反撃・4
舗装されていない坂道をゆっくりと上がりました。傾斜が急で、目の見えん私はゲンさんに片手を引かれてようやく進んでいきました。自分の足元もおぼつかんでしたけれども、それ以上に年を取って体力の落ちたゲンさんのことが心配になりました。
『ゲンさん、大丈夫か』
と聞くと、
『なあに、わしゃ平気じゃ。子供のころから何度も上った道やけん、慣れちょる』
と明るい声が返ってきました。
『吉っちゃんこそ気ぃつけや、滑って転がり落ちんように』
私を気遣ってまでくれましたが息は切れちょって、やはり無理をしちょるんやと思いました。それでもゲンさんはしっかりした足どりで進んでいきました。
やがて平らな場所にたどり着きました。
『ここや。ちっと待ってぇな、息を整えるけん』
ゲンさんが私の隣りで深呼吸をするのが聞こえましたが、
『ゲンさん。ここ、どこや』
私は恩人の苦しげな様子よりも、そのことを確かめずにはおられませんでした。連れて行かれたその場所は、何だか異様やったのです。
どんなところでも音は聞こえるもんです。町には町の音、山には山の音があります。さっきのご神木のところでは、鳥の声や葉ずれの音がしちょりました。草木の気配もありました。ちゃんと山の音、山の気配があったです。
だけど坂を上ったそこは、とても静かでした。すぐ近くのはずなのに、下では聞こえた鳥の声がありません。草木もありはしたんでしょうが、息をひそめておるみたいに気配がせんかったのです。
何というたらええか……、温泉地に地獄やらいうところがありますでしょうが。そういう場所の感じが、ちょっと近いのです。
がらんとして、しんとして、生きたもんの気配がせんのです。
『わかるか、吉っちゃん』
ゲンさんの声は小さかったです。
『ここは塚や』
それしか言いませんでしたが、それで十分な気もしました。
『わしの実家はな、ずっとこの塚を抑えて来たんや。おふくろの事故で、兄貴は昔ながらのしきたりに従わんといけんちゅう考えが強くなってな。だけん、長男の透一にはいろいろ教えちょったみたいやが……。顕二は詳しいことを知らされちょらんかったようや。かわいそうにな』
私は顕二さんというかたのことは知らんですけん、何も言えんかったですが。ゲンさんには甥御さんですけん、いろいろ思うところがあったんでしょうなあ。
『兄貴にとっては、昔ながらのしきたりを守ることがちゃんとするいうことやった。親父はたぶん、やりかたを知るもんを増やすほうがちゃんと出来ると思うておったんやろ。透一は、どげだかなあ。古いしきたりに縛られんことを、そう思っちょったかもしれんなあ』
ゲンさんが私から離れて、ゆっくりと歩き始めたのがわかりました。
『親父は華子にも教えたがっちょったが、兄貴が反対してうまくいかなんだ。華子は中途半端なことしか知らんままで東京に嫁に行ったなあ。……けど、わしはちゃんと教わっちょる』
ざく、ざく、と足音を立てて、ゲンさんは進んでいかれました。
『これまでのわしは本家のすることを横から見て、それは違う、あれは違うと言うちょっただけやった。けど、今はわしがちゃんとする番や』
足音がやみ、一息つくほどの間があってから、
『津峨森現太、この戦の殿軍をつかまつる』
腹から出したに違いない、太い声が響きました。
ゲンさんは、歴史ものが好きだったですよ。私にも戦国武将の小説なんかをよく読み聞かせてくださいました。私もねえ、それで詳しくなりましたねえ。殿軍は戦の華やなんて、二人して盛り上がったこともありましたなあ。
ええ。
あのひとの最後の名乗りは、五十年近く連れ添った奥さんの苗字じゃありませんでした。
それを嫌っていたわけではないんです。ゲンさんは奥さんのことも、お舅さんらのことも大切にしちょったです。生まれたときの苗字より、婿に来てからの苗字のほうが長い。大事にせなならん、なんて笑っちょったこともあったです。
それでも、最後の名乗りは実家の苗字やったのです。
私は、そのとき何も言えませんでした。ゲンさんの気迫に押されたのもありました。邪魔しちゃならんいう気持ちになったこともありました。
ですがそれ以上に、その場の圧し潰されるような空気に縮み上がって声が出なかったのです。臆病者ですわ。情けない。
それだけが、今でも心残りです。
何ぞ言えたことが、言わなきゃならんことが、あったんやないかなあと思ってしまいましてなあ。
すぐにゲンさんの声が聞こえ始めました。お経のような、祝詞のような……。
いや、お経と祝詞は違うものなんやろうけど、私みたいな無学なもんには判別がつきません。何やら難しげな、お祈りの言葉やいうことだけはわかりました。
だけん、足をすくませたままその場に突っ立って、私も手を合わせて祈ったです。ようわからんけども、ゲンさんのやろうとしちょることが上手くいきますようにと、それだけを懸命に願ったです。




