鬼監督が不在でも
私の決意がテレパシーになったかは知らないけど、八村先生のデレデレ案件に進展が出てきた。
練習前の挨拶で、八村先生が部員たちに向かって口を開く。
「今日、俺はちょっと用事があっていつもより早上がりするから、大丈夫だとは思うがその間の練習で手を抜かないように。スパーは俺のいる時間帯以外は禁止だ。いいか?」
「「「ハイ!」」」
男子を中心としたボクシング部員が兵隊よろしく元気に答える。体育会ってある意味軍隊みたいなものだから、上の命令は絶対で部員たちもそれに従う。強豪校ほどそんな感じの傾向がある。
言われた通り、スパーリングやそれを軽くしたマスボクシングは練習の序盤で済ませていく。というか、疲れ切ってしまう前にスパーなどの実戦練習は終わらせておく方が普通ではあるんだけど。
スパーリングが一通り終わると、八村先生はそそくさと準備をしはじめる。なんだかいつもより入念にヒゲを剃ってあるような……。それに、いつもより清潔感がある。
――これは、女だな。
マネージャーの琴音ちゃんに目配せすると、やっぱり気付いていたみたいで頷き返してくる。
そうか、やっぱり私たちの勘は間違っていなかったか。まあ、別に先生が誰とデートしようが知ったことじゃないんだけど。
「じゃあ俺は上がるからな。しっかり練習しておけよ」
先生が言うと男子部員たちが元気に「はい!」と返事をする。
私は心の中で先生にエールを送った。あと、個人的にはモテたいんだったら角刈りはやめた方がいいんじゃないかなと思ったけど、あのコワモテ感がカッコよく見えるのは全体的なバランスもあるので、急に韓流スターみたいにフワっとした髪型にしたらそれはそれで急に色気づいた感が出て不気味になるに違いない。難しいところだ。
男子たちは気付いていないのか、それとも気付いていてもスルーしているだけなのか知らないけどそれぞれがいつもと変わらない熱量で練習に励んでいる。そうだよね、彼らだってボクサーとして向上したい気持ちはずっと持ち続けているんだもんね。顧問がいなくなったぐらいで手を抜くようなタマじゃないってことか。
私も気を散らされている場合じゃないな。それに、先生を上から目線で応援している場合でもない。私は私で、志崎由奈にリベンジするという最大の目標があるのだから。
そういうわけで、いつも以上に気を引き締めて練習に臨む。
シャドウボクシングはもちろん志崎を思い浮かべて。あのカミソリみたいなパンチを掻い潜って一撃で意識を刈り取るフックを叩き込む練習に励む。
ガードを高く。打ったら元の位置に手を戻す。これが出来そうでなかなか出来ない。下半身からの力を上手く全身へ連動させて、攻撃をよけると同時に強打を叩き込むイメージを膨らませていく。
理想は全盛期のマイク・タイソン。女子がそれを出来ないって誰が決めた? 誰も出来ないなら、私がそれを実現する最初の一人になればいいだけの話。
何となしに、近くでシャドウをしていた男子と目が合い、そのまま向き合ってシャドウをする流れに。そうやって、シャドウでもスパーリングのような緊張感を持ちながら練習をすることが出来る。誰に言われずとも、そういう流れで向き合ってシャドウをすることはよくある話だ。
身体を揺する。重心を沈めてジャブを外すと、それとともに左ボディーを叩き込む。そういうフリをしているだけなのに、相手の男子はまるで本当にボディーを喰らったかの如く顔を歪める。彼の中でもボディーをもらったイメージが出来上がったのだろう。
そんな感じでシャドウボクシング中心の練習後半が終わる。ミットやサンドバッグを叩くばかりが練習じゃない。要は練習がどんな形で試合に活かされるか――日頃の鍛錬はこの目的一つに尽きる。
そういう意味で、今日も集中力を切らさずに良い練習が出来た。明日も、そのまた明日も、少しずつ工夫して練習の精度を少しずつ上げていく。結局強くなるのにそれ以上の近道は無い。
また一つ、新たな発見をしつつ練習を終えた。転生しようが、自らがそう望まない限り進化することなんてない。きっと、あいつだって同じことを言うはずなんだ。




