不屈の闘志
鬼塚は嗤っている。蛇が狩りを楽しんでいるみたいに。
いつかにアイドルにならないかって訊かれた時には文字通りにぶっ飛ばしたけど、あの時はあえてやられて見せたってこと?
……いや、それは単に私がブチ切れて一方的に殴ったからか。あの時のイメージが強くて、まさか本気でやったら強いなんて夢にも思っていなかった。
とりあえず私の中での認識を改める。こいつは志崎と同じぐらいの相手だと思って闘わなくちゃ。
ガードを上げて、またウィービングしながら攻撃の隙を窺う。ジャブ――掻い潜ろうにも、さっきよりもスピードとキレを増してガードの上から叩きつけてくる。クソ、なかなか打ち終わりを狙えない。
見てばかりではダメだ。自分から仕掛けていかないと。
私はガードを固めつつも、速さ重視のジャブを打って鬼塚を威嚇する。左右にステップを踏み、変則的なリズムで動いて相手を翻弄する。だけど鬼塚は想像以上に冷静で、私の行く先にパンチを放ってくる。
一瞬だけガードごと吹っ飛ばされて、慌てて回りこみながら体勢を整える。周囲から野次が飛ぶ。素人ながらに、私が一瞬だけ慌てたのに気付いたようだった。クソ、やっぱりアウェーだな。
ジャブを上にパパっと放って、本命の右ボディ―ストレートを伸ばしていく。鍛え上げた腹筋を、石膏入りグローブが叩く。だけど、鬼塚は表情一つ変えずに右フックを打ち下ろしてきた。
首をひねってギリギリでかわす。
ピンチはチャンス。首を戻しながら、ノールックの左フックで飛びこむ。打ち下ろしの右は大振りに見えたから、よけながら放った左フックは当たるはず。
必殺の左フックが無防備な顎を砕く――と思ったら、鬼塚はスウェーで必殺の一撃をギリギリでかわす。
しまった――そう思った時には、死角から迫ってきたアッパーがわずかに見えた。
うわっ、しまっ……。
首を捻ってかわそうとしたけど、それよりも前に衝撃が走った。
「ダウン!」
気付けば尻もちをついていて、レフリーがカウントを数えていた。クソ、どうやら倒されたみたい。こんなハゲに。
リングを囲んでいる半グレたちが大騒ぎする。不良のくせに、ボスの勝利を一緒になって喜ぶところはどこか体育会的だった。
って、そんなことを言っている場合じゃない。カウントがテンまでいけば私の負けだ。慌てずに一度膝立ちになって、それからスッと立ち上がってダメージを確認する。幸いにもアッパーを喰らう瞬間が見えていたせいか、そこまで深刻なダメージにはなっていない。
レフリーに向かって構えると、試合が再開される。
周囲の半グレが騒いで、鬼塚への賞賛を叫んだかと思えば、その一方で私への野次をあちこちから飛ばす。ほとんど味方のいない、海外のリングで闘った時を思い出した。
でも、今は周りがどうとか気にしている場合じゃない。鬼塚は余裕の笑みを浮かべてニュートラルコーナーから歩いて来る。そこにいつかのおちゃらけた感じは残っていない。
さあて、こいつ普通に強いけど、どうしようか。そうは思いつつも、同時に嬉しさも感じていた。
なにせ女子に「転生」してからというものの、これだけ本気で私をボコボコにしてくれる男子がいなかったのも事実だ。やっぱり自分が負けるかもしれない相手とヒリヒリした闘いが出来るのは喜ばしいことだ。それに勝ってこそ、この競技を続ける意味がある。
「久しぶりに、志崎以外に勝ちたい相手が出てきたかもね」
鬼塚にさえ聞こえているか怪しい声量でひとりごちると、私はガードを上げたまま再び身体を揺すった。
リングの外で死にそうな顔で私を見る琴音ちゃん。大丈夫、私は絶対に勝ってあなたを助けるから。そう目でメッセージを送った。届いたかどうかは知らないけど。
目の前で待ち構えるのは、元プロボクサーの半グレ。それも男子でトップレベルの実力を持っていた強豪選手だ。でも、誰が相手だとか、そんなの私には関係ない。
私は基本的にそんなに器用なタイプじゃない。似たような闘い方しか出来ないし、泥臭く相手を追い回して倒すスタイルは転生しようが魂に染み付いている。
――だけど、それを後悔したことなんて無いよ。
ニヤニヤとしながら「もう一度倒してやるよ」とでも言いたげな鬼塚は、さっきとは打って変わって左のガードを下げたL字ガードのスタイルでこちらへと距離を詰めてくる。メイウェザーとかが得意な、相手の攻撃をいなしながらカウンターを打ち込むスタイルだ。そしてもう一つ付け加えるなら、私があんまり好きではないファイトスタイル。
左右から強打を打つ私のスタイルは、重心を後ろにしてディフェンスに徹することの出来るL字ガードスタイルと相性があまり良くない。それを知っていてスタイルを変えたのか、それともダウンを奪って調子に乗り出したのか……。どっちにしても、それでも私は攻め続けるしかない。
全身を振って斜めから刈り込むように距離を詰めて行くと、鬼塚はさらに身体を半身にして、フックを当てにくい体勢をキープする。
初回から顔面は当たらない。だから、右ストレートをボディーに打ち込んで、そこから左のレバーブローを思い切り振り抜いた。左ボディーがガードの外側から巻きこむ形で肝臓のある位置に突き刺さる。鬼塚が小さく「ぶっ」と漏らした。
――効いた。
たったそれだけの情報で、私を勢いづかせるのは十分だった。私に合わせてL字ガードを使うまでは良かったけど、右ストレートで真ん中あたりを叩かれたせいで、ガラ空きになったレバーに被弾した。慣れない付け焼刃の技術を実践で試すからだ。
――そういうとこだよ、あなたが本当のトップ選手になれなかったのは。
言いたいことは拳で語る。動きの止まった鬼塚に上下左右から大量のパンチを浴びせていく。その内の左フックでバランスを崩したところに、右アッパーを突き上げた。
鬼塚が倒れる。今度は私が倒し返した番だった。
リングを見守る半グレたちが騒然とする。これほどの連打を間近で、しかも女子が放つ姿なんて見たことが無かったんだろう。まあ、他ならぬ私もだけどね。
レフリーがかなりゆっくりめにカウントを数える。強烈なパンチを何発も喰らい続けた鬼塚は、キャンバスを這いつくばりながら生まれたての小鹿のように立とうとしている。
「立っちゃったよ」
その様子を眺めていた私も驚く。根性が腐っているとばかり思っていたけど、鬼塚は負けることを拒んでいるようだった。
だけど――
「ボックス!」
レフリーが試合を再開したと同時に、鬼塚は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。素人でもさすがにヤバいと思ったのか、鬼塚の身内であるレフリーは問答無用で試合を止めた。
全世界に向けて中継されていたボクシング・デスマッチは、こうしてあっけなく幕を閉じたのだった。




