No.71 依頼
「失礼します。学園長、さっきおっしゃっていた通り三人を連れて来ました」
「ありがとう。ごくろうさまです、エレオノーラさん」
エレオノーラのノックの音と共に、学園長室に足を踏み入れる。
嗅ぎ覚えのあるインクと絨毯の匂いの奥で、一人のエルフが柔らかくほほえんでいる。
ライネール・イリア。
この学園を統括する学園長だ。
「突然呼び出して申し訳ありませんね。手短に話すのでご容赦を」
学園長は椅子から立ち上がり、エルフ特有の年齢を感じさせない顔でじっと僕らを見下ろした。
そして一瞬目を伏せたかと思うと、その表情からフッと笑みが消えた。
張り詰める空気。
恐怖にも似た緊張感が、塊となって食道を駆け下りる。
ヒュンと音を立ててラーファルの尾羽が下がった。
チラリと横をに目を向けると、あのエレオノーラでさえも、わずかに口元が痙攣している。
『一体全体なんて申しつけられるのか』そう思っていたのに、学園長の口から出た言葉は、あまりにも酷くあっさりとしたものだった。
「まず単刀直入に言います。あなた達四人には、1-Aの代表として闘技大会に出てもらいます」
冷静に考えてみるととんでもない事だ。
ただでさえめったな事では選ばれないような闘技大会の代表。それも学園長直々の指名。
この時点ですでに普通でない事は分かる。
でも、今回のこのメンツだ。
それに学園長は”まず”と言った。
おそらく本題はここからだ。
学園長はほんの一瞬顔を背け、わずかにためらうような表情を見せた。
ためらう……?
……いや、どこか違うような気がする。
かといって、哀れみのように外向きの感情でもなさそうだ。
「あなた達には、『愚者の指輪』を捕獲してほしいんです」
(……は?)
意味が分からん。
真っ白になった僕の頭の中にその七文字が浮かぶ。
そして思考がフリーズする。
「申し訳ありません、話の脈絡がつかめないのですが」
真っ先に口を開いたのはエレオノーラだった。
「……まぁ、そうでしょうね」
深く息を吐くようにして、学園長がぽつりとこぼす。
エレオノーラの問いに答えたのではなく、彼女自身のひとりごと。
相変わらず他の三人はなにも理解できていないようだが、この時点で僕はなんとなく察した。
(裏に何か”いる”)
似ている……事の異質さが同じなんだ。
あの、サイラスが攫われた事件と。
「正直、私もよく分からないのです。なぜならこれは……いえ、とにかく、ここはこれ以上何も聞かないで引き受けてくれませんか? きっと、詳しい事はこれから分かるでしょうから」
学園長は半ば強引に話を切り上げる。
いくらなんでも怪しすぎだ。
それに、やっぱり意味が分からない。
学園長はそれきり何も言わなかった。
僕たちは雑に学園長室を追い出される。
「一体何だったんだ……」
「……さぁな」
「僕まで代表……なんで?」
「知るか。あの人の考えてる事なんか。……俺もちゃっかり含まれてるし」
煮詰めた泥に生クリームをぶちまけたみたいな気色の悪い気分だ。
いっそ清々しいほどのカオスに、流れるように巻き込まれていく。
それに今回はこの三人も道連れだ。
「『愚者の指輪』、ね……」
エレオノーラが遠くを見るような目で上を向く。
「何か知ってるのか?」
「いいえ、私は何も知らない。あなた達の方こそ、何か?」
「知ってるなら端からこんな事聞かないっての……」
メルトとラーファルも首を横に振る。
『愚者の指輪』。もしこのまま闘技大会に出たとしても、こいつが何なのかが分からないままでは話にならない。
どうも最優先にやるべきは、こいつの正体を探る事になりそうだ。
――そういえば、こんな時にこそ役に立ちそうな人がいたな……
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……これで、良かったのですか?」
四人が出ていった後。
気配が遠くに消えていくのを見計らって、ライネールは右後ろの壁に声をかけた。
「ええ、ありがとうございます。こんな無茶な願いを引き受けてくださって」
陰の中から浮かび上がるように、ライネールの視線の先で人影が揺れた。
老紳士は頭を上げると、あきれたように息をつく。
「二度も申し訳ありません。どうにもあの方の行動は読めないもので」
「ヨセフ先生、あなたが謝る必要は無いでしょう。紅の魔女の理不尽に逆らうなど、私にだって出来ませんよ」
「はは、それもそうですな……」
ヨセフは肩をすくめた。
「しかし、あの四人なのでしょうね?」
「……さぁ?」
ライネールは自分の椅子に深く腰掛け、事の発端となった一通の手紙に目を落とした。
白くやたらと質のいい紙に書かれた内容は、先程ライネールがエス達四人に話した事と大差ない。
「今年の闘技大会も荒れそうね……」
引き出しから資料を取り出しながらライネールはつぶやく。
昨年度の闘技大会での死亡者のリストだ。
「最善を尽くしているのに、どうして毎回こうなるのかしら?」
「実戦なのですから、多少の事故は仕方ありませんよ」
そうは言いつつも、ヨセフはライネールの持つ資料から目をそらした。
教師二人の思いを知らず、窓の外からは生徒達の元気な声が響いてくる。
「いっそ、闘技大会を中止にしてしまうのでは駄目なのですか? 他にも、実戦形式を改めるなどの方法は……」
「駄目ですよ、それは絶対に」
ライネールの語気が強まった。
威圧でビリビリと空気が揺れる。
「理由はありますよ。ですが、たとえ誰であろうと、これだけは教える事は出来ません」
ライネールのその言葉には、明確な強い意志がこもっていた。
部屋は静まり返り、生徒の声と鳥のさえずりが外から流れ込む。
ヨセフはゆっくりとまぶたを閉じた。
知らない方が良い事もある。
そう、身をもってよく知っていたから。
(やれやれ、何もかも、私……いや、人の身に余る話のようですね……)




