ジュリア
それで私があの美女の正体を突き止めてやろうって決めたはいいけど、そう簡単にことは運ばなかった。
先生もなんでか芸能人みたいに異性の影を隠していて、日々の練習では何食わぬ顔で顧問としての職務に励んでいる。
それだけなら良かったけど、あのゴシップ画像が届いてからだと気になることが増えてきた。たとえば練習中にしれっとスマホを見ている回数が増えたような気がするし、ミットを持っていてもコンビネーションを間違えたりしはじめた。前の先生だったら絶対にそんなことは無かったのに。
調子が悪いと言われればそれまでかもしれないけど、集中しないといけないスパーリングを見ている時以外は、どこか心ここにあらずといった風に見えるというか、もっと言えばボーっとしているように見える回数が増えてきた。
それらはもしかしたら男子には分からないレベルのものかもしれないけど、日頃から先生を見ている私にとっては目につく変化だった。
いつまでもこの違和感を抱えながら練習するのは嫌だな。そう思ったのもあり、私は先生に「練習後にちょっとお話があるんですけどいいですか?」とアポを取った。
先生はちょっとだけ怪訝な顔をしながら「まあ、いいけど」と私の申し出を受け入れた。「えー」って顔をしないので、今日はあの金髪美女に会う予定が無いらしい。
◆
「それで、話っていうのは何なんだ?」
練習が終わると、私は琴音ちゃんと一緒に八村先生と話し合うことにした。
「すいません。お忙しいのに本当に申し訳ないんですけど」
「おう、どうした。急にかしこまって。帝拳ジムか大橋ジムあたりにでもスカウトされたか?」
八村先生が軽口を叩く。どちらも日本のボクシング界では最大手のジムだ。もちろんジョークのつもりで言っているんだろうけど。
「残念ながら違います。それよりちょっと訊きたいことがありまして……」
「別にいいけど、本当にどうした?」
「その……それが……」
私がどう切り出したらいいものか迷っていると、琴音ちゃんが口を開く。
「先生、最近になって彼女さんが出来ました?」
「え?」
まさかの直球で切り出した琴音ちゃん。部室が静まり返る。前置きも無く投げられた直球は、先生の思考を遮断してしまったようだ。
しょうがない。もう言ってしまったのだから、私もまどろっこしい駆け引きはやらずに本題へと入ろう。
「実は、ある情報筋から先生が女性と街を歩いていたとの報告がありまして」
さすがに「www」を大量にくっつけたメッセージが本松君から届きましたとは言わない。言ったらそれはそれで本松君が面白いことになりそうだけど。
「その……何て言うか、ものすごく若くて美人な女性だったと聞いていまして……」
「おう、そうか。なんだ、すでにお見通しってわけか。高校生でも女の勘っていうのはあなどれないな」
そう言って先生は苦笑いする。
「ということは、噂は本当なんですか?」
「噂? 何のことだか知らんが、そういう人がいるのは事実だ。まったく、油断も隙も無いな」
そう言いながらも、先生はどこか嬉しそうに見えた。
「一応訊いておきますけど、パパ活じゃないですよね?」
「おい、失礼だな。そんな金があったら苦労はないぞ。信じてもらえるかは分からないけど、俺たちは真剣に付き合っている」
八村先生が一瞬だけ「鬼の八村」に戻る。純粋な人だけあって、お金を払って対価として女性に付き合ってもらっているわけじゃないらしい。そんなわけはないとは思ってはいたけど、いざ本人の口からそう聞けるとホッとするのも事実だった。
「それで先生、その彼女さんの画像ってあるんですか?」
琴音ちゃんが口を挟むと、いかつい先生の顔がふにゃっと崩れる。
「ああ、一応あるけど見たいか?」
先生は返事を待たずにスマホの画像を私たちに向ける。
「え? ガチの美人じゃない、これ?」
本松君からの写真は遠くからのアングルだったのでディテールがイマイチ分からなかったところがあるけど、先生の持っている比較的近い距離の写真を見せてもらうと本当にモデル級の美女だった。
やっぱり顔はすごく整っていて、切れ長の青い目に引き付けられる。ハリウッド女優の誰かだと言われても信じてしまいそうな魅力があった。こんな人が街を歩いていたら、それだけで周囲の注目は集まるだろう。
「あの、失礼ですけど」私は写真を見た瞬間に浮かんだ疑問を口にする。
「この女性とは、どこでどうやって知り合ったんですか?」
私がそう訊くと、先生はちょっとバツが悪そうな感じになった。マッチングアプリとかだろうか。
「それがな、まさかのSNSなんだよな」
「マッチングアプリってことですか?」
「いや、それがツイッターなんだよ」
「「えっ」」
私と琴音ちゃんは同時に絶句する。
よりにもよって、危ないSNSの筆頭に上がりそうなパターン……。
「それで、どういう流れでそうなったんですか?」
一応、聞いてみる。「ツイッターから始まる恋」なんて聞いても、ロマンスっていうよりはきな臭さしか感じないんだけど。
「ああ、俺はアカウントを本名でやっていてな。それもあって、呟く内容は結構考えて書きこんでいたんだ。一応教師だし、炎上でもしたらことだからな」
「それは……ずいぶんとリスキーな運用方法をしていましたね」
思わず本音が出る。ツイッターに限らず、SNSは本人が悪くなくても炎上する事例が多々存在する。そんな中で本名のアカウントを作って運用するのは無謀過ぎるというか……はっきり言って危ない。
まあ、私もうっかり本名アカウントを作って引くに引けなくなっている。それもあってか、あんまり強くツッコめない。それもあってほとんど無難なことしか呟いてないけど。
そんな私の想いも知らずに八村先生は話を続ける。
「一応ボクシング関係者でもあるし、高校ボクシングやプロの試合分析やら所感をその都度呟いていた。マイルールとしては酒を飲んでいる時には書き込まないというものだったので、割と発言内容はコントロール出来ていたんじゃないかと思う」
「ええ」
「そうしたらな、最近になってボクシングの世界戦で採点の解釈やら選手の分析がまったく同じアカウントと知り合ってな」
「それが、その彼女さんってことですか?」
すかさず琴音ちゃんが口を挟むと、先生はにっこりと笑う。
「そうだ。ここまで俺と考えが似ている人間も珍しくてな。気付いたら急接近していたってわけだ」
……うん、なんか話の筋としてはありそうな感じではあるんだけど、どこか気持ち悪さというか、あのモデルみたいな美女がそもそもボクシングを観るのだろうかっていう思いがちょっと出てくる。言えないけど。
「それで彼女と会うように?」
「ああ。その……ジュリアっていう名前なんだが、フィリピン人と日本人のハーフで、タレントとして活動しているんだそうだ」
「でも、そんな芸能人みたいな人と一般人が付き合ってもいいんですか?」
「そこなんだよな。ジュリアは大丈夫だって言ってるんだけど、多分本当は好ましくないんだ。だから俺も大っぴらには出来なかったってやつだ」
うーん、そうか。なんか、すごく怪しい感じしかしないんだけど、一応話としては筋が通っている。
私の心理を知ってか知らずか、琴音ちゃんがテンション高めに反応する。
「そうだったんですね。それでどこか幸せそうだったんですね!」
「え? もしかしてバレていたのか?」
「そりゃもう。だって、すっごく幸せそうでしたもん」
キラキラした目で言う琴音ちゃんを見て、いいコだなーって思う。私は心が汚れているせいか、素直に先生の恋を祝福出来ない。
マッチングアプリで交際する人も増えてはきているって聞くけど、よりによってツイッターで始まる恋って……。まあ、行きつく先が幸せだったら何の文句も無いんだけど。
とはいえ、決めつけで八村先生の恋路を邪魔するわけにもいかない。なにせ未婚の先生にとってはだいぶ遅れて来た青春なのかもしれないのだから。
「とりあえず分かりました。変なことにはなっていないみたいなので、安心しました」
心にもないセリフを吐きながら、ひとまずこれ以上ここで先生を追及しても無駄だろうと判断した。
「先生が幸せになってくれれば、私は何も文句もありません」
この言葉は何重もの意味があるんだけど、おそらく表面的な意味しか届かない。それでも――
「私も一応は女子なので、『女心が分からない』とか困難があれば頼って下さい」
「ああ、そうか。まあ、そうするよ」
「絶対ですよ?」
「圧、強いな?」
ちょっと困惑する八村先生を前に、私たちの話し合いは終わった。
とりあえず先生の異変については答えが出た。とりあえず恩師の幸せは祈るけど、油断はせずに見守っていかないといけないのは間違いなさそう。
それでも八村先生には幸せを掴んでほしいな。それが誰であれ、運命の人であるのなら。




