No.31 忘れられしサイラス
ルルス先生から解放された僕は、軽い足取りで席へ戻った。
「お前、とんだ災難だったな」
勢い良くどかっと椅子に座る。ふぅと息をつくと、メルトがちょっと気の毒そうに僕を見てそう言った。
「ああ、全く酷いものだよ。こんな散々な目に遭うなんて、試験の時には一切考えて無かったんだからさ」
目を閉じぐいと手足を伸ばす。メルトはそんな僕を横目で見、頬杖をついてフッと笑う。
「それにしても、未解決問題を解決するどころか既存の概念まで覆すなんて。やっぱり偉大なる首席君は、他のやつらとは違うな」
……唐突に何を言い出すんだこいつは。もしかして、まだ朝の事ちょっと根に持ってたり? ……うわ、このしたり顔、もしかしても何も確定だな。
——メルト、お前やっぱり朝の事根に持ってんだろ!!
「あ、おま、それ朝のアレの腹いせだろ。やめろってそれ、何かゾワゾワするから」
「謙遜するなよ、首席君」
「おいやめろって……」
こいつ、まだ言うか……あ、そうだ、そっちがそのつもりなら……
「……ふふふふ、そう言う事を面と向かって言うなんて、趣味が悪いですよ、メルトサマ」
「あ、くそ、お前またメルトサマって……」
「はっは、それはお互い様だよ嫡男君」
「おい」
「あはは」
しばらくメルトと二人でふざけ合っていると、左隣でラーファルが、ぽやぽやした表情で顔を上げた。
「うーん、エス……いつの間に戻って来たの?」
言わずもがなラーファルは脱落していたうちの一人だったようで、僕が席に戻ってからも頭に『?』マークを浮かべ、尾羽を揺らしていた。
「ついさっきだよ。その様子だと、やっぱり僕の説明は良く分からなかったようだね」
メルト同様、頬杖をついてラーファルに問う。ラーファルは羽を少し逆立たせ、『全然、何一つ分からなかったよ』と首を横に振る。
「うん。もう最初から話が高度過ぎてついていけなかったよ。メルトは途中までなら理解してる感じだったけど」
「いや、俺だってある程度の事しか理解してねぇよ。お前がルーンとか言い始めてからはもう訳分からなかったわ」
二人揃って、『初回からこんなの難易度高過ぎ』と溜め息をつく。
「はぁ、お前は規格外と言うかなんて言うか、色々化け物じみてるよな……まったく、何だよこの、奇天烈な発想は」
メルトは途中まで黒板を写していたであろうプリントを片手でつまみ、顔の前でひらひらさせる。
少しして机に紙を置き、何で試験本番にこんな事思いつくんだか、と呆れなのか称賛なのか良く分からん事を口にして、メルトは黒板に目を向けた。
前ではルルス先生が興味深そうに、僕が書いた中途半端な解説を眺めていた。
先生はちょっと黒板見つめてはメモをとり、悩むようにペンを額に押しあてては、何かに気づいて夢中でペンを走らせて……を繰り返している。(ちなみに、これまた半端に残された数十分間は自習と言う事にされた。入学してまだ二日しか授業をしていないのに、自習出来る事なんて何も無いと思うんだが)
「一年の初回授業でこんな事するなんて、ルルス先生も物好きだな。あんなに楽しそうにメモとっ……て……ん? あれ、そう言えば……ところで話は急に変わるんだが、俺達、何か忘れてるような気がしないか?」
ふと何かを思い出したのか、メルトは顎に手を当てる。
「忘れてる? は? え? 何が? え、そもそも忘れるような事なんてあったっけ?」
「いやほら、何か朝色々話してたじゃねぇか。お前が俺の事様付けして遊んでたのははっきり覚えてるんだが、他に何の話をしてたのか、まるっきり思い出せねぇんだ」
「ああー、言われてみれば。確かにそれ始める前に、もっとこう別の話題があったような無かったような……」
目を閉じて上を向いたり下を向いたり、どうにかこうにか今朝の記憶を手繰り寄せようとしばらく唸ってみたが……
「……うー……ん? ……駄目だ。やっぱり何も思い出せんわ」
断片的な記憶すら出て来なかった。
「ラーファルは何か覚えてる?」
まだちょっとぼんやりしてるラーファルにも話を振る。
「え? あ、朝? 朝と言えばメルトの部屋でサイラス君が全裸で土下座してた事くらいしか……」
「「それだ!」」
そうだ、サイラス! あんな印象的な事件、何で今まで忘れてたんだろう。
「へ? それだって何が? まあ何だって良いけど、そいやあの人遅刻どころかまだ来て無いよね?」
ラーファルは教室を見回し、首を傾げる。その視線を追いかけるように僕もクラス内を見渡すも、あの間抜けそうな銀髪の姿はどこにも無い。
「あれ? サイラスいないな」
「まだあそこで白くなってるとか?」
「流石にそんな事あるか?」
三人でサイラスの行方について話し合ってみるも、まあ当の本人は現れるはずも無く……まったく、あいつは今どこで何をやってるんだか。
思えばプリントが一枚余ったのも、サイラスがいなかったせいだろう。誰も気づいて無かったけど。
カンッパキ、カラカラ……
すると突如、前の方で乾いた音がした。ルルス先生がチョークを落としたようだ。チョークは半分に割れ、細かい破片が先生の足元に散らばる。
「……あーあー、あんなに粉々になっちゃって。ありゃ全部集めるのは大変だろうな」
かがんでチョークの破片をかき集めるルルス先生を見やり、僕は小さく息を漏らした。
「……ん~、なぁんかちょっと嫌な予感がするなぁ……」