詩子クロニクル3 二人だけの聖域
同時視聴者数11万人という衝撃的な配信から一夜明けた。詩子は―――
「やらかしたぁ!」
鳥島詩子は叫んだ。
「ど、どうしたのよ?」
向かい側で弁当を広げていた佐倉千佳は目をまん丸にした。
歳は詩子と同じぐらいだが、派手過ぎない程度の明るい色の服、明るい色の茶色の髪、チェリーピンクの爪、見た目の至る所にきちんと手を入れているなあという感じの女性だ。ちょっとギャルっぽいが、女子大生と言っても通用するぐらい、若々しい印象があった。それでいて、弁当は、卵焼きや野菜の煮物など、手作りの総菜が詰め込まれており、家庭的な一面が窺えた。いつもコンビニ弁当で済ませている詩子とは大違いだ。
そんな詩子とは真逆の印象の千佳が、どうして詩子と二人きりで昼食を食べているのか。
詩子の会社は、横浜駅から徒歩20分程のオフィス街にあり、観光客で賑わう駅前の中心街からは、やや外れているものの、付近には特色ある飲食店が多く軒を連ねており、同僚の多くは、そこで外食をすることを日々の楽しみにしていた。昼休みが近くなると、今日はどこで何を食べようかと、机上に隠し持ったスマホで、せわしないやり取りが行われる。昼休憩を告げるチャイムが鳴った時には、グループができていて、各々が集合して素早く店へと繰り出すのだ。
飲食店の席確保は至上命題。残業はあっても、午前中の業務延長はありえないのだった。
そんな過酷な椅子取りゲームに、詩子は参戦しなかった。入社したての頃は、いろいろな人から誘われ、評判の店へ案内してもらった。お勧めのメニューはどれも美味しかった。しかし、1か月もすると、「上司に呼ばれてるから」「午後までに片付けたい仕事があるから」と、何かと理由を付けて誘いを断った。
外食が嫌だったわけではない。美味しいものを食べるのは大好きだ。苦手だったのは人付き合いの方だ。
上司の愚痴、彼氏の不満、韓流アイドルの話題。どこから湧いて出てくるのだろうと思うほどの、おしゃべりの洪水。
これ、おもしろいんか?
みんな、キャッキャと女子高生のようにはしゃいでいた。詩子は、無理やり口角を吊り上げた。ものすごく疲れた。意見を求められているわけでも、こちらの反応を期待しているでもない、ただ一方的に撃ち出される言葉の弾丸。詩子は、なぜ、みんなが笑っているのか、全く理解できなかった。喉を通る食事は、何の味もしなかった。
1か月が限界だった。外食を断るようになって、さらに1か月もすると、もう、詩子は、誰からも誘われなくなった。その頃だ。時々、千佳が休憩室に現れるようになったのは。
「鳥島さんは、何で、ここでお昼食べてるんですか?」
何回目かの遭遇で、千佳は詩子に尋ねた。
詩子は、どこの部署ともしらない千佳が、詩子の顔と名前を知っていたことに驚きながらも、みんなと話が合わないことを打ち明けた。
「そんなの、適当に合わせときゃ、いいんですよ」
千佳は、何でもないことのように言った。
「どうせ、みんな、興味があって、聞いてるわけじゃないんだから」
「えっ。そうなの?」
詩子は、あんぐりと口を開けた。
「当たり前でしょ。会ったこともない、人の彼氏の話とか聞いてどうしろってのよ。汚物を撒き散らさないでほしいのよね。ご飯がまずくなるから」
平然と毒を吐く千佳に、詩子は思わず身を乗り出した。
「そ、そうなのよ。わたし、もう、ご飯の味もわからなくなっちゃって」
真剣な顔で言う詩子を見て、千佳はくすっと笑った。
「鳥島さんは純粋だなあ。みんな、仲間外れになりたくないって必死なのよ。バカみたい」
「そんなこと―――」
続く言葉を吞み込んだ詩子を、千佳はおもしろそうに見た。そして、自分の弁当箱を掴むと、詩子の向かい側の席に移動した。テーブルに肘をつき、形のよい顎を持ち上げて、詩子の顔を舌から覗き込んだ。
「ねえ、わたし、これからも、ここでお昼食べていいかな?」
詩子は、思わず仰け反った。
「そ、そんなこと、わたしが決めることじゃないし」
しどろもどろに答える詩子を、千佳は気にした様子もなかった。
「そう。じゃあ、そうするね。ありがと」
静かにそう言って、どこか遠くを見たのだった。
それから、1週間に2回ぐらいの頻度で、千佳は休憩室に来るようになった。千佳は、「バカみたい」と言いながら、みんなとの付き合いを続けているようだ。千佳いわく、
「あんなところにずっといると、毒が溜まり過ぎる」
だそうだ。お互いに自己紹介もして、名前で呼び合う仲になった。もう、5年近く続いている。
「珍しいね。詩子が、そんな大声出すなんて」
お昼を食べ終わり、片付けが終わったところで、千佳は、詩子が密かに〝千佳スマイル〟と呼んでいるニヤニヤした笑顔を浮かべて、詩子の顔を覗き込んだ。出会った頃のように。
「あ、ごめ―――ちょっと思い出しちゃって」
「いいから、いいから。お姉さんに話してみ」
「―――なにがお姉さんよ。千佳は、わたしより3つも年下じゃない」
「細かいこと、気にしないの。ささっ、ゲロっちまえば、楽になるわよ~。昼休みは短いんだから」
千佳は、おもしろいおもちゃを見つけた子どものように上機嫌だ。詩子は、はあ、と小さくため息をついて、先日の配信のことを話した。
いつものようにFF14のゲーム配信をしたこと。同時視聴者が11万人も集まったこと。でも、それは、詩子を見に来たのではなく、一緒に参加していた蟻宮吉野を見るために集まった人たちだったこと。
「ふーん」
「いや、ふーん、て―――」
千佳の反応は、拍子抜けするぐらい淡白だった。千佳らしいとも言えるが。千佳は、みんなの前では猫を幾重にも被っているだけの毒舌家だが、詩子と二人きりの、この場では、嫌なことは嫌、興味のないことは興味がないとはっきり言う。裏表のないさっぱりしたところが詩子は気に入っていた。
「蟻宮吉野って、引退したって聞いてたのに、まだ、そうやって出てくるんだね」
「引退してたの?ってか、千佳、よく知ってるね」
「―――むしろ、配信者のあんたが、何で知らないのよ」
「うっ―――」
千佳にジト目で見られて、詩子は顔を背けた。
詩子がVチューバーとして配信していることは、会社では、千佳だけが知っている秘密だった。千佳は、時々、詩子の配信を見に来ては、千佳らしい、好き勝手なコメントを残していった。でも、昨日の配信は見ていなかったのだろうか。
「―――で、詩子は、何に腹立ててるのよ」
「腹立ててなんか―――」
「じゃあ、なんだって言うのよ。腹立ててるでしょ。ほら」
千佳が目の前に突き付けたスマホの画面には、昨日の配信のアーカイブが映っていた。配信後のコメント欄には、少数だが常連からの、
「みこみこ怒ってた?」
「ドンマイ 気にしちゃダメだよ、みこみこ」
「みこみこは悪くない。元気出して」
といったコメントが並んでいた。
千佳、やっぱり配信見てたのか。
「何にも興味ないような顔してる、あんたにしては珍しいよね」
千佳はスマホを手元のテーブルに置き、チラッと詩子を見た。詩子は、その千佳の表情を見ていなかった。テーブルに視線を落としたまま考え込んだ。
怒ってるのか? わたしは? 確かに、モヤモヤしたこの感情は、怒りと考えれば説明が付く。
「―――だって、わたしのチャンネルだよ。わたしを見に来たんじゃなくて、蟻宮さんを見に来たなんて。あんまりだよ」
「そうやって、素直に言えばいいのよ」
千佳は、満足そうにニヤニヤした。
「もう!からかわないでよ」
「自分を見に来たと思っていたら、見ていたのは、自分じゃなくて、たまたま隣にいた、どこの誰とも知らないVチューバーだった」
千佳は笑顔を消し、言った。
「でも、それって、嫉妬だよね」
詩子は息を呑んだ。この感情が嫉妬。
そう言われれば、そうかもしれない。考えてみれば、アリーは、わたしに、何か、嫌がらせをしたり、迷惑行為をしたわけではない。ただ、一緒に遊ぶ約束をして、わたしの方からお願いして、一緒に遊ぶところを配信しただけだ。じゃあ、わたしが、怒ってるとしたら、何に対して怒ってるんだ?
「ねえ、知ってる?」
千佳は、いつもの斜に構えた笑いを湛えて、詩子を見た。
「何が?」
「蟻宮吉野のデビューは3年前。1年前には活動を休止してる。配信者としては、詩子の方が、ずっと先輩なんだよ」
「そんなことっ―――」
詩子の口から、いつもの口癖が飛び出しそうになって、詩子は、慌てて自分の口を押えた。
「あら。言わないの? いつものように」
千佳のシニカルな笑いが詩子を追い詰めていく。
「わたしが、代わりに言ってあげましょうか?」
詩子は、ぎゅっと目をつむり、両手で耳を塞いだ。
やめて
しかし、千佳の声が、容赦なく、詩子の手を通り抜け、耳の奥に突き刺さった。
「どうせ、わたしなんか、って」
言わないで!
詩子の顔が、温かく柔らかいものに包まれた。詩子は、驚いて、固く閉じていた目を開けた。塞がれた視界の奥から、いつものように、陽気な千佳の声が聞こえた。
「ごめんごめん。詩子が、あんまり可愛いからいじめたくなっちゃった」
顔を上げた詩子の両頬に、千佳の小さな手がそっと触れた。
「でもね、詩子は、もっと自信をもっていいのよ。その11万人のうちの100人ぐらいは、詩子に会いたくて来た人たちなんでしょう? せっかくのチャンスなんだから、もっと貪欲にフォロワーを増やさなくちゃ」
「そんなこと―――」
詩子の瞳が自信なさそうに揺れた。
「ねえ」
千佳が詩子に視線を合わせ、瞳の奥をじっと覗き込んできた。
「蟻宮吉野が、何のために詩子に会いに来たのか。それは、本人に聞かないとわからないでしょう? ちゃんと話し合ってみたら? 配信者同士なんだし」
「―――うん。そうだね」
千佳は両手を放した。
「ちょっとは、元気になったみたいね」
「千佳」
「なに?」
「何カップ?」
「―――思ったより元気ね」
呆れたようにつぶやく千佳の背景で、BGMのように、お昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
今夜、FF14にインしたら、アリーに伝えよう。もう一度会って話したいって。フレンドになってくれたから、ゲーム内ならメールが送れる。芸能人が、わたしなんかの声に応えてくれるかどうかはわからない。でも、やる前から、諦めちゃだめなんだ。アリーが天使なら、わたしは、ゴミムシだ。でも、配信者、ゲームプレイヤーとしてなら、同じ土俵に立ったっていいよね。
なぜ、百合っぽくなる?w
思い悩む詩子の傍で、話を聴く同僚の女性。用意したモチーフはこれだけ。
そういえば、気が付いたんだけど、この話って、毎回、登場人物が増えてないか?
このお話は、〝なろう〟でよくある、「ある日転生した勇者が仲間を集めて魔王を倒す」的な連続性のあるストーリーがなかったので、カフェミストラルに、毎回、違う客が訪れ、蟻宮と話すという「〇子の部屋」みたいな構成だったんだよね。その影響が残ってるのかなあ。




