第三話
ベリンダが置いていった紙束が乗ったワゴンを見つめ、ため息を一つ。
それを聞きつけたレオナルドが顔を上げ、コーネリアスの視線を辿る。
紙束を見て零れるのはただため息ばかり……その合間に呟く。
「全部理解して、全部一人で用意したんだな」
「ええ」
「惜しい才能だと思う、けど……彼女が決めた以上、僕たちにはもうどうしようもない」
「そうですね」
自分を納得させるように声に出すコーネリアスを見つめ、レオナルドはただ同意の相槌を打つのみ。
やがてコーネリアスの口元が悔しそうに歪み、彼は執務机に突っ伏した。両腕で頭を抱え、報告を受けていた最近の彼女の動向を思い返す。
喪中で出仕を避けていたベリンダが再び王宮に現れたのは、前侯爵夫人の葬儀から半月も経っていない頃だった。
規定の喪中期間は三ヶ月。復帰は早すぎると咎めるつもりが、彼女は幾日経ってもコーネリアスの元には現れず、代わりに無関係な部署の様々な人間に面会を申し込んでいるという情報が舞い込んだ。
その人物リストを見て、コーネリアスは彼女が何を知り、何を確かめようとしているのかを即座に理解した。
そして、しっかり喪が明けた一週間前、彼女から辞職の願いを聞いた。
理由は、家の意向で急ぎ嫁ぐことになったとそれだけ。
急なことで迷惑をかけて申し訳ないと頭を下げる彼女は窶れ果ててはいたが、その顔は穏やかだった。
聡い女だ。
すべてを知って、自分で決めたのだ。
彼女を選ばなかったコーネリアスに引き留める資格はなく。
上司として、彼女の辞意を了承することしか出来なかった。
「何もかも全部、ベリンダが悪かったわけじゃない」
「ええ」
「でも、事情を知っているからといって、彼女を特別扱いするわけにはいかなかった」
「はい」
「その結果がこれだ。……結局、僕は彼女に何一つしてやれなかった」
「殿下は王族です。一人の女の人生よりも優先して考えるべき事がある」
「王族として、民一人一人のことを思えというくせにね……側近の一人も救えない」
「……けれど、これを自分でかき集めてきたと言うことは、少なくとも彼女自身も気付いたということです」
「気付いたって、原因を取り除かなきゃ意味がない。なのに……、彼女の嫁ぎ先を聞いたろ。商会頭の妻だと? 我が国有数の侯爵家の令嬢が! 裕福な平民の妻!? もっと他に彼女に相応しい場所があるだろう!!」
「このまま彼女を社交界にさらすのは哀れと前侯爵夫人は思ったのでしょう。あの方もまた我が国の貴族。他国の一商会であれば、孫が何かしでかしても家や国に迷惑をかけることはないと考えられた」
「だから、僕が引き受けると言ったのに!!」
「殿下のお立場も色々と不安定ですから」
「だとしても!!」
ダンと強く拳を机に叩きつけてコーネリアスは黙った。
ここで言い争っても最早どうしようもない。
きっと彼女は行った先で、対極の評価を得るだろう。
それがどちらになるか、コーネリアスには判らない。
良い働きをすると評価されるか。
場を混乱させる厄介者と評価されるか。
願わくば……とどれほど祈っても、その場にはもうコーネリアスはいない。
ベリンダは、かつて厄介者の評価を受けていた。
最初報告を受けたとき。コーネリアスもその嘆願を受けとった上司同様、訴えられている内容そのものの意味が判らなかった。
ベリンダについて、仕事が出来すぎて迷惑だといった趣旨の苦情が上がっていると報告が来たのだ。
何故コーネリアスにそんな報告が来るかと言えば、ベリンダが聞いたとおり、そのときまだ彼女はコーネリアスの婚約者候補であったからだ。王族の婚約者候補として、王宮内での彼女の動向は王家の影によって逐一コーネリアスに知らされていた。
最初はよくある、僻み混じりの嫌がらせだと思った。
でもよくよく話を聞けば、そうではなく……寧ろ大きな組織であればあるほど、深刻な弊害を引き起こしうる事態の渦中にベリンダはいた。
最初はコーネリアスも気付かなかった。
本人が意図してやっているのではないのだろう。
悪意もないのだと思う。
寧ろ完全に善意しかないのかもしれない。
だがそれは、組織には不要の、寧ろ害悪になるものだった。
多分、跡取りの座を奪われたことに端を発しているのだろう思考。
彼女には、無意識に自身をかけがえの無い存在にしようするきらいがある。
彼女の最初の職場は一般的な文書処理を行う部署だった。
そこで文書の注釈に暗号めいたものを常用し、他人が理解出来ない注釈は意味がないからやめてほしいと注意した同僚に向かって、何が問題なのか判らない顔で自信満々に言ったそうだ。
『そちらの方が使い慣れていて早いのです。大丈夫、ちゃんとすべて私が把握していますので、ご心配なく。質問があれば、私になんでも聞いてください、いつでも答えられます』
『そういう意味じゃ……』
『どうぞなんでも遠慮なく私を頼ってください』
キラキラした目で迷い失く言い切る彼女そのものが怖かったと、その同僚は後に語った。
その会話が原因で彼女は次第に腫れ物扱いされるようになり、三ヶ月ほどで栄転のかたちで移動することになった。
コーネリアスが引き取るまでの二年間。ベリンダはほとんど同じような理由、同じようなかたちで様々な部署を渡り歩き続けた。
どこへいっても彼女は優秀だった。場に溶け込む努力を怠らず、どんな業務も嫌がらずに必死に学ぶ姿勢は、決して忌避されるものではない。
ただ……業務に詳しくなればなるほど、彼女は勝手に自身の境界を広げ、他人の領域に浸食してくる。仕事に誇りを持っている人間ほど、彼女のような存在は鬱陶しいだろう。
そういう人種に排除され、移動というかたちで追い出されていたときはまだよかった。
そうでなかった時が、悲惨だった。
世の中には、はっきり悪意を持って他人を利用する人間がいる。
彼女の最後の職場の上司が、そういう類いの人種だった。
頼られれば嬉々として応えるベリンダは、悪意による搾取の標的になってもただひたむきに仕事を熟し、激務の末、半年で身体を壊した。
そして彼女が病欠した職場は、完全に業務が止まった。
業務自体をベリンダの能力に頼り切っていて、全体像を把握しているのも彼女のみ。ベリンダがいなければ何をすれば良いのか誰も判らず、全く仕事にならない状態になっていたのだ。
楽をしようとすべてをベリンダに押しつけ、功績だけを奪っていたものたちは即座に処罰されたが、それだけで終わらせることは出来ない、由々しき事態だった。
彼女が意識してその仕組みを作ったとは言わない。
ただ必要だと頼られて仕事をしただけだ。功績を奪われていたことすら知らず、ただ途中で倒れてしまった己の不甲斐なさだけを詫びていたという。
彼女に悪意はない。しかしだからといって、このまま王宮で雇い続けることは、その優秀さ故に危険だと判断された。
辞職勧告を受ける寸前、やっと決意してコーネリアスはベリンダを自身の側近の列に加えることを決めた。
その時点ではまだコーネリアスの婚約者の席は空席で、不用意にベリンダをそばに置けばいらない憶測を生む。良策ではないとレオナルドには止められたが……、親友の諫言を押して切ってコーネリアスは我を通した。
どうしても見捨てられなかったのは、彼女が王宮官吏になった経緯を知っていたから。このまま彼女を家に戻したら、彼女の祖母が危惧したとおりになってしまうだろう。それはあまりに、気の毒だ。
ベリンダはただ、自分の居場所を探しているだけなのに……。
読んで頂きありがとうございました。




