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No.78 大いなる激流の渦に呑まれて

 と、いうのがこれまでのいきさつだった。

 始めは反発していたアクトも、一ヶ月間ラクレアリスの理不尽に振り回されているうちに、今となってはもうすっかりそんな気はなくしていた。


 床に下ろした紙束を見下ろし、アクトは再び溜め息をつく。


 すると、ふと紙の間からしっかりとした黒い封筒がのぞいているのが目を入った。


「……何だ、これ」


 アクトは封筒を紙束の中から引き抜いた。


 宛先も、差出人の名も書かれていない。

 封が切られた様子も無く、中は封蝋でしっかりと閉じられている。


 アクトは黒封筒の封を切り、中から一枚の紙を取り出した。

 その内容は、ラクレアリスに向けられた手紙だ。




 ***


 拝啓、ラクレアリス。


 私がこの手紙を出した理由は、もうすでに見当がついている事だろう。

 君がした事の詳細は全てゼムルードが事細かに教えてくれたよ。


 ある程度の事ならば私も容認しよう。君の持つ力も時間も、全て君だけのものだ。

 ペトラメイのように自らに役目を課すも、ゼムルードのように趣味を極めるも、好きにしたら良いさ。

 それこそ今までのようにだ。


 だがね、今度は流石においたが過ぎるよ。

 これは親として言わせてもらおう。

 よくも私の子をいじめてくれたな。


 しかも『幻花』まで使ったと言うじゃないか。精神の脆く不安定な部分を揺さぶる事がどれほどに危険か、知らないはずが無いだろう。


 何か弁明があるのならば直接聞こう。

 一ヶ月以内に私のもとに来なさい。それを過ぎても来ないようならば、私の方から迎えに行く。


 敬具


 アリオト


 ***




「……あの、師匠」

「何ぃ?」

「これ……大丈夫なんですかね?」


 眉根にしわを寄せ、アクトはラクレアリスに黒封筒と手紙を見せた。

 封筒に書かれた日付からは、もうすでに一月以上が経過している。


「あ゛」


 手紙を見るやいなや、みるみるうちにラクレアリスの顔が青ざめていった。

 いつもの飄々として余裕そうな雰囲気は見る影も無い。


 手紙を指さし、小刻みにブルブルと激しく震えている。


「そ、そそそそそそそれ、ぁ開けちゃったの?」

「は?」




 ――コンコン




 窓の外から聞こえていた鳥のさえずりがピタリと止み、しんと静まり返った室内に乾いたノックの音が響いた。


「誰が……」

「待って、開けないで」


 いつになく動揺した様子のラクレアリス。


 はなからアクトは得体の知れない訪問相手にドアを開けようという気など無かったが、それでもラクレアリスの恐怖に満ちた瞳に、一瞬動きを止めた。




 ギィィィィ……




 誰も手を触れていないのに、ドアがひとりでに開く。

 その先に広がっていた光景に、アクトは目を見開いた。


 想像していたのは鬱蒼と木々の茂る深い森。

 だが現実は、柔らかい薄緑色の草原に、青い、青い空。


 ほのかに雪の匂いを含んだひんやりとした空気が、ざっと小屋の中に吹き込む。


「アリス」


 ……凍りつくような冷たい声がラクレアリスを呼んだ。

 ラクレアリスは声には応えず、机の下に隠れてただただ震えている。


「用件は分かっているね、アリス」


 異様な空気にアクトも何も言えない。

 すると、一人の青年がゆっくりと小屋の中に足を踏み入れた。


 もう何年も切られていないような長い黒髪に、頭には枝分かれをした二本の大きな青いツノ。

 背中きら生える翼は鳥のそれに似るも、柔らかく透き通った紺碧の水晶のようで、長い尾の先にはラクレアリスと同じ、ヒレのような房毛がついている。


 青年の姿を前に、アクトはほとんど反射的に片膝をついた。


 父にも、自国の王にも感じなかった絶対的な何かを、アクトは目の前の青年に感じ取った。


(――――王)


 それはまぎれもない、この世界の『魔力』という概念の頂点に座する者だった。


「ヒィ、なんでよぉ! 私ちょっとからかっただけじゃん。ゼムの時は何も言わなかったのにぃ〜!」


 机の下から引きずり出され、ラクレアリスは情け無い叫び声を上げる。


「ゼムルードには悪いが……」


 青年はラクレアリスのツノを掴み上げ、顔を寄せた。


 サファイアの如き輝く双眸が、怒気を孕んでラクレアリスを見下ろす。


「……それとこれとは話が別だ」


 青年は軽く腕を振るように、ラクレアリスをドアの外へ放り投げた。


「ギャアアァァァァ…………!」


 ラクレアリスはおぞましい速度でドアの外へ放り出された。

 悲鳴と共にその姿は遠くなり、あっという間に見えなくなる。


 青年の視線がアクトに向く。

 吸い込まれてしまいそうな青く美しい瞳に、アクトの体はビクリと跳ねた。


「ああ、アリス。また性懲りも無く眷属を作ったのか。安心して良い。君には何もしないよ」


 青年が微笑を浮かべると、アクトの緊張も不思議とだんだんほぐれていった。


 しかし、それでもまだ口を開く事は出来なかった。




 ――軽々しく触れてはならない。そんな気がして。




「ん?」


 ふと、青年がアクトの顔をのぞき込んだ。

 何かを思い出すように上を向き、首をかしげる。


「君、名前は?」

「え、ア……アクトです」

「姓は?」

「……キングスランド」


 アクトが答えると、青年はその言葉を繰り返し、口の中で反芻する。


 やがてはっと何かを察すると、声を上げて笑いだした。


「これはどんな因果か!」


 青年の表情は嬉しそうとも寂しそうともつかない、何とも言えない複雑なものだった。

 アクトはそんな彼の顔が誰かに似ているような気がしたが、困惑の渦にかすかな疑問はかき消された。


 ひとしきり笑い終えると、青年は小さく呪文を唱え、人一人分ほどの大きさの鏡のようなものを創造した。


「アリスが悪い事をしたね。これは君がいた学園に繋がるゲートだ。お詫びにあげるよ」


 呆然とするアクトにそれだけ伝えると、青年は部屋から出ていった。


 ドアが閉まり、部屋にはアクト一人が残される。

 するとふっと景色が戻り、また、窓の外では小鳥達がさえずる。


(今のは一体……)


 そんな事、アクトは知るよしも無い。

 それどころか、あれが本当に現実だったのかすら怪しい。


 だがアクトの脳裏には、さっきの青年の絶対的な存在感が、“真実”として焼きついて離れなかった。

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