音楽との出会い
煌が音楽を始めたのは、父から教えてもらったスリーコードパンクバンドのギターリフが最初だった。
でも、母の押し入れに眠っていた古いCDが、彼女の“もう一つの始まり”だった。
「これ…?」
「あんたの父さんが昔送ってきたCDよ。高校生の頃はね“渋谷系”っていう音楽をやってたらしいよ。小山ケンヂという、30年くらい前に少し売れたアーティストと一緒にやっていたの。バンド名は忘れもしない、テトラポットジャワティーという名前よ。懐かしい・・・」
「小山ケンヂなら知ってる。コヤケンでしょ。最近マレーシアの女の子がネット動画でカバーして話題になった曲を歌っていた人ね。え、父さんコヤケンの相棒だったってこと?」
「コヤケンがメジャーデビューする前のバンドよ。コヤケンがソロでデビューするというので、あっさり解散したんだけどね。プロになったのはコヤケンだけ。よくある話よ。」
その言葉の裏に、母はそっと付け加えた。
「そういうことで、結局うちには何も残さなかった。残ったのは、そのCDだけよ。」
煌はその夜、CDの曲をスマホにコピーし、Airpodを耳につけて、その音楽を聴いた。
80年代に作られたシンセサイザーの人工的なストリングス、今も巷にあふれかえっている電子ドラムのスネアの音など、都会の光と影がミックスされたようなメロディ、シニカルでセンスの良い歌詞。 ふわふわしてるのに、なんだか胸の奥を指でなぞられるような感じ。
「爆音以外にも伝わる音があるんだ。」
煌は、かつて父が活動していたバンドの曲をネットで調べ続けた。今でも名曲とされている数々の曲は、簡単に動画が見つかった。動画と言っても、ミュージックビデオではなく、CDジャケットのタイトル画像だけが表示され、音楽だけが流れる簡易な動画だった。
しかし、ある動画のタイトルが気になった。
「テトラポットジャワティー元ネタ集・・・?」
その動画を再生すると、明らかに同じメロディラインが別人の声で流れた。
「・・・え?」
調べれば調べるほど、「引用」「オマージュ」「影響を受けた」という文字が現れた。
そして最後は「パクリ」の文字列が踊っていた。
彼女は静かに、でも確かに失望していた。
「・・・お父さん、全部借りもんだったの?」
煌は、それ以来、テトラポットジャワティーの曲を聞くことをやめた。
数日後のある夜、ポットキャストで偶然流れてきたのが、宵闇☆日出郎が歌う『ラヴ・ミー・テンダー』の日本語カバーだった。 割れた声、コードをかき鳴らすだけのストレートなギター、でもどこまでもまっすぐな、魂の叫び。
「・・・あ、この人、本当に歌ってる。」
煌はその瞬間、ギターを掴んだ。 象さんギターのアンプをつけず、ピックも使わず、素の音で鳴らしてみた。
「パクリとか、引用とか、もうどうでもいいや。 あたしは“自分の音”で、吠えるから」
彼女の音楽が、誰かの再生産ではなく、自分の再構築に向かい始めた瞬間だった。
その日から彼女はいろいろな音楽に触れようとした。日本のみならず、民族音楽や、国外の曲も積極的に聞くようになっていた。そして煌のギターに、少しだけ自分のメロディが宿り始めた。
旭川市の駅前から約1kmほど西へ向かう道路は、歩行者天国のように自動車が通れない道となっていた。それは買物公園という名称で市民の憩いの場となっていた。
かつては旭川市の中心部で、活気があったが、今はデパートの閉店も続き、寂しい場所となっていた。そんな夜の買物公園に、閉店したまま放置されているデパート跡地前で微かに揺れる歌声が響く。
コンビニの明かりと遊歩道の外灯が絡む場所に、ひとり立つ少女――駒場煌。
父の残したFender メキシコのテレキャスターをかき鳴らしながら、腰につけたピグノーズアンプがザラついた音を街へ放つ。
煌はもう、父のギターを弾けるほど、体が成長していた。そして7歳からギターを練習していたため、ある程度ギターが弾けるようになっていた。
煌の歌声は夜の買物公園に静かに響いた。爆音少女だった彼女が今、まるでナイフのように言葉を研いで歌っていた。
通りすがりのスーツ姿が足を止める。 酔っ払ったおじさんが、煙草をくわえたまま拳をゆっくり握る。 誰もが、知ってるけど、忘れていた何かに触れたような空気が流れる。
「あたし、ようやく“自分の音”が見えてきたんだよ」
煌はそうつぶやいた。ギターは叫ばない。アンプは爆発しない。でもその夜、彼女の声が旭川の夜の買物公園を、確かに揺らしていた。
そしてトンコリと出会い、彼女の音楽は「吠える」から「祈る」へと変わっていった。




