No.100 知らないものは知らない
『愚者の指輪』が何であるのかは、いまだによく分からない。
“捕まえろ”というからには逃げるのだろうが、そもそも見た目すら判然としないうちには、探す事も追う事も出来ない。
なのに、時間だけが刻一刻と近づいてくる。
忘れてなどいない。
他の三人も、別に忘れている訳ではないと思う。
だから、ラミナ先生のところに行ったきり、学園長の“お願い”についてなにも話をしなかったのは、ただの逃避でしかなかった。
「どうしてお前がそんな事を――」
「勘違いはやめてくれよ。知ってるってだけで、別に俺が命令したとか、そういうのじゃないからな」
「じゃあ……お前じゃないなら、一体誰が?」
ゼムルードは答えない。
答えようともしない。
その代わりなのか、ゼムルードは困ったように眉を下げる。
「そりゃあそれも知ってるけどさ…………君は知らない方が良いよ」
「……そういう曖昧な言い方をされると、よけいに知りたくなってしまうものだけれど」
「それも分かる。でも君の為だ。君は一度気になった事は、答えが出なくても延々と考え込んでしまうたちだろう? だからなおさらだ。それに俺だって、どうしてこんな事になっているのか、理由までは知らないんだし」
ゼムルードの言う事には、何の悪意も、はぐらかすような雰囲気も感じない。
たぶん、純粋に僕への気づかいのようなものだ。
だが……
――ゼムルードは知らない。
僕はあの夢の内容を、ところどころとはいえ覚えている。
もう察しはついてるんだよ。
本当の依頼主が誰なのか。
「ならそれは探らないよ。どうせ、聞いたところで無意味だし」
「そう。それならこちらとしても助かるよ」
ゼムルードはにかと笑ってうなずいた。
「じゃあ本題に入ろう」
人の少ない路地裏に入り、ゼムルードは僕を振り返った。
ざわめきが遠くなり、いくぶん声が聞き取りやすい。
ゼムルードは人さし指を立て、僕に向ける。
「まず一つ。大前提、今この時点では、愚者の指輪はこの世には存在しない」
「――は?」
待て。
最初から意味が分からなくなった。
捕まえろと言われた対象が存在しないのなら、そもそもこの話は成り立たなくなるだろ。
「存在しないものを捕まえるとか、出来る訳がないじゃん」
「そう、出来ない。事実として不可能だ」
おい、早々に話が終わったぞ。
それじゃあもう手の施しようがないじゃないか。
「冗談なら笑えないが」
「まあまあ落ち着けって、早とちりめ。だからここで二つ目の条件が出てくるんだ」
ゼムルードは立てる指に中指を追加して、その手を僕の顔の前に近づける。
「存在しないものを捕まえる事は出来ない。だからここで、指輪をこの世に顕現させる必要が出てくる。でも、これに関しては心配しなくても良い」
「どうして?」
問うと、ゼムルードは学園の校舎のある方へちらりと目を向けた。
周りを建物に囲まれているせいで、実際には校舎は見えない。
だが、この一大イベントの会場となる闘技場も、ちょうどあちらの方向にある。
「指輪が現れる条件は、その近くに強い闘争の気配がある事。だから君達が何もしなくても、指輪は勝手に顕現する」
「はぁ?」
存在しないのに、勝手に現れるだって?
つくづく意味不明だな、『愚者の指輪』ってのは。
それに、出現条件が不穏でしかない。
闘争の気配で顕現するだぁ?
はんっ、これでそいつがろくでもないものだってのが確定したな。
……まぁ、まともなものなら、最初からこんなお願いされてなかったんだろうけどさ。
ところで――
「闘争の気配に寄せられるってんなら、どこかの国が戦争でもしてたら、そっちに現れるなんて事になったりしないのか?」
「結論から言うと、それは無い」
ゼムルードは首を横に振って、僕の疑問を切り捨てた。
「というか、ここにしか出ないようにされてる、って言うかなんて言うか――封印……みたいな?」
……そこで疑問形で来られても困るのだが。
いや、聞いてるの僕の方だし。
「ん~詳しい理由は知らんっ! とりあえず、なんやかんやで指輪はここに出る。俺だって全部は知らないんだからね。聞いた事しゃべってるだけだから」
「パシリじゃん」
「そうとも言う」
お前はそれで良いのか?
まぁ本人が納得してるってんなら、問題は無いんだろうけどさ。
こいつが知らないところを叩いても、これ以上何も出てこない。
理屈うんぬんはなんとなくで聞き流さないと、話が進まなくなってしまう。
「じゃあそこで指輪が出たとして、それでどうする?」
「まぁ、結局はそこだよね」
ゼムルードは腕を組んでうなる。
いや、お前、知ってるんじゃないのか?
そんなに考え込むようなものなのか?
まさか、忘れたとか言わないよな?
「あ、別に忘れてはないよ」
突然ぱっと顔を上げるゼムルード。
心を読んだ?
いや、まさか。
「顔見たら分かるよ。眉根にそんな力入れてさ。君、けっこう顔に出る方だよね。人間みたい。年相応で良いと思うけど」
「ディス――」
「ってない」
ゼムルードはにやにやしながら、空気を払うように手を振った。
そりゃあ竜の基準からしたら、僕はまだまだ子供だよ。
精神年齢に前世を加えたとしても、だ。
あぁ、そうだよ。
年相応ってのは間違っちゃいないのかもしれない。
でも、妙に的を射ていてドキッとしたんだよ。
――人間みたいってのは。
「で、指輪の捕まえ方なんだけど……」




