2. 襲撃
それからも、結婚前に親睦を深めるためにと、たびたびベアトリス嬢と二人でのお茶会は開催された。
そのたびベアトリス嬢は、きちんと騎士服を着用し、そして帯剣を忘れなかった。
しかし緊張感が漂っているということはない。むしろ安心できるからだろうか、彼女の前では、私の舌は滑らかだった。
「レオはね、どうしてか、ディノ兄上にしか懐かないんだ」
「そうなんですか」
ベアトリス嬢がまっすぐに私を見て、くだらない話であっても真剣に話を聞いて、相槌を打ってくれるからかもしれない。
「年が離れているしね、私もレオのことは可愛がっているんだけれど、『大きくて強い』ディノ兄上に惹かれるみたいで」
「確かに、王太子殿下は『大きくて強く』あらせられます」
うんうん、と私の話に首を何度も前に倒す。
その様子を見ていると、ベアトリス嬢ももしかして、『大きくて強い』男のほうがいいのではないか、と少々不安になってきた。
「ちょっと羨ましいかな。兄上に敵うとは思っていないんだけど……」
思わずそんな愚痴が零れ出た。これは卑屈すぎたか、と口を噤む。いや、それも気にしすぎか。
ベアトリス嬢は、黙って私の次の言葉を待っている。なのに口が開かない。
あ、本格的に落ち込んできた。これはいけない。気を抜きすぎてしまった。
するとベアトリス嬢は、ゆっくりと話し始めた。
「わたくしが思うに」
「うん?」
「レオカディオ殿下は、大人扱いして欲しいのかと。フェルナンド殿下はいつも、レオカディオ殿下を見かけると、駆け寄って撫でまわしておられます。それが嬉しい人間もおりますが、レオカディオ殿下の場合、きっと自立した大人のように扱って欲しいのでしょう」
「でもレオはまだ七歳で、子どもだよ?」
「背伸びしたい年頃ということでしょう」
「そうかな……」
ベアトリス嬢に指摘されたことを考えてみる。
どうだろう、自分が七歳のときはどうだったか。
ディノ兄上とは二歳しか離れていない。だからレオと私との関係とは違うとは思うが、兄上は私をどのように扱っていただろうか。
撫でまわすなんてことはなかった。たまに、頭を撫でられるくらいのことはあったか。少なくとも、『いつも』ではなかった。そしてその『たまに』が、嬉しかったような覚えはある。
そこで、引っ掛かった。『いつも』?
「ええと、私が『いつも』撫でまわしているって?」
「……あっ」
ベアトリス嬢は口元を押さえ、顔を赤らめた。
『いつも』撫でまわしていることを知っているということは、『いつも』見ているということだ。騎士である彼女は、父上の担当なのに。
「いえっ、それははずみで出たというか、別にいつも見ているというわけではなくて、あのっ、たまたま目に入ったというか」
そして身振り手振りを加えて慌てて弁明を始めた。
「とっ、とにかく、レオカディオ殿下にとっては、そういうことではないかと。あっ、でも、撫でまわすこと自体は悪いことではないと思います。わたくしも撫でられると嬉しいだろうと……いえ、あの」
動揺が激しい。
今まで冷静沈着な様子しか見ていなかったから、私はその慌てっぷりが面白くて、口を挟むことなく、ただ眺めてしまった。
しばらくして彼女はピタリと動きを止め、そして縮こまって頭を下げた。
「すみません……」
「……どうして謝るの?」
「わたくしは、殿下を守ることが使命でありますのに、よけいなことを……」
もしかすると父上は、私を見やるベアトリス嬢を知って、彼女ならば上手くいくのでは、と考えたのではないのか。父上は、そういう気を利かせたがる人だし。
「守るのが使命だというのなら、いつも見ていてもいいんじゃない?」
「え?」
私は立ち上がると腕を伸ばして、彼女の頭に手を置いた。
「えっ、あのっ」
「撫でられると嬉しいんだっけ?」
そう言うと、軽く二、三度、銀の髪を撫でつけた。
「で、殿下……」
「なに?」
「は、恥ずかしいです……」
彼女は耳まで真っ赤になって、ますます縮こまった。
「私は恥ずかしくないけど」
「……からかっておられるのですね」
ベアトリス嬢は硬直してはいたが、少し口を尖らせた。
その様子が可愛くて、小さく笑ってしまう。
よかった。どうやら、望んでもいない男の婚約者になることを、強いたわけではないらしい。
そして以前、かけ離れている、だなんて思ってしまったが、彼女は十分に素直で可愛らしい女性だったと判明した。
彼女と夫婦になるのが楽しみだ。
◇
そしてとうとう、婚約を公に発表する舞踏会が開催される日がやってきた。
舞踏会が開幕となる前に、ベアトリス嬢が待っているという、控室に足を運ぶ。
「やあ、これは綺麗だ」
婚約発表会となると、さすがのベアトリス嬢もドレスを身に着けていた。彼女によく似合う、白地に銀糸で豪奢な刺繍が施された細身のドレスだ。白百合の君、という呼び名も納得の立ち姿だった。
「ありがとうございます。でも……」
「どうかした?」
「どうしましょう。なにかあったときに、これでは殿下を守れません」
そしてこんなときにも、護衛の役割を果たそうと、心配している。
「そんなことは気にしなくてもいい。今日は警備も厳重だし、そもそも参加者は信頼のおける貴族の者ばかりだ」
「……そうですね」
しかし落ち着かないのか、二人並んで広間に向かう間にも、キョロキョロと辺りを見回している。そして騎士服を着た護衛を見つけると、なにやら話し合いをしていた。今日の警備について確認しているのだろう。
本当に、真面目というかなんというか。
その後、大広間に到着すると、私たちは温かな拍手で迎えられた。
父上と母上、そしてベアトリス嬢の父君である騎士団長も、私たちを見て微笑んでいる。
「此度、我がセイラス王国第二王子、フェルナンドと、ワーナー侯爵の息女、ベアトリスが婚約することになった」
父がそう公言すると、やはり大広間は、わっと拍手と歓声に包まれる。
この婚約に、そして結婚に、なんの瑕疵も障害もないように思われた。
◇
二人で、来場していた貴族の面々と挨拶をして回る。
ベアトリス嬢は緊張の面持ちではあったが、そつなく彼らと会話していた。
ところが、だ。
そうして歓談し始めてどれくらい経ったころだろうか。
「きゃっ」
「なに?」
「うわっ」
短い叫び声が、そこかしこで上がる。
なにごとだ、と騒ぎが起きているほうに視線を向けると、見知った顔がこちらにやってきていた。
以前招待された舞踏会の主催者、スピノザ侯爵の娘、アグネス嬢だった。
私から少し離れたところで話をしていたベアトリス嬢が、慌てたようにヒールの高い靴を脱ぎ捨てているのが、目の端に映る。
「え?」
アグネス嬢はどう見ても、挨拶をしに来た、という雰囲気ではない。憎しみの籠ったような目で、こちらを睨みつけながら駆けてくる。
なにより、手には短剣が握られていた。
誰かの悲鳴が耳に障る。
どうして、と疑問に思う間もなく、アグネス嬢が荒れた大声を上げた。
「フェルナンド殿下、お覚悟を!」
なんの覚悟をしろというんだ。したくない、そんな覚悟。
といっても、華奢な女性の覚束ない手だ。私も多少は怪我するかもしれないが、逃げずにアグネス嬢の凶器を持った手を押さえようと、一歩前に踏み出す。
しかし、鍛えられた人間ではないだけに、予想もしない軌道を描いた短剣は、私の腕をかすめた。
「あつっ……」
熱さを感じて怯んでしまい、たたらを踏む。
アグネス嬢は続けざま、まだだ、とでも言いたげに、凶器を持った手を振り下ろしてきた。
いや、まだ止められる、と腕を伸ばそうとしたとき。
目の前に、割り込む影。
と同時に、金属音が鳴り響いた。




