No.85 見えない心の中を見る
「ほっほっほっほっほっ……」
「……結局、中でも続けるんですね……」
室内に響くのは、老爺のリズミカルな息づかい。
視界の端に腕を組んだガイウス先生のジト目が映る。
外にいようが中にいようが、変わらず反復横跳びを続けるヨセフ先生。
どうやらストレッチというのは本当だったらしい。
意味が分からん。
修練棟の中は、外観以上に白く、何も無い空間だった。
いや、何も無いと言ったら語弊があるな。
剣や槍、実技試験の時に使ったような的など、『修練』に必要そうな道具は一通りそろっていた。
ただ、奥行きも天井も、馬鹿みたいに広けりゃ高い。
そうして見れば、この白くだだっ広い空間は“何も無い”に等しかった。
(なんだこりゃ。壁が光ってるのか?)
壁に触れるとひんやりと冷たい。
白熱電球やろうそくの火とは違い、発しているのは冷光。
真っ白い光が穏やかに体の芯を冷やし、こんなに明るいのに鍾乳洞のような居心地の良さを感じた。
それから二十分後。
「へぇ〜、修練棟ってこんな感じなんだね。てっきり、闘技場みたいなものかなぁと」
「なんでもありだな、ここは……」
メルト、ラーファル、合流。
そしてまた数分後……
「…………白い」
エレオノーラ、合流。
「これで四人かぁ。ってこたぁ、あともう二人……」
ガイウス先生が入口をじっと見つめる。
赤い魔眼が揺れ、瞳孔がキュッと小さくなった。
その視線の先、入り口の端からのぞくのは、ピョコンと長いウサ耳と、先のとがったエルフ耳。
「そこのぉ、お前らで最後だぞぉ」
「は、はいっ!」
「失礼しますっ!」
うわずった挨拶と共に小走りでこちらに向かってきたのは、背の低い灰毛のウサギ獣人の少女と、明るいブルーの髪を耳の下あたりで切りそろえた、ぱっつん前髪のエルフの少年。
一応クラスメイトだし、見覚えはある。
ただ……ごめん。名前は覚えてない。
なにぶん人が多くて、関わりの少ない人ともなればなかなか……
うぅむ、顔だけなら分かるのだけれど……
バチィン!
あ。
ぱっつんエルフと目が合った。
「うっ……」
……と思ったら、下を向いて後ずさりされた。
なんだよ。
悲しくなるぞ。
「……ひどい」
「――フッ」
エレオノーラが口元をおさえる。
色白の頬がかすかに赤い。
……貴様、いまさら平静を装ったところで無駄だぞ。
僕にはちゃんと聞こえてたからな。
「思ったより早かったが、全員集まったな。んまぁ、早い分には良い」
「はは、では代表諸君。闘技大会に向けて、特別授業を始めますよ」
ヨセフ先生が手を叩くと、緩んでいた空気が一瞬にして引き締まった。
ヨセフ先生本人とてそうだ。
とても今しがたまで高速で反復横跳びをしていた老人とは思えない。
「ま、授業つってもお前らのやる事は一つだ」
ガイウス先生の剣が緩やかなカーブを描いて空を切る。
「腐ってもお前らはAクラス、その上代表。弱かぁねぇってのは百も承知だ。だがな、BだのCだの他のクラスのやつらにとっちゃあ闘技大会はまたとない下剋上のチャンス。当然死ぬ気で来る。それに、順調に試合を進めば、お前らが互いに戦り合う事もあんだろ。一瞬でも気を抜いてみろ、ただじゃあ済まねぇぞ。その上本気でやったとしても、人間死ぬ時は死ぬ」
流れるように、踊るように、銀の刃が虚空を閃く。
空気がゆらぎ、合わせるように剣閃が舞う。
まるで見えない敵と戦っているかのようだった。
足は一定のリズムを刻み、流れ動く構えに隙は無い。
弓も悪くない。
でもやっぱり、この人は剣が一番似合う。
チラリと他のみんなに目を向ける。
みんな、あのエレオノーラでさえもガイウス先生の動きに釘づけになり、まばたきの数すら少ない。
――タンッ……
半拍、ガイウス先生のテンポがずれた。
強く息を吸い、止めるような音。
鱗が逆撫でされるような感覚にハッとした。
条件反射で腕が前に出る。
――氷鱗――
脳内で組み上げた陣をもとに魔術を展開。
指先から順に冷気が左腕を覆い、並んだ青い氷が規則正しく成長する。
ギィィインッ!!
僕の喉元を貫く軌道。
突き出された剣を真正面から受け止める。
速い、上に重い。
だが、これなら……
(……いける)
氷を逆立て、先生の姿を見すえる。
喉の奥から魔力のこもった声が漏れそうになる。
でも今は我慢だ。
なんたってここにはエレオノーラがいる。
――氷鱗 さい……
「うぉっ、マジか」
魔術陣の構築が終わる寸前、ガイウス先生の力がフッと引いた。
ズザッ
少し離れて先生が着地する。
「あーあ、分かっちゃいたがやっぱ効かねぇか」
「……何のつもりですか?」
「勝ち残りたかったら油断するなって言いたかったんだよ。こうでもしねぇと、分かった気になって本番で死ぬやつが出てくるからな」
「じゃあなんで僕――」
「お前じゃなきゃ今ので死んでるだろ」
ガイウス先生は僕から目線を外し、みんなの方をにらんだ。
「……ふん。ただ全員反応出来てた事は評価するに値するだろうよ」
先生は剣をしまい、小さく息をつく。
「待ってください」
腰のレイピアの柄に触れながら、エレオノーラがガイウス先生に歩み寄った。
なんだ?
その、不満そうな顔は。
「ずいぶんと……彼を、評価しているようですね」
「……あぁ。実際、セルマリエスはお前らの中でも頭一つ飛び抜けてるからな。どう思おうがそれは事実だ」
エレオノーラは黙ってうつむく。
普段なら一切表情を変える事の無いこいつが、今日はやけに感情的だ。
わずかな口の動きで、ぐっと奥歯を噛み締めたのが分かる。
「あれくらい、私にだって……」
「止められる、と?」
エレオノーラのまぶたがピクリと動く。
そんな彼女を、ガイウス先生はただ静かに見下ろしている。
その瞳はぶれない。
『感情など知らない。反論は受け付けない』そういった意志が、口に出さずとも瞳に宿っている。
すると今まで静観していたヨセフ先生が、ポンとガイウス先生の肩に手を置いた。
「あ?」
「……駄目ですよ。彼女が納得しない限り、この話は終わりません。感情とはそういうものですから。そこで、どうでしょう? この際一度確かめてみては?」
「……」
先生二人の視線が僕に向く。
ガイウス先生は僕とエレオノーラを交互に見比べると、どこか困ったように眉をひそめた。
「俺は反対だって言ったんだがなぁ……」
「エレオノーラさんは乗り気のようですがセルマリエス君。あなたは……」
(えぇ……)
非常にめんどくさい。
つまりは僕にエレオノーラと戦えと。
ガイウス先生の口が音を発さず動く。
『すまん』
その態度を見るに分かった。
エレオノーラの暴走はともかく、僕の力を確かめようとこの状況を望んだのはヨセフ先生か。
朗らかそうな顔して食えないじいさんだ。
まったく、本当に面倒な事をしてくれる……




