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19/25

神の子を抱く手

同じ頃、旭川市役所社会教育部アイヌ文化振興課の片隅にある小さな会議室。その一角に、難米田 雄は1人、イオマンテ実施に関する厚さ三センチの提案書を前に、事務用の硬い椅子にもたれていた。

「ヒグマの文化的象徴性の再解釈…か。去年、アイヌ記念館の館長から提案があったと聞いたけど・・・どうすればいいんだ…」

難枚田は、アイヌ文化振興課に勤務してから2年目の春を迎えていた。

昨年度は、庶務的な仕事に従事していたが、今年の春から事業実施担当となっていた。

イオマンテ実施の提案書を何度も読み返し、重要だと思われる箇所には蛍光ペンでマーキングするなど、彼なりに熱心に取り組んでいたが、先行事例もなく壁に当たっていた。

「文化の継承」と「現代社会の倫理」の間で板挟み、予算は付いたが、「どうやって実施するか」のマニュアルがない、アイヌ関係者の中でも意見が分かれる「やるべき」vs「今やるべきではない」などの課題が山積みだった。

 一番のネックは小熊の確保だった。過去行われたイオマンテは冬期に熊の巣穴に入って猟をして、巣穴に小熊もいた場合、親熊は殺してしまうが、小熊は生かして連れ帰り、我が子のように育てて、大きくなったらイオマンテに使ったと記録に残っていた。

 しかし、巣穴猟などしていない現在は、親熊、小熊関係なくすべて殺処分となっているので、小熊の確保には途方にくれた。

 難枚田は、旭川動物園に提供してくれる小熊はいないか聞いてみたが、動物愛護法違反の恐れがあるので小熊に限らず、すべての動物を殺す前提で渡すことはできないと門前払いされていた。

 猟友会に聞いても、熊に対しては駆除が前提なので、生きた小熊を確保することがないと言われた。

 難枚田は困り果て、イオマンテ事業の発案者であるアイヌ記念館館長に聞いて見ることにした。

 「館長、小熊がいなんです。」

 「まあ今の時代、確保するのは難しいだろうな。」

 「小熊がいなければ、イオマンテ儀式の復活も出来ないですよね。」

 「そうだな。」

 「アライグマじゃだめですか。最近よく捕獲されているらしいです。」

 「だめだ。あれは外来種で、イオマンテの儀式をしていた時代にはいなかった。」

 「アライグマもお祭りをして、神の世界に送り出してやれば、またこの世界に戻ってくるのでは。」

 「アライグマは農作物を荒らすなど、害獣という話を聞いている。アイヌでは人に害をなす動物はイオマンテで送ることはしない。」

 難枚田は静かに受話器を置き、深いため息をついた。

一方、アイヌ文化研究会では、小熊をイオマンテで送ろうというアイデアは浮かんだが、その先は一向に進まなかった。

連「また叔父さんに相談してみるか・・・何回も相談して気が引けるけど。」

エカテリーナ「頼むね。連。」

連は放課後、叔父のとこへ言った。

叔父「おお、連じゃないか。最近よく来るな。」

連「ごめん。仕事の邪魔して。また聞きたいことがあるんだ。」

叔父「全然かまわないぞ。なんだ、言ってみろ。」

連「実は・・・」

連は、山で小熊を見つけ、現在旭川動物園で保護されている事、動物園では回復するまでは面倒を見るが、その後は警察に戻すこと、警察に戻すと殺処分されることを話した。

叔父「殺処分か・・・悪いことをしていない小熊を、ただ殺すだけというのはアイヌとしては神を疎かにする行為だ。」

連「イオマンテで送ってやれないかな。ほら、旭川市の事業でイオマンテを復活させるって言ってたよね。」

叔父「うーん・・・警察が簡単に小熊を渡してくれるのか疑問だが、考えてみよう。」

そう言って叔父は黙り込んでしまった。

翌日、叔父は難枚田に電話した。

「昨日のイオマンテに関する件だが、小熊は見つかった。」

難枚田は「えっ小熊が見つかったんですか。」と歓喜の声を上げた。

「しかし、警察の保護下にあって、儀式に提供してくれるかどうかはわからない。」

難枚田の意気が消沈した。「はあ・・・そうですか。」

「市役所側から警察に掛け合うことは出来ないのか?」

難枚田「うーん・・・初めてのケースなので、なんとも言えないです。検討してみます。」

「よろしく頼む。」

その後、難枚田は様々な文献を調査し、1955年にはイオマンテは禁止となったが、2007年にはその禁止が解除されたことを知った。

難枚田は「環境省が動物を用いた祭礼儀式は、正当な理由をもって適切に行われる限り動物虐待には当たらないとの見解を示しているんだ。イオマンテは実現可能だ。」と考えた。そして、小熊を飼育するために必要な「特定動物飼養・保管許可」を取得するため、北海道庁の担当者に何度も相談して、やっと許可が取れた。その許可により、小熊はアイヌ記念館での飼育が認められ、イオマンテで送られることとなった。難枚田はイオマンテの実施計画書の草案を作成し、課内での会議で提案した。

「実施主体はアイヌ記念館で、小熊の確保もできました。後は、イオマンテの資料に基づき、祭礼儀式として適切に実施していきます。」

課長は「よし、この案でやってみよう。」と力強く言ってくれ、難枚田の草案を基本として実施していくことで、会議は終了した。

難枚田は「やっと先に進める・・・」と、安堵した。

そしてアイヌ記念館館長に電話で報告した。

叔父「そうか、イオマンテは出来ることになったんだな。」

その後、難枚田と館長とで、小熊はアイヌ記念館で育てることや、そのための厳重な檻を作るなど綿密な計画が立てられた。

連は叔父から、小熊はアイヌ記念館で引き取り、約2年間飼育した後にイオマンテとして送る予定であると聞かされた。

連は早速翌日に部員に伝えた。

エカテリーナは「2年間は,アイヌ記念館で飼育されるのね。」と確認した。

連は「ああ、今のところ2年後の12月の満月の夜にイオマンテで送られるようだ。」

ゆりは「結局、神の国に送られる・・・つまり殺されるのね。」

和馬「僕たちから見れば,残酷であるかもしれない。でもアイヌ文化では、神への感謝の儀式なんだ。僕らの文化を基準にして考えてはいけないと思う。それは、結局アイヌ文化を理解していないことになる。」

煌「でも、今は21世紀、令和の時代だよ。昔は熊は貴重な食料だったかもしれないけど、今熊を食べるアイヌっているのか?食べもしないのに、殺すってどうなのかな。」

連「熊の肉を実際に食べるとか食べないとかは、この儀式の本質ではないと思うよ。」

エカテリーナ「アイヌ文化は伝統的な建物や着物、歌や踊りは継承しているけど、イオマンテのような野生動物や自然界に対する精神的な世界、アイヌの世界観など文化の掘り起こしをして、将来残していくものを今作っておかないといけないと思うの。」

連「そうだな。俺もアイヌだが、日本の文化に馴らされて,アイヌ文化を知らないで育ってきた。アイヌの精神的な世界観を理解することで、アイヌ文化を空気のように感じてみたいんだ。」

ゆり「私には・・・ちょっと難しいかな。その考え方は。」

澪「私も、無理だな。だってご飯食べるときに、いちいちそんなこと考えられないもの。」

エカテリーナ「それが素直な気持ちだと思う。今の私たちは、自らの手で獲物の命を奪うという狩猟をしたことはないし、食卓やスーパーでのお肉は、死の匂いが全然ないよね。ただ、イオマンテは、人間が他の生き物の命を奪っていのちを繋いでいるのだという紛れもない事実と、 食べ物や、それを与えてくれる自然に対して、人間がごく自然に、強い感謝や敬意の念を持つことができることを教えてくれる大切な儀式であると理解してくれるだけでいいと思うの。」

詩織「あの小熊、2年はアイヌ記念館で飼育されるから、その間だけでもアイヌ文化研究会でお世話できないかな。」

ゆり「私、お世話したい。あの小熊、最初見たときから気になっていたの。火事で燃えてしまったけど、私の大好きだった熊のぬいぐるみにそっくりなの。本当は、殺さないで欲しいけど、まだ時間があるから、小熊のお世話をしながらイオマンテの意味について、考えてみたい。」

和馬「僕も賛成だ。偶然山菜を採りに行って、あの小熊に出会えたのも、運命的なものを感じるよ。」

エカテリーナ「アイヌにとって、熊は人間界に恵みをもたらす存在であると同時に、神の世界からやってきた使者なの。その熊の生態について知ることはアイヌ文化研究会として、立派な活動になるわ。」

連「叔父さんに頼んでみるよ。」

アイヌ文化研究会が小熊の世話をしたいとう申し出に、アイヌ記念館館長である連の叔父は、快諾した。叔父は「イオマンテをする時は、必ず参加してくれ。」と連に告げたが、連は部員には言わなかった。

しかし、連は2年後の12月に予定された、この小熊を送るイオマンテには、自分だけは必ず参加しようと心に誓った。 


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