こわいよう
(略) ……当日は娘と一緒にずっと自宅にいました。両親と兄たちが続けてあんなことになって、恐ろしくてたまらなかったです。外出は最小限にして、昼間でも鍵をしっかりかけようと主人と確認しあっていました。
主人は仕事に出ていました。忙しい時期に忌引が続いて、かなり会社に迷惑をかけてしまっていたので。
主人が帰宅したのは十時少し過ぎでした。
会社を出る前に電話をくれました。いつもそういう習慣でした。車で十五分くらいの距離だったので、私もいつもどおり夕食を温め直して待っていました。
白いご飯と、なめこの味噌汁とかれいの煮つけと茶わん蒸しでした。あと、前の日に作った煮物もあったかな。あったと思います。野菜が足らないから。
やがて帰ってきた主人が玄関のチャイムを押しました。もちろん鍵は持っていましたが、中からチェーンをかけていたので私が開けないと入れなかったんです。
ドアを開けた主人が、
『ただいま』
と言って、私は先にリビングに向かいながら、
『お帰りなさい。茶わん蒸しを作ったわよ』
と言いました。
茶わん蒸しは主人の好物だったので、娘の離乳食にもちょうど良かったので、その日は頑張って作ったんです。喜んでいるかな、と顔が見たくなって振り返ったら、ドアを閉めようとしている主人のすぐ後ろに、知らないひとが立っているのが見えました。
『ヒロくん、後ろっ!』
考えるより先に声が出ていました。主人はハッとして振り返ろうとしましたが、その人はもう玄関の中に入りこんでいました。そして、その人が玄関に鍵をかけました。
『あんた誰だ。出ていけ』
主人が怒鳴りました。その人が手に長い棒のようなものを持っているのに気付いたのは、
『ぐわあああ』
と主人が叫び声を上げてしりもちをついてからでした。
その人は、主人にまたがるようにして、顔をめがけて何度も何度も棒を突き下ろしました。
『お前が、お前たちが、ちゃんと、ちゃんとしないから』
そんなことを何度も繰り返していました。顔はマスクで隠れてよく見えませんでしたが、女だったと思います。声も高かったです。
主人の顔はどんどん血まみれになっていきました。
最初は棒が突き下ろされる度に声を上げたり腕がピクピクと動いたりしていましたが、だんだん何の反応もなくなっていきました。
私はその間ずっと、ばかみたいに黙って突っ立っていました。けれど無抵抗になった主人を見ているうちにふと、
『このひとは今、殺されているんだな』
と気がつきました。
そして両親のことが思い浮かんで、みんなこんな風に殺されたんだとわかりました。まだ十歳だった甥の慎也くんも殺されたのだと思い出して、娘だけは連れて逃げなければいけないと思いました。
娘はリビングの隣りの和室に寝かせていました。私がリビングに向かうと女は追いかけてきました。
もう主人を殺し終わってしまっていました。私がせっかくヒロくんのために茶わん蒸しを作ったのにひどいと思いました。
リビングに入ったところで追い付かれました。女は持っていた棒で私の頭を殴りました。
部屋の景色が横に流れて、物が倒れる音や食器が割れる音が遠くでしました。痛いのは後からきましたが、頭がしびれたみたいになって物が考えられなくなりました。女は何度も私を殴りました。頭とか、肩とかそこらじゅう殴られました。
それから女はその棒の先を顔に向けました。あれを私の目に突っ込むつもりなんだとわかりました。
棒の先には主人の血とか、ベタベタしたいろいろなもので汚れていました。主人の目玉だったものかもしれないと思うとゾッとしました。叫びたかったけど、声が出ませんでした。
そうしたら、和室で娘が泣き始めました。その声もすごく遠くに聞こえましたが、近所に赤ちゃんはいないので娘だとわかりました。殴られたときに、片方の鼓膜が破れちゃったそうで、それからずっとそんなです。
女が和室の方を向きました。
娘が殺されると思いました。そして、私がこの女を殺してでも止めなくてはと思いました。
キッチンまで行けば包丁があるので、あちこちとても痛かったけれどあれで刺し殺そうと思いました。私が逃げるのを追いかけて、娘のことは忘れてくれたらいいと思いましたが、そうならなかったらどうしようと思ってドキドキしました。
そうしたら女は急に震えだして、
『こわいよう。赤ちゃんはこわいよう』
と泣き声みたいな声を出しました。
『ごめんなさい。ごめんなさい。うるさくしてごめんなさい』
と言って窓の鍵を開け、そこから庭に飛び出して走って行ってしまいました。
私はびっくりしてしまって、そんなことより他にあやまることがあるんじゃないのと思いましたが、怖かったのであわてて窓を閉めて、鍵もかけました。
それから和室に行って娘を抱き上げて、泣きやませてからオムツを替えておっぱいをあげました。
そうしているうちに少し落ち着いてきて、警察に電話してあの女を捕まえてもらわなくてはと思いました。
あの女が前から家の周りにいたかどうかはわかりません。
兄が死んでから、報道のひととか野次馬がいっぱい来て家の周りは知らないひとだらけでした。
叔父の言うとおりにみんなで遠くに逃げていたら主人は殺されなくて良かったかもしれないと思うととても悔しいです。どうしてそうしなかったんだろうと悔やんでばかりいます。でも叔父さんも私の話を聞いてくれなかったのでどっちもどっちだと思います。 (後略)




