだった。
広間には、辺境伯アルディスが領主の席に着き、その脇にギルドの帳場机がひとつ、運び込まれていた。机を入れさせたのはアルディスである。「あんたの店の話だ。あんたの机でやれ」と、それだけ言った。
オルコット伯は、五十絡みの恰幅のいい男だった。挨拶は辺境伯にだけ向け、帳場の令嬢には一瞥をくれてから、勿体をつけて羊皮紙を広げた。
「王命である。——ロザリンド・ヘイルワース。先の沙汰における貴殿の行状に酌量の余地を認め、ここに恩赦を賜う。ついては王都に帰参し、駅逓の再興に、その身を以て奉仕せよ」
広間が、しんとした。
「恩赦」
ロザリンドは、その言葉だけを取り上げた。
「わたくしの罪が、赦されると」
「左様。寛大なる思し召しである」
「して、俸給の定めは」
「……ほ、俸給?」
オルコット伯は、心底から意外そうな顔をした。
「罪を赦された身で、俸給とは。奉仕である。王家への忠義に、値をつける気か」
「値のつかない忠義なら、王都は一度、捨てておいでです」
声は平坦なままだった。だからこそ、広間の隅々まで届いた。
使者の顔が赤黒くなった。随行の列の後ろで、老いた侍従が一人、目を伏せたのがロザリンドには見えた。見覚えのある顔だった。王宮の廊下で、柱の陰の彼女に、何も言わずに会釈だけしていった老人——セドリック。息災でしたか、と胸の内でだけ思った。
「では、お話を戻します」
ロザリンドは帳場の抽斗から、一枚の紙を出した。
「帰参はお受けできません。わたくしはこの地で店を営んでおり、店には伝令が三十四人、鳩が七百と少し、それから客が居ります。ですが——王都の報せが死んでいるのは、政の恥である前に、民の難儀です。放っておくつもりも、ありません」
彼女は紙を、机の上で使者へ向けた。
〈翼の座 料金表(抜粋) 定期の相場報:旬ごとに銀三枚/至急の緋封:一便につき銀十枚、隔地割増あり/官用の定期便:条数と経路により別途見積もり。前金にて申し受けます。 R〉
「ギルドは王都を、お客としてお受けできます」
オルコット伯は、料金表と令嬢の顔を三度見比べた。
「……正気か。王家に、金を、払えと」
「パン屋は王家にパンを売り、仕立屋は王家に礼服を売ります。報せだけを無料にする理由を、わたくしは存じません」
「無礼な! 王家を、そこらの商家と同列に扱うか!」
卓を叩いた使者に、ロザリンドは初めて、ほんのわずか首を傾げてみせた。
「同列ではありません。当ギルドは、どの客も——先に並んだ順です」
列にお並びください、と彼女は言った。
オルコット伯は席を蹴って立ち上がり、随行が慌ただしくそれに続いた。無礼、無礼と繰り返す声が廊下を遠ざかっていく。
随行の列のいちばん後ろで、老侍従だけが、歩みを緩めた。
セドリックは広間の敷居のところで振り返り、帳場の令嬢に向かって、深く、長く、腰を折った。王宮の廊下で、柱の陰の彼女とすれ違うたびにしていた、あの会釈より、ずっと深かった。
言葉は、なかった。それが老侍従の精一杯であることを、ロザリンドは知っていた。
「息災で」
彼女は、それだけを言った。老人は顔を上げ、何か言いかけ、結局もう一度だけ礼をして、主の行列を追っていった。
広間の入口で、ピナが体を斜めにして行列を通しながら、口の中で数を数えていた。
「……お嬢。あの人たち、怒って帰りましたけど」
「怒って帰るのは、構いません」
ロザリンドは料金表の写しをもう一枚とり、藍色の蝋で封をした。
「あの鞄の中に、いま渡した一枚が入っています。破って捨てられなかった時点で、この話は済んでいます」
「へえ。……なんで破らないんです?」
「王都には、代わりの店がないからです」
ピナは、へええ、と間延びした声を出し、それから真顔になった。
「でもお嬢、ほんとに良かったんですか。その、恩赦ってやつ。……罪が消えるんですよ。お嬢の」
「消えません」
ロザリンドは、封をした写しを発送箱に納めた。
「無いものは、消せませんので」
少女は二度瞬きをして、それから、にんまり笑った。この主の言い方の中では、いまのはかなり口の悪い部類に入る。通訳するなら——怒っている、である。
夜、城の露台で、アルディスが酒杯を片手に言った。
「痛快だったな。玉座の名代に、パン屋の理屈とは」
「本当のことを申し上げただけです」
「その本当のことを、王都で言える者が一人もいなかった。……だからこの領に、あんたが居る」
彼はそこで少し黙り、それから、妙に几帳面な言い方をした。
「無償で戻れと言われて、腹は立たなかったのか。ロザリンド殿」
「立ちました」
あっさりと言われて、アルディスは杯を持ったまま瞬きをした。
「ですが、怒って見せるより、値札を見せるほうが、よく刺さりますので」
辺境伯は、堪えきれずに笑った。城下の灯りの向こう、南の街道の先で、使者の行列は最初の宿場に着いたころだろう。鞄の底の料金表ごと。
同じ夜。峠の宿場の暗がりから、行列を数える目が、もうひとつあった。
恩赦は辞退。代わりに料金表を持たせました。前金です。
次話、王都側です。あの料金表が、評議の間でどう読まれるか。
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