No.87 アイデンティティ
エレオノーラはレイピアを体の前に構え、地を蹴り勢い良く突き出す。
僕はふらつきながらもレイピアをかわし、たった今落ちてきたところの氷柱に手をあて、息を止めて駆け登った。
僕を追いかけエレオノーラは再び飛翔する。
(来るなら来い――)
――氷鱗――
深い青色の氷の鱗を今度は両腕に展開。
せまるレイピアを右手で受け止め、空いた胴体を左手で薙ぐ。
ギリギリでよけられた。
氷柱の上を跳躍。
氷と金属がぶつかり合う音が響く。
無作為に選んだ氷柱の間を飛びまわり、互いの攻撃をよけ、よけられ、殴り、蹴り飛ばされては体勢を立て直してまた向き合う。
その繰り返し。
近接戦では埒が明かない。
たぶん、それは向こうもわかっている。
エレオノーラは翼を閉じ、白い地面に降り立つ。
そして、またあの詠唱。
『貫キ、燃ヤセ、炎ノ雨ヨ。一切合切ヲ灰燼ニ帰サスハ朱ノ槍』
また、あの魔法。
炎の針の触れた先から氷柱は水と化し、大量の蒸気を上げて崩れ去る。
足場がなくなれば落ちるしかない。
あっという間に僕の体も炎に呑まれ、景色は赤く、何も見えなくなる。
ここは耐える。
攻撃が止むまで、ただひたすらに。
蒸気と炎で僕の姿が隠されているのは好都合だった。
これなら、エレオノーラにもヨセフ先生にも、他のみんなにも僕の行動を見られなくて済む。
氷が一瞬で気化するような極熱の中で、僕が何もしていないのを見られずに済む。
炎がおさまり、蒸気の奥からエレオノーラの影が現れた。
「どうして……あれで傷一つ……」
全身の切り傷から血が流れようとも、相変わらずエレオノーラの表情は何の感情も映していない。
だがその声だけは明らかに動揺していた。
服についたすすを払いながらエレオノーラに視線を送る。
それにしても丈夫な服だ。今ので傷一つついてないなんて。
僕の翼には簡単に突き破られたのに。
魔法とか魔術の類に対しては、耐性のようなものがあるのだろうか?
だとすると、服が破れなかったところを見ると、エレオノーラの翼は生えてるんじゃなくて外付けで展開されてるって感じか。
それはともかく。
今の攻撃……
「あのさぁ……」
こいつの魔法について、言いたい事を全て挙げていったらキリが無い。
そもそも『王血魔法』なんて馬鹿げた名前で呼ばれてる時点で、こっちとしてはやりきれないんだから。
僕が言いたいのはそれ以前の問題だ。
「一回目はまだしも、初見で防がれたってのに二回目も同じ事する? 攻撃がワンパターンなんだよ。それ、わざわざ魔法でやる意味あるの?」
一歩、また一歩。足を踏み出すと、それに合わせてエレオノーラも下がる。
紫色の瞳は、じっと押し黙ったまま僕の姿を見つめている。
「“魔法”だよ、魔術じゃないんだ。ただ威力の底上げの為だけに使ってるのならもったいなすぎる。理に従って発動するだけの魔術と違って、魔法は理そのものに干渉出来る。そこを活かさなくてどうするのさ?」
我ながらしゃべりすぎだと思う。
これじゃあ、後で誰にどう訝しまれようが文句は言えないな。
それでも、口は止まらない。
「たとえばの話だよ。水は温度を下げると氷になる。あたりまえの理だ。魔術は魔力を消費してこの現象を再現しているに過ぎない。でも、魔法なら何でもアリだ。温度を下げるという工程をはぶく事も出来るし、頑張れば水を塩の結晶にする事だって出来る。それが魔法の本質。“理に干渉する”という事」
「…………どういう事?」
エレオノーラの声が震える。
まさかこいつ、本当に何も理解していないまま魔法を使っていたというのか。
「……話にならないな」
僕は腕を高くかかげ、パチンと一度指を鳴らした。
筋繊維に微弱な電流が走る。
そのまま一歩前に足を出すと、ぐんと体が押し出されるような感覚に、次の瞬間にはエレオノーラの真後ろに移動していた。
「――っ」
――バキィッ!
状況が飲み込めないまま振り向くエレオノーラの頬に、僕は体をねじって痛烈な肘打ちを食らわす。
エレオノーラの体が真横に吹き飛んだ。
一応加減したとはいえ、“魔法”をのせた竜の一撃。これは効くだろう。
エレオノーラはなんとか踏みとどまるも、その足は小刻みにぶるぶると震えている。
おさえた指の隙間からのぞく頬も赤い。
今の感触なら、おそらく頬骨が折れたのだろう。
流石に重傷……でも、頸椎が折れなかったんだからむしろ運が良いくらいだ。
このあたりで降参してくれれば、こちらとしてはありがたい…………のだが。
『……礎ヲ砕ク、水ノ奔流ヨ……』
…………まぁ、そう簡単には諦めてくれないか。
手刀を構え、再加速の為に右足を一歩引く。
今度こそ終わらせる。そう思った。
――その時だった。
「両者そこまで!!」
ヨセフ先生の声が響く。
突然の場外からの声に僕もエレオノーラも動きを止め、先生の方を振り返る。
手を上げて静止するヨセフ先生。
その後ろの光景に、自然と目がいった。
(あ……)
両耳をおさえ震えるウサギ獣人の少女。
地面にへたり込み、短い呼吸を繰り返すエルフの少年。
メルトとラーファルも、僕へ向けるまなざしはいつものそれじゃない。
まるで、人外の化け物を見るみたいに……
足がふらつく。
左手で片目をふさぎ、足下の白い地面をぼんやりと見る。
僕は今、何を考えていた?
頸椎が折なかったから運が良いだって?
そうじゃないだろう。
って事は最悪そうなる事前提だったって訳だ。
どうして僕は、試合を超えて人間を傷つけようと……いや、それはエレオノーラが白竜の……
……あれ?
僕はいつから人を竜の視点から……
……僕の精神は前世と同じものだから、思考も前と同じはず……
……でも、僕は今の自分の思考と行動に何の疑問も持たなかった。
ラクレアリスの時と違って、誰かに操られている訳でもない。
僕の意識は最初から…………
あれ………………?




