居場所のない命
アイヌ文化研究会から通報のあった小熊が、旭川動物園に保護されてから数週間が経過した。
子熊は旭川動物園の空気に慣れ、飼育員の差し出す果物を小さな前足で器用につかんでいた。毛並みは艶を取り戻し、目には野生の光が戻っていた。
和馬と祖父の政志は、小熊の様子を見に来ていた。
「元気になったな…」祖父が呟いた。
和馬と政志は、展示場のガラス越しにその姿を見つめていた。だが、飼育員の話は重かった。
「この子をずっとここで飼うのは難しいかもしれません。すでに保護されたヒグマが何頭もいて…」
和馬が眉を寄せた。「じゃあ、どうなるの?」
飼育員は言葉を選びながら答えた。
「放す場所もない。山に戻せば、人里に出てくる可能性がある。それは…命を危険にさらすことにもなる。」
和馬は拳を握った。あの笹薮で震えていた命が、今は檻の中で居場所を探している。
政志は静かに言った。
「命を助けることと、命の居場所を守ることは、同じじゃない。だが、どちらも人間の責任だ。」
和馬はガラスに手を添えた。子熊が近づき、鼻先をガラスに押し当てた。
和馬がつぶやいた。「結局助けられないのか・・・ごめんな。」
その後、和馬から小熊のこれからの処遇について報告を受けたアイヌ文化研究会の部員たちは皆ショックを隠せなかった。
連「そんな・・・殺処分なんて・・・」
エカテリーナ「ひどいわ。ウェンカムイならまだしも・・・あの小熊は何も悪いことしていないじゃない。」
煌「結局、野生動物の保護よりも自分たちの都合が最優先なんだな。」
詩織「どんな生き物だって、生きている意味がある。失っていい命なんてないのに・・・」
そして、ゆりはただ泣くだけだった。
田中さんはしばらく様子を見ていたが、ふと何かを思い出して部室から出て行った。
田中さんは手に書類を持って戻ってきた。
「この前、職員室内の回覧文書で回ってきたんだけど・・・」
それは、旭川市役所のアイヌ文化振興課という部署が出しているアイヌ文化に関する情報誌だった。それには、今年度の事業予定が掲載されていた。
田中さんは、ある事業の箇所に蛍光ペンを走らせて、みんなに見せた。
詩織がその箇所を読み上げた。
「イオマンテ儀式復活事業・・・?」
エカテリーナが即座に反応した。
「イオマンテって・・・あの熊を送る儀式?」
連「だよな。」
煌が「イオマンテって何?」
詩織、ゆりが頷く。田中さんとエカテリーナと連、和馬しかイオマンテの知識はなかった。
エカテリーナが蕩々と説明する。
「イオマンテは、熊送りと言って、アイヌ文化のお祭りよ。小熊を育てて、1、2年経ってから、その熊のお肉を食べたり毛皮を取ったりするの。」
ゆりが反応する。「ちょっと、それって熊を殺しちゃうってこと?」
エカテリーナ「そうなるわね・・・」
ゆり「残酷じゃないの?ひどいわ。」
エカテリーナ「アイヌ文化では、神様が熊の姿を借りて、アイヌ社会にやってきていると考えているの。神様は、熊のお肉や毛皮などアイヌにたくさんの恵みを与えてくれて、そして神様の世界に帰って行くのよ。」
ゆり「神様・・・熊は神様なの?」
エカテリーナ「そうよ。熊だけじゃないわ、アイヌはすべてのものが神様、カムイが宿っていると考えているのよ。」
ゆり「神様を殺しちゃっていいの?」
エカテリーナ「殺すというよりは、神様の世界に返すと考えているのよ。だから、返すときに、盛大にお祭りをして、アイヌの世界はとてもいいところだと思ってもらうのよ。そうすると、神様の世界に帰ったとき、その神様はアイヌの世界はいいところと他の神様にも広めてくれて、またアイヌの世界に神様が熊の姿を借りて来てくれるという考えなのよ。」
連が付け加える。「そのお祭りをイオマンテと呼んでいるんだよ。俺も実際には見たことがない。イオマンテの時に踊る古式舞踊しか見たことはないんだ。」
和馬「今はイオマンテはしないのか?」
連「どうなんだろ?ネットで検索してみるか?」
ゆりがパソコンで検索したが、イオマンテは古式舞踊だけで、実際に小熊を飼育した後に神の世界へ送ることをしているようなものは見つからなかった。
ゆり「ネットでは見つからないけど、ネットに上がってないだけかも。」
連「俺の叔父さんに聞いてみるよ。アイヌ記念館の館長だから、何か知っているかも。明日の放課後にでも行くよ。」
エカテリーナ「私も行くわ。部長だからね。」
翌日、エカテリーナと連がアイヌ記念館を訪れた。
叔父「おう、なんだ?聞きたい事って。」
連「イオマンテって、今実際にやっているところってあるのかな?」
叔父はきっぱりと言った。「ない。」
エカテリーナは「もし、イオマンテを復活させるとしたら、出来ると思いますか?」
叔父は驚いた。「おいおい、どこからそういう発想がでるんだ?」
連が田中さんからもらった書類を見せた。「この書類によると市役所でイオマンテを復活させるとか・・・」
叔父は納得した表情で「ああ、これか。これは俺たちが去年、市役所の会議で提案した事業だな。そうか、予算が付いたのか。そういえば、同じ書類がうちにも来ていたが、まだ読んでいなかったよ。」そう言って叔父は笑った。
叔父は「予算が付いたなら、市役所も本気でやるつもりだな。」
翌日、エカテリーナは部員に説明した。
「というわけで、アイヌ記念館でイオマンテが復活するかもしれないみたいね。」
ゆりは、「あの小熊、このまま小熊のまま殺処分にされるよりも、イオマンテで送ってやりたい・・・だって、1年か2年は生かされるんだよね。」
和馬「そうだな。この世界に居場所がないのなら、せめて・・・誰かが覚えていてくれる場所に・・・僕たちの物語に、残そう。この命のことを。」
連「でも、あの小熊をどうやってイオマンテの熊にできるんだろうか?」
「うーん・・・」皆考え込んだ。




