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断片・住民異動届

 はい。当市の、土地台帳で言いますところの**ヶ*字垂郷(たりごう)、住所で言いますと**ヶ*の三千番台の地区ですね、あそこは平成**年の年明け早々には無人になっておりますね。現在も住人はおりません。


 事件の影響か、と? さあ。

 そのあたりはご本人たちでないとわからないですね。各ご家庭でご事情があったのだろうとは思いますが。もともと高齢化が進んでいた地域ではありましたし。


 年末に人死にが続いた後、年が明けてすぐに人が動いたのは、まあ事実です。当時、地区に残っていた十戸ほどが一斉にと言っていい勢いで異動して行かれましたので。あっという間に無人になったことは、新聞にも書かれましたですしね。


 ……そうですね。私は当時、住民課におったのですが。住民異動届、まあ転居届や転出届ですな、そういうものを取り扱っておりまして。


 その二つの違いですか? 転居が市内での異動、転出が市外への異動になります。いえいえ、法律上の区分ですので。一般のかたはご存じなくて当然です。引っ越しなどそうそうするものでもないですし、知っておく必要もあまりないですけん……ないですからね。


 まあ、あんな事件でしたから。当時は役所の職員の間でも話題でした。

 現場の近くから通勤しちょりますものもおりましたし。いえ、垂郷ではなく、二番目や三番目の事件です。二番目の事件の犠牲者は**町の職員さんでしたし。顔見知りやいうものもおりましたしな。


 テレビや週刊誌で殺人鬼がおるなどと騒がれましたけん、怖がるひとも多くて。

 自分たちもこの近辺に住んどるわけですから。家族も親戚も友達も、みんなそうですからね。


 得体の知れん殺人鬼が近くにいるかもしれんなんて言われたら、落ち着いておられんです。ええ、殺人事件が起きなくなってからも、数ヶ月はピリピリした空気でしたね。


 私の家でも玄関を二重ロックにしたりしましたよ。親戚は台風のときくらいしか閉めんかった雨戸を、毎晩閉めるようになったと()うてました。小中学校はしばらく集団での登下校で、保護者が交代で付き添いました。あのころは本当に、大した騒ぎでした。


 さあ、異動なさるかたに理由を聞いたりはいたしませんので。

 本人さんが来るとも限りませんし。代理でも手続きは出来ますから。同一世帯のかたでなくても委任状があれば可能です。はい、血縁でなくても、老人介護施設の職員さんでも届け出していただけますので。


『これで誰もいなくなってしまうから寂しいね』

 と、ぽつりとおっしゃったかたはおられましたが。

 長年、暮らした場所を離れるのは不安もあるでしょうし、そうおっしゃられるお気持ちはよくわかりました。


 今でも、うちの玄関は二重ロックですよ。

 ちゃんと閉めますね。二十年近く経ちましてもね。何となく、閉めんと安心できんようにはなってしまいましたね。


 私が子供のころは、父が仕事から帰ってくるまでは鍵なんぞはかけませんでしたがね。暗くなっても開け放しでした。夏だって窓を開けたまま寝ておりましたね。

 けれど、あの事件の後はね。閉めてしまいますね。雨戸もね。


 あのころ同僚に、親が垂郷の出やというものがおったのですが。おじいさんとおばあさんの代理で異動手続きをして、私が受け付けたのですが。

 おじいさんが、生まれ育った家を捨てたくないなあ、と言い続けちょって気が滅入る、と言っていましたので何の気なしに、


『犯人が捕まったら帰ってもいいんやないかね。年寄りやけん心配や言うなら、あんたが一緒に住んでやったら』

 みたいなことを言ったんです。彼は独身でしたし、市内ですけん、車を使えば通勤は出来ますし。


 そうしたら、『それはないと思う』と言われたんです。

 あの場所は病院も近くにないですし、不便は不便ですし、やっぱりそう簡単にはいかないか、と思いまして。無責任なことを言うてすまん、とすぐにあやまったのですが。


 そういうことやないんやと言うのです。

『俺もそれは考えたんやけど、本人たちに戻る気がないんや。じいさんも、家を捨てるのは嫌やけど戻れんのや、って。あそこはもう人間の住むところじゃないけん言うちょるの。それやったら、がたがた言わんで欲しいのやけどなあ』

 と。


 近所であれだけ凄惨な事件が続いたわけですし、やっぱり怖いのかなあという話になって終わったのですけれど。後からよく考えたら、ちょっとおかしな言いかたやったなあと思わんでもないんです。


『恐ろしくて住めん』

 というのならわかります。けど、

『もう人間の住むところじゃない』

 というのは、ちょっと大げさやないのかなあ、と。殺人事件があった場所でも、ひとは住んでいるものじゃないですか。


 事件があった現場の家は、それは嫌でしょうけれども。アパートなんかでも、殺人やら自殺があった当の部屋は嫌がられても、隣りや上や下には普通に誰かが住んじょるものやないのですかねえ。


 いえ、届け出をした彼が、おじいさんの言葉を正確に伝えたとも限らないですけれども。

 夜中に帰宅して、二重ロックを閉めなおすときなんかに思い出すんですよ。

 あれは、どういう意味だったのかなって。

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