第四話
ベリンダにとって最初の居場所は跡取りという地位だった。
それを奪われてもまだ、長年の婚約者だったという男の隣が残れば、まだ、どこかに救いがあったのかもしれない。
けれど、すべて一度に奪われた。
奪ったのは弟で、両親で、家族。
本来なら一番頼れるべき肉親まで、彼女は既に失っていた。
最後の頼りは祖母。
しかし高齢の女性では拠り所になりきれなかったのだろう。
祖母を失ったら? その後は?
孫娘の焦る気持ちを感じ取った祖母は、方々手を尽くしたのだという。
可愛い可愛い孫娘の幸せのため、病身を押して王都へやってきた老婦人をコーネリアスは思い出す。
祖母である王太后に呼び出され、招かれたお茶会に彼女はいた。老いて尚美しいの細身の婦人は、お恥ずかしながら……と前置きして、跡取りの変更に伴う家内のゴタゴタを赤裸々に語った。
『息子たちの言い分が判らないわけではないのです。私とて孫息子が可愛くないわけがない……ですが、このやりようはあまりに惨い。ベリンダが負った心の傷は簡単には癒えないでしょう。
しかし、どんなにあの子が心配でも、私は必ずあの子を置いていく。……それは、何年も先のことではなく、明日明後日かもしれない。そうなる前に、あの子が信頼し安心出来る居場所を自身で見つけられる道筋をつけてあげたい』
王宮官吏になることはその一歩目で、家を黙らせる理由として、コーネリアスの婚約者候補という名目を一時貸してほしいというのが王太后の願いだった。
コーネリアスに否やはなかった。
スペアのスペアという立場の第三王子の婚約者候補という名目を持つ女性は他にも何人もいる。
ただコーネリアス自身は、誰とも正式に会ったことはないし、お付き合いをしたこともない。それは、いざというとき選ばれるかもしれない程度のもので、何の強制力も制限もないものなのだ。
それを貸すことで一人の女性の人生を救えるのならいいと思った。勤める中で、彼女が新たな幸せに出会えたらいいな……と当時のコーネリアスは軽く考えていた。
そうやって彼女を助けたつもりだったのに……王宮勤めの結果があの騒動。
ベリンダのあまりに深い傷を目の当たりにして、コーネリアスは改めて、彼女について前侯爵夫人と話し合った。
前回と同じ王太后の宮で再会し、ベリンダが激務で身体を壊した経緯とそこに至ったであろう傷について話した後、長く夫人は沈黙した。
泣くことも出来ずにただ唇を噛みしめ、小さく頭を揺らした夫人は、やがて顔を上げ、そうですか……と絞り出すように言った。
その瞳に、深い愛情と共に……諦観が芽生えたのが判る。
瞬間、無意識にコーネリアスは言葉を紡いでいた。
『だが、彼女の優秀さは証明された。私の側近としてなら、雇用し続けることは可能だ。十年かかるか、二十年かかるか判らない。彼女が心の傷を癒やせる場所を見つけるまで、上司として友人として見守ることは出来る』
だから、どうか……早まらないで。
矢継ぎ早に言ったコーネリアスに、王太后も前夫人も驚いていた。
『殿下はベリンダを救いたいと思ってくださるのですか?』
『………………だって、このままでは、あまりに彼女が、哀れだろう』
『お前……ただの同情で簡単にそんな約束をして良いと思っているの? 妻にも迎えられない女性をただそばに置くなんて』
『それだって、今は、でしょう。十年経てば、私も好きに結婚出来るかもしれない』
『おお、女を十年単位で待たせようとはね、それこそ惨い』
『数年待てば、二の兄上にも子が出来ましょう。そうすればスペアのスペアの役目も次の世代に移ります』
『その次世代たちが大人になるまで更に十年以上……未婚の王族の役目を引き継ぐまでまだまだかかりますよ』
有事の際、素早く契約婚を結ぶために残しておくのが未婚の王族。王子、王女と共に、王の兄弟もまた有力な駒だ。
コーネリアスがその役目を手放す日さえ来れば……望み薄なその日に賭けて、ベリンダをただ侍らせるのかと問う王太后の視線を避け、コーネリアスは顔を伏せた。
黙った孫に嘆息をつく王太后に、夫人はやっと少し笑みを見せる。二人が真剣であればあるほど心苦しい。だが、同時に嬉しい。
ベリンダの行く先を、自分以外にも気にかけてくれる人がいる。それだけが、張り詰めていた彼女の心を少し安ませた。
微笑む親友の気配に顔を向けた王太后に頷いて、コーネリアスに語りかける。
『王太后様、コーネリアス殿下は我が孫のために真剣に悩んでくださっているのです。貴女様に似て、とてもお優しい方ですね。……殿下、私の方でも他に手立てを考えます。それまで、ひとまずお言葉に甘えさせていただいてもよろしゅうございますか?』
『もちろんだ』
『ベリンダをよろしくお願いします』
前侯爵夫人の許可を得て、すぐにベリンダを側近として呼び寄せた。
実際そばで仕事を任せてみれば、彼女の優秀さは想像以上。侯爵家の跡取りとして広く学んでいた過去があるとしても、それだけで済ませられない賢さは、長年の側近のレオナルドにも引けを取らない。
打てば響くように期待に応える彼女の知識の広さ深さは、頑なだったレオナルドの態度も変えさせ、コーネリアスも希望を抱いた。
ここがこのまま彼女の居場所になれば……。
彼女の傷は、計り知れない恐れを生んだ。
誰でも出来ることは、ベリンダ以外にも出来ることで、結果また誰かに居場所を奪われる原因になってしまう。
だから彼女は、自分をかけがえのない存在にしたい。
仕事だろうと何だろうと、必要だと頼られている間は、その場所にいてもいい。なくてはならない存在になれば永遠にその場所を手放さずにすむ。
だからすべてを一人で抱え込む。
そうならないよう選別して仕事を与え、根を詰めすぎないよう王子や公子の権力で見張っていた。
その繰り返しの中、それとなく何度も伝えた。
王子の側近の座はおいそれとは奪えないし、小細工をしなくても誰も君の存在を脅かさない。
居場所を決めるのはいつだってベリンダ自身だ。
語りかけて、まだたった三年。全部を信じてもらうのにはもっとずっと長い時間がかかるだろう。
だから、このままテオバルトと同じ扱いで、降下した後も引き受けるつもりでいたのに……まさか、全く別の場所から攻撃が来るとは思っていなかった。
彼女が真実を知ったきっかけはやはり前夫人の死。
ベリンダに余計なことを話したのが父親だと言うことも判っている。
事情を聞くために呼び出した侯爵は、己の所業がどれほど娘の精神を傷つけたのかも知らないまま、ペラペラと葬儀後のベリンダとのやりとりを喋った。
一言喋るたびに不出来な娘が……と繰り返すから、コーネリアスは目の前の男をどつきたい衝動を必死で抑えつけて教えてやったのだ。
『確かに前侯爵夫人からベリンダ嬢を私の婚約者候補として加えて欲しいという打診は受けた。ただし、彼女が王宮官吏の試験に無事合格したらという条件付きでな。
本当はかわいい孫娘を働きになど出したくないが、このまま領地で囲っていても自分が死んだ途端、息子は厄介払いに彼女を適当な相手に嫁がせるだろうから、そうならないよう少しでも選択肢を与えてやりたいと言っていたよ』
ベリンダは縁故でねじ込まれたのではなく、ちゃんと実力で試験に合格してここにいる。おまけだったのは婚約者候補の方で、しかもそれは前侯爵夫人が仕組んだベリンダを生家から引き離す口実だったと暗に教えてやれば、侯爵の顔面に焦りの色が浮かんだ。
『し、しかし、娘は不出来で、仕事がまったく出来ずにあちこちたらい回しにされていると、噂が』
『噂? 噂でしか自分の娘を評価しないのか、卿は。彼女は優秀だ。優秀すぎて、同じ場所に長くいると、彼女がいなければ仕事が回らない状態になってしまう。そうならないよう配慮した結果がたらい回しのように見えただけだ』
随分いい風に言ってしまったが、完全な嘘ではないから許してほしい。
『彼女は無意識に、誰かに求められたら求められただけ、頼られるまま無限に応えようとするんだ、自身の負担も省みずな。もう二度と誰かに自分の立場を奪われないための努力だと思うと、哀れで仕方ないよ』
そうした原因はお前だ、と真っ直ぐ目を見て言えば、侯爵の顔色は青を通り越して白くなった。
『この際だからはっきり言っておく。私は私の親友を軽んじた卿ら家族を今後一切信用しない。孫子の代になってもだ。この先何があっても、ベリンダの生家としての恩恵はないものと思え』
切り捨てた娘の温情に縋ることは許さないと牽制し、ささやかな仕返しだけで侯爵家を見逃した。
仕返しを知っても、ベリンダは喜ばないだろう。復讐など彼女は望まない。
判っていても、やり返してやらねば気が済まなかった。
そう思うくらい……ベリンダはもう、コーネリアスにとってかけがえない親友の一人なのだ。
最後まで彼女自身には伝わりはしなかったけれど……。
「縁が無かったのかなぁ」
「シィリーン嬢とは縁があったとでも?」
「あったじゃないか、特大の縁が」
「……殿下には無関係でしょう」
「何を言っている、親友の弟の家族の嫁の姉は特大の縁だろう」
「家族と言っても所詮書類上のこと。ウィリアルドの本当の家族は私だけです」
「それだと夫婦は所詮他人と言ってるようなものじゃないか。奥方にどやされるよ」
ぐっと言葉に詰まったレオナルドは、妻は別ですとかなんとか、小さな声で言っていた。
「ベリンダにも、ちゃんと身の丈に合った幸せを見つけて欲しい」
「大丈夫ですよ」
「軽く言うな」
「いざというときの協力は惜しまないと伝えてありますので」
「……心配だ」
「やっと問題の本質に本人も気付いたんです。ここからならきっと大丈夫です」
「……しかし心配だ」
「殿下。私たちだって三年間、ベリンダ嬢とほぼ毎日一緒にいたんです。彼女の幸せを願う気持ちは、皆一緒です」
ふふんと笑って、レオナルドは美しく輝く金髪を科を作って掻き上げた
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