敗者の弁
完全アウェーのせいか、誰の歓声も浴びることなく勝利を得た私は、リングを囲んだ半グレたちに畏怖の目で見られていた。もうちょっと端的に言えば、ドン引きされていた。
この試合は世界中に中継されているらしいけど、視聴者もさぞ引いているに違いない。まあ、知ったことじゃないけど。
気を失った鬼塚は仲間に介抱されて、しばらくすると意識を取り戻した。倒されて記憶喪失になっているのか「俺は、負けたのか?」と仲間の半グレに訊いて、事実を告げられるとぼんやりとした目で虚空を見つめていた。
頃合いを見て、呆然とキャンバスに座り込む鬼塚に近付いていく。
「私が勝ったから、琴音ちゃんは約束通りに帰してもらうよ」
「ああ、そうだったな。……おい」
鬼塚が目配せすると、琴音ちゃんの猿ぐつわと手錠が外される。解放された琴音ちゃんがリングに駆け上がって来て、すごい勢いで抱き着いてきた。よっぽど怖かったんだと思う。
「……効いたよ」
座り込んだ鬼塚が、蚊の鳴くような声で呟く。
「男子でもあんなに強いパンチを持っている奴は初めて見た。君をアイドルにしようなんて考えたから、バチが当たったのかな……」
鬼塚がどこか遠くをみながらたそがれている。このグローブが石膏入りなのは黙っておこうか。そりゃ男子でもこんなパンチ力の人はいないでしょうけど。
そんな私の想いもつゆ知らず、鬼塚は語りはじめる。
「昔のことだ。いつかの俺は、君みたいに世界チャンピオンを夢見て練習に励む日々だった。あとちょっとで日本タイトルマッチだったから、そこまで的外れな野望でもなかったと思う」
「うん」
「だけどな、なんでか俺はトレーナーに嫌われていた。練習も真面目にやって来たのに、いつだって俺にチャンスが回ってくるのは後手後手だった」
鬼塚が寂しそうな顔で遠くを見つめている。
「何度もひどいことを言われたよ。『お前には才能がない。やめろ』なんてまだ優しいものさ。顔を合わせるたびに『才能がない』だの『やめろ』だの言われ続ける選手の気持ちは、君には分からないだろうな」
そう言う鬼塚はかなり深い傷を心に負っているようだった。一生懸命やっても身内から愛されない。その理由も告げられず、周囲からは「運が悪かったね」で済まされる。ボクシングの世界ではあるあるだけど、当事者の鬼塚としては耐えられなかったんだろう。
「それで、私をアイドルにしようなんて思ったの?」
「さあな。単に金が欲しかっただけかもしれないし、俺は君を堕落させて楽しみたかっただけなのかもしれない」
「どういうこと?」
「芸能界ってやつには誘惑が付き物だからな。未来を嘱望されたボクサーがみんなの期待する道とは全然違う方向に行って、応援している奴らの気持ちをへし折ってくれることを望んでいたのかもしれない」
「歪んでるね」
「ああ、歪んでいるさ。だからこそ、今の俺がある。一度でいいから、栄光を味わったら違った人生を歩んでいただろうよ。もっと愛されたかったよ」
身勝手極まりない理由での犯行だけど、私はそれ以上鬼塚に何も言うことが出来なかった。才能があっても愛されない――この男の味わった絶望は計り知れないほど深かったのだろう。と――
「はい、警察だ。全員ここから動くなよ」
声のした方を見ると、その言葉通りに警察が押しかけていた。まあ、さすがに世界に向けてこんな過激な試合を中継していれば、通報もありそうなものだよね。
鬼塚を見るとさして動揺した素振りも無く、それよりもさっきの試合が終わって燃え尽きているように見えた。
今回の罪がすべて起訴されたとして、拉致監禁やら強要罪に暴行やらその他もろもろと罪状がくっついてかなりの長期刑になりそうな気がする。法律のことはあんまり知らないけど、しばらく鬼塚は塀の中で過ごすことになるだろう。
押し寄せて来た警官たちに抵抗することもなく、鬼塚は自主的に腕を差し出した。現行犯での逮捕が告げられ、その手首には手錠がかけられる。
「鬼塚、あなた、強かったわよ」
「……そうか」
自分でも何を思ったのか分からないけど、しょっ引かれていく鬼塚の背中に声をかけた。半グレたちがボスの背中を見送っていく。
「今度は、負けないからな」
去り際に鬼塚がこぼした。私は遠ざかるその背中を、何も言わずにじっと見つめていた。




