第23話:走馬灯のサブスクリプション
「相変わらずね、ルミナ。信仰よりも、好奇心を優先する」
セラフィナが静かに言うと、ルミナは証言台に積み上げた研究資料を指先で整えた。
「理解できないものへ『異端』の札を貼れば、それで済むと思ってる」
二人の視線が法廷の中央でぶつかる。初対面の人間が出せる空気ではない。過去に同じ組織にいたのか、研究を潰されたのか、あるいは派閥争いでもあったのか。女同士の因縁に一切縁のない人生を送ってきた俺には分からなくて怖い。
「勘違いしないで、私は弁護人じゃないから」
「あっ、はい……」
「検証もせずに、私の実験を邪教の儀式として処理しようとする連中が気に入らないだけ」
「……ですよね」
俺の命は二人の女が互いを嫌う感情の上に、辛うじて浮かんでいた。正義でも友情でもない。ただの対立関係。人間社会において、共通の敵ほど即効性の高い接着剤はない。乾いた後に有害物質が出るタイプだとしても、今は黙って接着されておこう。
ルミナが資料の一枚を掲げ、呆れ顔で話を進める。
「実験中、精神干渉を示す魔力波は一度も検出されていない。被験者の魔力の出力は、黒タイツの吸引後、最大で四・八倍まで上昇。私の魔力低下もなし。つまり、こいつが私から魔力を吸い取ったという騎士の証言は、観測結果と一致しない」
「しかし、未知の術式で測定器そのものが欺かれた可能性があります」
「測定値が出なければ、邪術で隠蔽された。測定値が出れば、邪術で改竄された。便利ね、その理屈」
セラフィナの冷静な切り返しを、ルミナが間髪入れずに潰した。
「私が自分の意志で協力したと言えば、精神操作を受けている。拒否したと言えば、被害を受けた証拠。どんな結果が出ても、最初の結論が変わらないなら、それは結論を守るための言葉遊びよ」
評定官たちの間に、小さなどよめきが走った。俺も神妙な顔で頷いてみせたが、内容の半分ほどしか理解できていなかった。知的な雰囲気だけでも吸収しようと深く息を吸い込んだところ、緊張で溜まっていた唾が気管へ入り、激しく咳き込む。知性に追いつこうとした三十路超え魔法使いの呼吸器が、先に限界を迎えた。
「それでも、当人が精神操作を自覚できない可能性は否定できません」
セラフィナは一歩も退かず、毅然として振る舞う。
「故に、これまで被告人と接触した者たちを、証人として招集しています」
法廷脇の扉が開き、最初に現れたのは、見慣れたショートブーツを履いたマルタだった。続いて、高級なヒールを鳴らす酒場のアリア。黒タイツに事務用のパンプスを合わせた王都中央役所の受付嬢。白タイツの修道女エレーナ。そして頑丈な編み上げブーツ姿の女騎士カレン。
(うおっ……)
俺が異世界で築き上げてきた救済の歴史が、靴とタイツの見本市となって一堂に会している。処刑寸前だというのに、目移りして仕方がない。人間は死の直前に人生の記憶を見るというが、俺の場合は過去に嗅いだ靴の一覧が、実物付きで再上映されるらしい。走馬灯のサブスクリプションとしては豪華すぎる。
「まず、マルタ。あなたは被告人に、靴を脱ぐよう命令されましたね?」
「はい!」
マルタが元気よく答えた。法廷の空気が、一気に有罪へ傾く。
「そして、足を触られ、匂いを嗅がれた」
「はい! とても丁寧に!」
「……あなたは拒否できる状態でしたか?」
「拒否する理由がありません。畑仕事の後だったのに、救世主様は『生命の香水』と言ってくれました!」
傍聴席がざわつき、セラフィナは眉間へ僅かに皺を寄せた。
「では、被告人を救世主だと信じているのですね」
「もちろんです! 村のお婆ちゃんたちの足も治してくれました!」
「本人の意思で?」
「最初は『産業廃棄物みたいな足を俺の前に出すな』って、すごく嫌がってましたけど、断れなくなって揉んでくれました!」
弁護する気があるのか。国家による強制労働を批判していた男が、老人へ吐いた暴言と、同調圧力に屈した経緯まで正直に証言されてしまった。だがマルタは嬉しそうに話を続ける。
「足を揉まれたお婆ちゃんたちは、畑仕事ができるくらい元気になりました。私も身体が軽くなって、魔力も前よりずっと増えたんです!」
評決灯の一つが、黒から灰色へと変わる。セラフィナはすぐに次の証人へ向き直った。
「アリア。あなたは被告人と、宿屋の密室へ移動していますね?」
「ええ。私が頼みました」
「その後、金銭を渡した」
「治療代よ。あれだけ足を軽くしてもらったんだから、当然でしょう?」
「被告人から要求されたのでは?」
「いいえ。勝手に渡したわ。高いヒールで潰れかけていた足の形まで元に戻ったのよ。おまけに、どの高級療養院より早かったし」
アリアは一度俺を見て、少しだけ顔を顰める。
「まあ、匂いを嗅いでいる時間は、普通の施術ではありえないけど」
「あっ……すみません……」
「でも、技術は本物よ。人格と技術を同じ棚に並べたら、世の中から利用できるサービスなんて半分くらい消えるでしょう?」
作った人間の性格が気に入らないという理由で、便利な技術まで捨てていたら、人類は今頃、清廉潔白な原始人として、洞窟で仲良く凍えている。人格を取り除いて、足ケアの結果だけを評価する。食品から腐食部を除去するような扱いだが、今はありがたい。
二つ目の評決灯が、黒から灰色へ変わった。
「次。王都中央役所受付係」
「はい」
「被告人は、職務中のあなたへ暴言を浴びせ、カウンターの下へ侵入した。相違ありませんね?」
「ありません」
(終わった。実名報道されるんだ…)
「ただ、身分証の発行に三週間かかると説明したところ、業務工程の不備を指摘されました。確認した結果、本来は即日発行が可能な手続きでした」
役所の女は、教科書でも読み上げるような無表情で続ける。
「その後、私から足のケアを依頼しました。血行不良と浮腫みは完全に解消。被告人による金銭及び便宜の要求もありません」
「では、なぜ即日で身分証を発行したのですか」
「本来、即日で発行できたからです」
法廷が静まり返った。決して俺を庇ってはいない。事実を事実として並べただけだ。融通の利かない役所人間の証言が、皮肉にも一番無駄がなく有利だった。マニュアル人間は、敵に回すと鬱陶しいが、証言台へ置くと強い。感情で記憶を書き換えず、尋ねられた項目だけを出力する。人間型の自動受付機として、初めて正しい場所へ設置された瞬間である。
三つ目の評決灯が揺らぎ、黒い光を弱めた。
「修道女エレーナ」
セラフィナの声が僅かに低くなる。眼光の鋭さが増してゆく。
「教団に仕える身でありながら、異端者へ協力したことを認めますか?」
「はい…認めます」
エレーナは胸元で両手を組み、静かに答えた。
「療養所には魔力を失った高齢者が溢れ、獣人の職員たちも限界まで働いていました。教団からの魔力供給は滞り、私たちだけでは救えなかったのです」
「それで、異端の力へ頼ったと?」
「目の前で苦しんでいる方々を放置することが、正しい信仰だとは思えませんでした」
セラフィナの白い指先が、法衣の袖を僅かに掴む。
「被告人は、どのように奇跡を行ったのです」
「私が一日履いていた白タイツを、鼻と口へ巻き付けて……」
傍聴席と評定官から悲鳴が上がった。俺が昔からよく向けられていた視線を浴びた。
「その、股間を膨らませながら、高齢者の足を次々と揉みほぐしました」
(そこまで言わなくていいだろ……)
「ですが、全員が歩けるまでに回復しました。結果として獣人職員の負担も減り、療養所は機能を取り戻しました」
証言の前半と後半が、同じ人物について語られているとは思えない。白タイツを顔へ巻き付け、股間を膨らませた男が、崩壊寸前の社会福祉を立て直した。人類史上、最も稀有な医療改革である。
「その行為を、神聖な救済だったと言うのですか?」
「分かりません」
エレーナは首を横に振った。
「神聖だったかは、私には分かりません。ただ、救われた方々がいたことは事実です」
白い皿が僅かに下がり、天秤の均衡が近づいていく。
「最後に、女騎士カレン」
「はい」
「被告人から、足を顔へ押し付けるよう要求されましたね?」
「要求された」
「それを実行したと」
「ああ、した」
「なぜですか?」
「私の足が、魔力技術の発展と民のためになると言われたからだ」
カレンは真面目な顔で胸を張る。
「実際、任務による疲労は完全に消えた。筋肉の硬直もなくなり、翌日の訓練成績は自己最高を記録した」
「しかし被告人は、あなたのブーツの内部を『小宇宙』と呼び、匂いを吸ったのでしょう?」
「そうだ。私には見えなかったが、あの者には五つ星の星座が見えていたらしい」
法廷に、理解を放棄した失笑が広がった。セラフィナ自身も、この支離滅裂な状況に言葉を失っている。誰一人として、俺が善人か悪人かという話をしていない。マルタは救世主だと信じ、アリアは腕のいい変態だと思い、役所の女は行政手続きの改善事例として処理し、エレーナは救済の結果だけを見て、カレンはブーツの中に宇宙があると納得している。
思想や認識、評価も完全にバラバラだ。しかし証言を重ねるたび、天秤は少しずつ白へ近づいていた。
「これだけ証言が一致しないのは、彼女たちの精神が混乱している証拠では?」
苦し紛れのセラフィナの切り返しへ、ルミナが呆れたように鼻を鳴らした。
「逆よ」
「何ですって?」
「証言が細部まで一致していたら、誰かが事前に筋書きを渡した可能性を疑うべきでしょう。この人たちは、被告人を聖者、変態、施術者、行政への苦情申立人、研究対象として、それぞれ違う呼び方をしている」
ルミナは証言台に並べられた記録を、一本の指で順番に示す。
「立場も、場所も、利害も違う。互いに連絡を取った形跡もない。評価はバラバラなのに、全員が『自分の意志で足を差し出した』『魔力または身体状態が改善した』『被告人から対価を強制されていない』という三点だけは一致している」
法廷から音が消えた。俺は目立たないように目を泳がせる。緊張の冷や汗で服が濡れる。変態の荒い鼻呼吸だけが律動を刻んだ。沈黙の中佇んでいては挙動も不審になる。
「それを精神操作と言い張るなら、どうして全員が同じ教義を語らないの? 思想を植え付けたのなら、同じ言葉を話すはずでしょう。実際には、この男への評価なんて、一つも統一されていない」
ルミナが俺を一瞥する。
「共通しているのは、こいつが気持ち悪いことと、足ケアの効果だけよ」
「あの……前半は、共通項から外してもらえませんか……」
無罪へ近づくほど、俺の人格だけが統計的に有罪へ収束していく。評決灯の黒い光が、また一つ消えた。
俺は僅かに背筋を伸ばした。人生でいつも少数派の弱者男性が、初めて多数決で無罪側へ選ばれようとしている。その瞬間、長時間床へ座らされて痺れていた右足に体重をかけてしまい、膝から崩れ落ちた。
「あ、痛っ……」
知的な逆転劇の中央で、一人だけロボット掃除機のように蠢き、質の悪い頭髪ブラシで床を掃いた。セラフィナは、そんな俺を冷たく見下ろした。見下されているのに、なぜか脳内で課金ボタンを探してしまう理不尽な幸福。ピントを合わせる価値すらない背景画として認知される体験をした。
「証言によって、被告人の行為に一定の効果があったことは認めましょう。ですが、効果があるからこそ危険なのです」
セラフィナの声に迷いはなかった。ここで守られているのは人間ではなく、教団が積み上げてきた解釈の独占権なのだ。奇跡に教団の商標が付いていなければ、どれだけ人を救っても海賊版である。
「失敗する異端は、いずれ忘れ去られます。しかし人を癒やし、民から支持される異端は、正統なる信仰そのものを内側から腐食する。被害者が存在しないとしても、信仰秩序への罪は消えません」
セラフィナは白いロングブーツに包まれた脚を一歩前に出し、六人の評定官に向けて語気を強める。
「教団の権威と、この国の正統なる信仰を守るため、この男を異端者として断罪します」
黒い評決灯が、再び強く明滅した。その時、ルミナが小さく笑った。
「確認するけどさ、その信条は教団に属する者にも、当然適用されるのよね?」
「無論です。信仰の前に例外はありません」
即答するセラフィナ。ルミナの視線が、ゆっくりとセラフィナの法衣を下り、白い儀礼用ロングブーツへ止まる。
「でもさ、セラフィナ。異端審問官とかやってるあんたも、自分の足を気にして、毎日ケアしてるじゃない。それは、あなたたちの信条に反するのではないかしら?」
セラフィナの雪肌が少し陰り、それまでの高慢な表情が消えた。白いブーツの爪先が僅かに内側へ向き、法衣の裾が足元を隠すように揺れる。




