期末試験
大学生になった蟻宮吉野。入学から半年が経ち―――
「浦野教授が来る?」
カフェ・ミストラルの店長、芦原夏純は、半年前に入社したばかりの新米店員に問い返した。
「はい。今日から期末試験なんですよね」
新米店員、蟻宮吉野は、申し訳なさそうに答えた。
蟻宮は空色の、芦原は紺色の、どちらもクラシカルメイド服を基調とした制服を着ていた。
カフェ・ミストラルには〝バイト〟はいない。雇用形態としては、全員が正社員である。これは、社会保険や福利厚生といった社会保障を受けられるようにするためだ。一見してコストがかかるように思えるが、国による助成金や免税などもあり、臨時雇用をとっかえひっかえするよりは、長く勤めてもらうことで、社員教育にかかるコストが抑えられ、広い視野で見ればプラスになるという計算だ。結果として、蟻宮のような大学生は、卒業と同時に、就職に伴う生活時間の変化や居住地の移転といった理由で辞めていってしまうが、そうしたやむを得ない事情がない限り、ほとんど離職する店員はおらず、知識や技術が継承され、質が保たれているという実態があった。
〝バイト〟はいないが、〝クラス〟が設定されていて、芦原のような店長は〝マスタークラス〟でネイビーブルー(紺色)の制服。金銭管理や仕入れ管理、建築物管理などの権利がある店員は〝マネージャークラス〟でアズールブルー(明るい青色)の制服。蟻宮のような、直接、お客さんと接することの多い店員は〝キャストクラス〟でセレストブルー(空色)の制服。主に清掃やメンテナンスを行う店員は〝アシスタントクラス〟でスノーホワイト(青みがかった白)の制服。他にも、普段は客として来店し、人手が足りない時などに手伝いをする〝サポートクラス〟(制服なし)がいる。
勤務時間を店員が自分で決められるのが特徴で、24時間好きな時に勤務が可能(ただし週40時間以内)だ。勤務時間とクラスに応じて支払われる基本給に加え、接客内容ごとに設定された出来高報酬がプラスされる仕組みとなっている。従って、客にサービスが提供できるチャンスが多い時間帯に勤務すると、報酬が増えることになる。
シフト(勤務時間の割振)が存在しないため、日によって、時間によっては、店員が誰もいないということが発生する。客は専用アプリから、店員がいるかどうかを確認して来店し、誰もいないときは、アプリでリクエストを出すのだが、それに誰も応えてくれなければ、客の方が来店を諦めなくてはいけないという斬新な営業形態だった。
その複雑な勤務や給与を一括管理しているのが、カフェ・ミストラルの天井に取り付けられた全方位AIカメラ〝ユグドラシル・システム〟だった。AIカメラは、店員の接客状況を把握して給与を計算し、客が持つスマホの専用アプリに料金を請求する。照明や空調の管理も行い、不審者を検知して警察に通報する機能さえ持っている。店員がいないときに来店した客には、音声と映像で説明もしてくれる。実質的な店長は、この〝ユグドラシル・システム〟といっても過言ではないのだった。
「あのユグドラシル・システムを作ったのって、浦野教授なんですよね?」
蟻宮は天井でチカチカと瞬く色とりどりのパイロットランプを見上げながら言った。
「そうなんだよ~。あたしゃ、機械が苦手でさ。前任の店長が、例によって謎の人脈で、大学と提携してドラちゃんを作ってくれたんだよね~」
どこぞの国民的アニメの猫型ロボットのような愛称を呟く店長を、蟻宮は、アイスブルーの瞳にお似合いの冷たい視線で一瞥した。
「店長、せっかく拭いたんだから、テーブルに突っ伏すの止めてくれます?」
「いいじゃないのよぉ。ありりんは、真面目だにゃ~」
「―――ドラちゃんが見てますよ」
蟻宮のせりふに合わせるかのように、ユグドラシル・システムのカメラレンズがシュッっと動き、キランと光を放った、
「お邪魔するよ」
清潔感のあるワイシャツにスラックス姿の初老の男性が店に入ってきた。
「浦野先生、いらっしゃぁい」
芦原が、浦野教授に向かって、ひらひらと手を振った。
「―――芦原君は相変わらずだな。今日は、定期試験で来たんだが、店を使わせてもらってもいいかね」
「どうぞ~どうぞ~」
芦原が軽く答えた。
「浦野先生、これ、どうぞ」
小柄でほわっとした雰囲気の若い女性がコーヒーを運んできた。
「お、いつも、すまんね、瑠璃子君」
浦野教授は、にこにこと、瑠璃子からコーヒーを受け取った。そして、瑠璃子は、浦野教授の向かいに座った蟻宮の前にもコーヒーカップを置いた。
「ルルさん、ありがとございます」
蟻宮がお礼を言った。瑠璃の〝瑠〟と〝璃〟は、ほとんどの人が読めないばかりか、同じ漢字に見えるらしく、「めんどくさいから、どっちも〝る〟でいいじゃん」という適当な理由から、この店では、瑠璃子はルルと呼ばれていた。
「いえいえ、浦野先生には、いつもお世話になっていますからね。これは、わたしのおごりですよ」
ルルは細めたままの目で、じっと浦野教授を見た。浦野教授は、カップを受け取ると、慣れた手つきで口元に運んだ。
「む!これは―――」
視線が鋭くなった。
「胡椒―――ではないな。もっと癖のある、それでいて複雑な―――」
「んふふふふふ」
ルルが笑顔を全く崩さずに含み笑いをした。
「ルルさん、これって―――」
ルルは人差し指を自分の唇に当てた。
「―――この前、父に出してくれたコーヒーですね」
「あら!正解よ。ありちゃん、いい鼻してるわね」
そのやり取りを聞いて、浦野教授の眉間の皺がきゅっと寄った。
「これは―――山椒だな!」
「ざんねーん。外れですー。これで、7勝6敗で、わたしの勝ち越しですね」
「くぅぅぅぅっ!」
浦野教授は、本気で悔しがっていた。
「正解はこちら。ヒハツでーす!」
「なんと!ヒハツか!高めの高血圧の改善が期待できると、2022年にスーパーフードの第4位になった香辛料だな。その後、全くブレイクしなかったので、忘れておったわ!」
「いやー、教授も惜しかったですね。ヒハツはコショウ科コショウ属ですからねー」
ルルは余裕の笑顔を見せた。
「次は負けんぞ」
浦野教授が真剣な眼差しをルルに向けた。
「返り討ちにしてやりますよ」
ルルも負けじと不敵な笑みを浮かべた。
「あのー教授?そろそろ始めませんか?コーヒーも冷めちゃいますし」
「はっ!そうじゃった!」
蟻宮の冷感を感じさせる落ち着いた声に、浦野教授は我に返り、いよいよ、期末試験が始まるのだった、
蟻宮は、地元、名古屋の国立大学の情報科学部に進学した。理系大学では、英語で論文を読んだり、英語で論文を書いたりしなくてはならない。そのため、1年生は英語必修なのだが、蟻宮は英語に加えてフランス語もネイティブレベルの語学力があるため、受講免除になった。空いた時間でゼミ(教授が少人数の学生を集めて専門研究を行うグループ)に参加できることになり、1年生ながらにして、念願だったAIの社会利用実現を目指す浦野教授のゼミに参加することができたのだ。
蟻宮は、とある事情で、それまで所属していたVチューバーアイドルグループ『FREESiA』を無期限休止することになり、〝信者(熱狂的なファン)〟の勧めでカフェ・ミストラルの門戸を叩いた。そこが、たまたま、浦野ゼミの提携先だったため、そのまま「カフェにおけるAIの社会的利用」という研究ジャンルを任されたのだった。
「それで蟻宮君、調子はどうだね?」
こう切り出された場合、浦野教授は、〝蟻宮の調子〟を尋ねていると解釈するのが普通だ。しかし、この場合は、二人ともまともではなかった。
「はい、〝ユグドラシル・システム〟は、プログラムの一部に無駄があったため、わたしが書き換えました。その結果、プロセスを36個省略することができ、情報処理効率が26%向上しました」
浦野教授の温厚そうな瞳の奥が、きらんと光った。
「つまり、わしの作ったプログラムに無駄があったと?」
「はい」
蟻宮は、全く動じることなく頷いた。
「―――聞かせてもらおう。その〝無駄〟とやらを」
蟻宮は、立ち上がり、クラシカルメイド風の制服のスカートをつまんだ。
「答えはこれです」
「メイド服?」
蟻宮は頷いた。
「確かに、以前、この店には制服はなかったはず。メイド服が、どうしてAIの効率向上につながるのだ?」
浦野教授は、眉間の皺を寄せた。
「ヒントはデザインと色です」
蟻宮は淡々と告げた。
「そうか!パターン化か!」
目を見開いた教授を見て、蟻宮は、にっこり笑った。
「ご明察です。これまで、店員を識別するために、AIは身体的特徴から検索して、個人を特定していました。制服を使うことで、カテゴリー別に分類されたでデータベースから検索することが可能になりました。これが、情報処理速度が26%向上した理由です」
「むう、メイド服にそんな効果があるとは、気づかんかった」
浦野教授は、どこか悔しそうだ。
「だが、一つ疑問がある。ただの一学生が、この短期間に、どうやって、4パターンもメイド服を用意できたのだ?」
蟻宮がぴらーんと広げた制服一覧を見ながら、浦野教授が食い下がった。
「わたしには、デザイナー専門学校に通っている、高校時代からの友人がいましてね。わたしが着るメイド服を作るためならと、学校を上げて協力してくれたのですよ」
言いながら、蟻宮の顔は、なぜか羞恥に赤らんでいた。
「くっ!そんな手が!」
浦野教授の額から一筋の汗が流れ落ちた。
「だが!その方法には一つ欠点がある!」
「欠点とはなんでしょう?」
淡々と返答する蟻宮に、浦野教授は最後の切り札を切った。
「男性の店員だっているだろう。その場合は、どうするのだ?まさか、男性にもメイド服を着せるのかっ!?」
沈黙した蟻宮に、浦野教授は勝ち誇った表情を浮かべた。
「あ、その点は、ご心配なく~。わたしの趣味で店員には、可愛い女の子しか採用しませんので~」
「あ、芦原君―――」
浦野教授は、ギンギンに目を見開いた。
「―――店長、そんな理由だったんですか?わたしの採用理由は」
「うん」
芦原は悪びれることなく、あっさり頷いた。蟻宮の瞳の温度が一気に低下した。
「―――わしの負けだ」
浦野教授が、ボソッと言った。
「まさか芦原君に、足元をすくわれる日が来るとはな」
諦めたように、遠い目をして呟いた。
「教授、ひど~い!どんな目であたしを見てたのよ!」
「わかる気がします」
「ありりん!そこで、うんうんしない!助けてあげたじゃないの!」
「蟻宮君」
浦里教授が静かに言った。
「はい」
蟻宮が答えた。
「期末試験は―――合格だ!」
「やった!」
蟻宮が珍しく感情を表にあらわした。
「蟻宮君の実力は、しかとこの目で見せてもらった。約束通り、引き続き、この店は、蟻宮君に任せる」
「店長は、あたしなんですけどね―――」
存在意義を奪われそうになった芦原が、ボソッと口を挟んだ。
「瑠璃子君、また来る」
浦野教授は、カップを置くと、静かに立ち上がった。
「はーい、教授、またブツを仕込んでおきますね」
「――――その言い方は店としてどうかと思うわよ」
蟻宮が律儀にツッコんだ。
こうして、期末試験という名の戦いは、蟻宮の勝利で終わったのだった。
はい。お久しぶりです。8話までの書き直しをずっとやってました。誤字も含めて、8話までは、ほぼ大丈夫だと思うんだけど、9話からは、再び一発書きでやってるんで、多少、辻褄が合わないところがあるかもです。また、何話か貯まったら、読み返して直すんで、お気づきのことがあれば、遠慮なくご指摘お願いします。
それにしても、Vチューバーになるどころか、無期限休止からスタートって、どうなってるんだ?この話は?




