断片・しきたり
ええ、津峨森さんの縁談はうちの両親がまとめたですよ。垂郷とうちの地区は、戦前から付き合いがまでしたけん。
父も母もそういうことが好きでしたけんね、他にもいろいろな縁談をまとめちょりましたけど、津峨森さんのは格別だぁってよく言っちょりました。
ええ、そのころはまだね、仲人が縁談を持ってくるのが普通でしたけん。いえ、大阪とか東京とか、都会はもう違ったかもしれんけど、こげな田舎ですけんね。今も昔も、出会いがないですけん。
垂郷の他のひとの面倒もみちょったようですけども、あそこは難しい言うちょりました。近くの地区はいけんのですわ。垂郷や言うただけで破談になりますけんね。
ですけん、城下町や海沿いのほうで探したりですわ。
けんど、津峨森さんはもっと遠くないといけんのだそうで。他県とか、県内でも西のほう、**あたりなんかへ商談に行ったときに声かけておいたりしちょったらしいです。
**あたりは、もともと他藩でしたけんねえ。こっちは譜代、あっちは外様ですけんねえ。気風も違います。今は同じ県やいいましても、いろいろねえ。私らや、もっと若い人はそうでもないですが、戦前の人はねえ。
それこそ私の父なんて、**のほうから代表が出たら甲子園も応援しませんでしたけん。
『ありゃ、よそや』
言うて、テレビも見ませんでしたけん。高校野球ね。みんなが盛り上がってても知らんぷりでした。だけどね、そんな人も多かったですよ。あの年代の人はねえ。
ああ、ごめんね。津峨森さんの話ね。
だけん、奥さんは**の生まれのひとだったですよ。いいおうちの出だったようです。津峨森さんも、一応は江戸時代からの家ですしね。学もありますし。
大学、出ておられましたけん。今では普通ですけど、あのころはね。誰でもいうわけでもなかったですよ。それも県内やなくて、確か京都やら大阪やらの大学ですけん。弟さんも。頭、良かったんでしょうねえ。お二人とも。
もともとは京都の辺りの出やと聞きました。いえ、津峨森さんのおうち。
垂郷の開墾のときに呼ばれてきて、住み着くことになったとか。
そのせいか、あそこでもちょっと特別だったみたいです。
縁談を探すときに、父や母が情報を集めよと思うて、垂郷のひとに話を聞こうとしても、みんな知らんと言うちょったそうです。
『モリの家とはあまり付き合わんけん』
『何が好きかとか知らん』
って。
村八分にされちょるんやないかと思いますでしょ。だけどそういうわけでもなかったみたいなんです。
付き合いはあるんやけど、親しくはしない。
津峨森さんの家は特別で、他の家とは違う。そういう関係だったようです。代々。
『だけん、そこは気にしちょらん』
って父も言っておりましたね。
面倒だったのはそげなのと違うです。祀りごとみたいなことをしちょったからか知らんですけど、しきたりがね、うるさかったそうです。
いえ、垂郷は全体的にはそげにうるさくなかったですよ。津峨森さんのところだけ。だけん、しきたりっていうのも、そこのおうちだけのことなんですけども。
まず、家を継ぐ長男は決して垂郷を離れてはならない。
これはまあ、家やら田ぁやらありますけん、普通やないですか。
次に子供は二人まで。
これも今ん世の中では普通みたいに聞こえますけど、あそこのおうちがちょっと違っちょったのは、子供というより嫁さんの妊娠の回数なんです。
死産でも流産でも数に入れたんです。それじゃ場合によっては家が絶えてしまわんかって思わんです? 思いますよね。それでもそれは絶対やおっしゃったって。
しかもそれは本家の場合で、嫁やら婿やらに出すきょうだいにはもっと厳しいんです。
ひとりだけ。
一回だけです、妊娠。
厳しすぎますでしょ? けど、それを飲み込んでくれる家やないと、嫁にも婿にも出せんのやとおっしゃるって。
そこで折り合わなくて破談になることも多かったって聞きましたね。
せっかく嫁さんやら婿さんやらもらうなら、孫、欲しいですもんなあ。流産死産も数に入れられてしまったら、子供持てるかもわからなくなります。
その上、外に出た子は津峨森を名乗ることまかりならん。財産も一切、相続させんておっしゃいますからね。
父も考え直せんかと何度も申し入れたそうですけんど。
戦後に民法も変わって、もう長男だけが優遇される時代と違うけんって、言ったらしいんですけど。
先代さん、津峨森さんの、垂郷で殺されたご夫婦の、更にお父さん。
耳、貸さなんだそうです。
『管理しきれんようになるけん』
そう、言っちょったって。
何が管理やら、って父も母もこぼしてましたよ。牛やら馬やあるまいし、自分の子やろって怒ってました。
それに、そのご先代が三人きょうだいだったんですよ。
本人が長男で、**市に養子に出た弟さんと、東京のほうに嫁に行った妹さんがおらしゃって。
それを言ったらしいんです、父。先代さんに。
そうしたら。
『ご一新から半世紀も経つけん、もういいやろて父は考えたようです。けど、それは間違いやったとわしは思っちょる。特に妹です。遠くに出せばいいと思って、東京に縁付けたんは早計やった。せめて独り身のまま家に置いとくんやったと思っちょります。だけん、息子たちにはしっかりとしきたりを守らせます』
って。どげんしても譲らんけん、うちの両親が折れて。
弟さんのほう、かなり難航しましたけど、**の、子供二人おった後家さんに縁付けました。
それで、家に残ったご長男さんにもお子さんが二人生まれて。先代が亡くなられて、うちの両親が亡くなっても、律儀に挨拶に来てくれるかたでしたけども。
息子さんたちが年ごろにならしゃったときに、私、ふっと聞いたんですよ。両親の話が記憶に残っちょりましたけん、どうなさるんかいなと思って。
いえ、そりゃあ不躾なことは言えませんですけん、世間話のふりで、最近は仲人頼んだりもせんですけん、どこも嫁に困ってるって話を。バブルやら何やらありましたけんね、若いひとはみんな東京だ大阪だって、都会に出てしまいましたけん。
残ったもんはただでさえ少ないのに、縁談を探すんやなくて恋愛しようと思ったらね、そりゃあ難しいです。
***の**さんのところなんて、あなた、親御さんが業を煮やして大金はたいて東南アジアから嫁さんを呼んだですよ。
そいで孫が二人生まれて、万々歳や思うたら、逃げられてしもうて。子供連れて。行方知れずになって、ずいぶん心配なさっちょりましたけど、二、三年したら嫁が見つかりましたわ。名古屋のほうで、男作っちょったんですって。
それで離婚裁判だなんだってことになって、息子さんが何度も向こうまで出向いてね。結局、面倒になったらしくて、息子さん。離婚届に判を押して、子供も渡してしもうたんですよ。
何で孫だけでも取り返さんのって、親御さんたちがカンカンになりまして。
丸損ですもんね。何十万も払ったのにって愚痴を言ってましたよ。
逃げるにしても子供は置いてってくれればいいのにって。
ああ、すいません。話、それましたね。とにかくそげん話をして、今はどこも大変ですけん、津峨森さんも頭が痛いんやないですかって聞きましたの。
そうしたら息子さんは**町の役場に入ってて、もういいひとがいるみたいやけん、たぶん向こうで結婚するって言われて、びっくりでした。
**言うたら、海沿いですけん。垂郷からは車で小一時間かかりますけんね。
『跡取りは垂郷を出たらいけんのじゃなかったんですか』
って、思わず聞いてしまいましたよ。
そうしたら津峨森さん、笑いなさって。
『父はうるさかったですが、世の中も変わりましたけん。垂郷も若いもんは皆、町に出ていって年寄りしか残っちょりませんですし。うちだけいつまでもしきたり守らんでもええかなあと考えましてね。息子にも娘にも、好きにさせちょります。戦後も五十年たって、もう迷信に惑わされんでもええでしょう』
それを聞いて、先代は頭が固かったようやけど、このおかたは普通やな、ご理解あるお父さんでお子さんたちも良かったなって思いましたんですけど。
結局、あげなことになったでしょう。津峨森さんだけやなくて、お子さんもお孫さんも、みな大変なことに。
それでね、思い出すんです。
先々代も『ご一新から半世紀経ったから』言うて、しきたりを破って、それを先代が『間違いやった』って言うていて。
それで津峨森さんがまた、『戦後も五十年経ったから』言うて、しきたりを破って、あの大事件ですけん。
やっぱり、あの家のひとにしかわからん何かがあったのかなって。
津峨森さんがおっしゃってた迷信いうのがなんだったのかは結局、知らんのですけど。




