No.84 原因不明のエラーが発生しました
「……ヨセフ先生? 何をしているんですか?」
「うむ? これですか? 年のせいか最近どうにも腰が痛くて、ストレッチを欠かさないようにしているんですよ」
「……ストレッチ?」
と、いうよりもこれは……
――反復横跳び。
……に、見える気がするのだが、僕の気のせいだろうか?
「ほっほっほっほっほっ……」
とても腰を痛めた老人のものとは思えない、高速かつリズミカルな足捌きだ。
踏みしめられた芝生から、ふわりと土の匂いが舞い上がる。
「いや中でやれよ。さっさと開けろやジジイぃ……」
あまりに呑気なヨセフ先生に痺れを切らしたのか、ガイウス先生は舌打ちをして目を細める。
「ほっほっほっ……そう急ぐのも良くありませんよ。ほっほっほっ……」
しかし、ヨセフ先生は一向に反復横跳びをやめようとしない。
むしろ、速度は次第に上がっていく。
ガイウス先生の右頬がピクリと震え、そのまま口角がつり上がる。
赤い瞳から光が消えた。
途端に空気がピリつき、そよ風がピタリと凪ぐ。
「おい…………」
ドスの効いた低い声。
ガイウス先生は目を見開き、ギリギリと首を右に傾ける。
――あ、これ、やばいやつだ。
ブチギレていらっしゃる、
「叩っ斬るぞ…………?」
あぁ~……絶対冗談じゃないや。
すでにガイウス先生の右手は、腰の剣の柄をしっかりと握りしめている。
瞬間、僕は思い出した。
ガイウス先生の初回授業の日、みんなの前で見せた、あの異様なほどの態度の変化。
そして、昨日のラーファルの言葉。
『だってあの人……なんか、近寄りがたいじゃん?』
……どうやら、他人をその人がよく見せる一面だけで判断していたのは、僕も同じだったらしい。
ラーファル、やはり君の言っていた事は正しかったようだよ。
――この人、超怖ぇ。
ヨセフ先生のステップがゆるやかに止まる。
「んもう、君は本当に可愛げがなくなりましたねぇ。まぁ私への対応は昔からそうでしたが」
「ごちゃごちゃうるせぇんだよ……テメェに限って俺がここを開けられねぇ事、知らねぇ訳がねぇだろ…………」
ガイウス先生は抜き放った剣を逆手で持ち、思い切り地面に突き立てた。
小さく、長く、銀の刃が悲鳴を上げる。
そこに追い討ちをかけるように、ガイウス先生は柄頭を拳で殴りつける。
――ガァン!!
……いやまぁ、耐えてるんだろうなってのは分かるよ。
だがその剣に一体何の恨みがあるっていうんだ。
「んん!?」
「分かりました、開けますよ。だからもう機嫌を直しなさいな」
ヨセフ先生は口ではそう言うが、ここまできてもその柔らかい物腰は崩れない。
ってか言ってる内容も大概だ。
機嫌を直せって……このじいさん、誰のせいだと思ってるんだ。
どこまでもマイペースなヨセフ先生。
第一修練棟の中に入る。それだけなのに、ガイウス先生がブチギレるまで動こうとしない。
自由な性格だってのは、一時間以上教室の後ろで気配を消して立ってた、って時点で薄々感じてはいたのだが……
……この学園の教師は変な人しかいないのか?
とかなんとか思ってみたり。
僕も側から見たら変人である以上、思ったところでそれを口にする資格は無い。
それは分かっている。
緑のハトを頭に乗せて授業を受ける学年首席なんて、後にも先にも僕一人だろう。
自信を持ってそう言えるよ。
そもそも、それ以前に“普通”の基準が破綻してるんだ。
こっちに来てから、一度でも真に“普通”の人間に会った事があっただろうか?
……うん。ほぼいないな。
強いて言うなら、ルルス先生と『白猫亭』のシャロンさんくらいか。
あとはみんな論外だ。
もちろん、僕含めて。
「えぇと確か……こうでしたかね?」
ヨセフ先生が修練棟の白い壁にぺたぺたと手をあてる。
『第一』の文字のすぐ真下。そこを軽く押し込むと、ガコンと音がして、十五センチ四方ほどの正方形のくぼみが出来た。
どんなギミックだよ。
初見で気づくか、そんなもん。
ヨセフ先生はポケットから手帳のようなものを取り出した。
僕達の持つ生徒手帳よりもやや薄い。
さしずめ、教員証とでも言ったところか。
ヨセフ先生は教員証をくぼみに押しあて、指先からわずかに魔力を流した。
するとくぼみの縁が薄緑色に光り、と思った瞬間には、壁の一部が横にスライドして出入り口が出現していた。
認証式の自動ドアだと?
ハイテクすぎやしないだろうか?
魔術によるものではあるだろうが、大浴場の湯気しかり、一体誰がこんなものを作ったんだ。
たかが炎のゴミ……もとい『火付きの導火線』ごときでヒィヒィ言ってるようなレベルなんだろ?
なのにこんなものは作れる。
おかしくないか?
「チッ、最初からやれよ……」
ガイウス先生の舌打ちが夏の日差しにかき消される。
それから次に僕に目を向けた時には、もうすっかりいつもの調子に戻っていた。
「他んやつらを待ってる間、ずっと外にいるってぇのもあれだろ。中入ってようぜ」
「あ、はい」
いや、テンションの落差よ。
でもこの環境で一切魔術の類を使えないってのはかなりのストレスになるだろうし、切り替えが早い方が得……ではあるのか?
元来そういう性格なのかは知らないが、少なくともこれが彼なりに環境に適応した結果なのだろう。
“死”が身近にあるこの世界。
やたら変人が多いのも、似たような理由なのかもしれない。
楽観視……とはまた違うが。
変なのは人か、世界か……
……ずっとどこかに違和感がある。
ところどころ、何かがズレているような……
――気持ちの悪さが拭えない。




